第93話 だからエルピディオさんは

「それから、君たちももう帰り支度を始めてもいい。今日大神殿にいるのは見習いたちと先ほどの聖者ふたりだけだからな。王都にはもうひと組聖者がいるが、大神殿に来るには時間がかかるから現地で食べてもらう。ちなみに名簿が見たいというのなら、この後資料室に行ってきてもいいぞ」

「聖者さん、もうこれ以上はこないのですか?」


 お昼に来た聖者見習いさんたちに、正式な聖者さんはニーナさんとヘンリクさんのふたりだけ。

 それはこの広さの大神殿から考えると、ずいぶん少ないように思えた。


「ああ。なぜなら、ほとんどの聖者はここではなく現地に派遣されているからな。ニーナとヘンリクも今は大神殿当番だが、さ来週には違う町へ出向くことが決まっている。だから次ここに来る聖者はまた違った人物になるはずだ」

「……待て。もしかして彼らは、たった四人でこの広い王都の患者全員を見ているのか!?」


 気づいたフィンさんが尋ねると、エルピディオさんはさも当然と言わんばかりに答えた。


「そうだが? だから彼らに急げと言ったんだ。治療をしてほしくて大神殿までやってきている人は腐るほどいるからな。基本、食事と睡眠以外の時間はずっと働いているぞ」


 ひっひぇぇ!?

 食事と睡眠以外、全部!? それは一日何時間労働しているの!?


 私が震えおののいていると、厳しい顔をしたフィンさんが言った。


「さすがにそれは働かせすぎではないのか? 聖騎士団ですらもっと休憩時間は多いぞ?」

「ふん、働かせすぎだと?」


 すかさず、エルピディオさんがクイッ! と眼鏡を押し上げた。


「君たちはどうやら聖者の仕事をわかっていないようだね。いいか? 聖者たちは常に命の最前線に立っているんだ! 彼らが治療をすれば命は助かり、治療ができなければ死ぬ! そういう案件が、一日にいくつあると思っているんだ!」


 そんなエルピディオさんにフィンさんが食い下がる。


「だが、肝心の聖者たちが倒れてしまっては元も子もないではないか。彼らたちにも生活があり、彼らたちにも人生があるのだぞ」

「だからこそ!」


 中指でクイッ! と眼鏡を押し上げながらエルピディオさんが声を張り上げる。


「だからこそ彼らをケアするために今回の出張食堂を企画したんだ! 我々は我々にできることをすべてしている! その上でのこの勤務形態なのだ! なぜなら、圧倒的に人手が足りないからだ! そしてだからこそ! たとえ期間限定であってもいい。ララローズ殿に聖女になってほしかったのだ!」


 突然出た自分の名前に、私はハッと顔を上げた。


「もし君が聖者たちの負担を減らしたいというのなら、ララローズ殿を今すぐ聖女として神殿によこしてくれないかね!? こちらとしては、君たちが婚約を解消してもらうのが一番聖者たちの助けになるのだがね!」

「それは……!」


 ぐっ……とフィンさんが押し黙る。


「一体我々がどれだけ、喉から手が出るほど《治癒》スキル持ちが欲しいか! もし人工的に《治癒》スキル持ちを増やせるのなら、僕はどんなことでもしよう! 魔王にだって魂を売り渡す! だが無理なんだ! だからこそ僕は、代わりに必死になって《治癒》スキル持ちを探している!」


 エルピディオさんは続けた。


「人は必ず死ぬものだ。どんなにあがこうとも、《治癒》スキルであっても助からない命はある。だが、《治癒》スキルで助かる命があるのなら!? 助かる命が、ひとつでも多く増えるのなら!? それが君たちにとっての親や恋人、親しい友人ならどうだ!? 君たちにとっては顔も知らない赤の他人でも、誰かにとっては大切な人なんだ! 僕はそういう人たちを助けたい! だからこそ、周りになんと言われようと聖者をひとりでも多く増やしたいんだ! わかったかね!? これが大神殿の現実だ!」


 エルピディオさんの心からの叫びに――私は圧倒されていた。


 ……そうか。

 だからエルピディオさんは、聖者さんを増やすことを『使命』と言ったんだ。

 王都にはこんなにたくさんの人がいるのに、たった四人の聖者さんで見ているなんて……。


 言われてみれば、私のいたカヴ村にも、聖者さんはひとりもいなかった。コーレイン領全体で見ても、いるかどうか怪しいくらいだ。

 ……これが、王都の現実。これが、聖者の現実。

 エルピディオさんが私を大神殿に呼び寄せたのも、本当はこの現実を見せることが目的だったのかもしれない……。


 考えていると、エルピディオさんが今度はバッ! と私の方を見た。

 私はてっきり怒られるのかと思って身構えてしまったのだけれど、そうではなく、エルピディオさんは勢いよく私に頭を下げたのだ。


「だからこそ僕はもう一度君に言いたい! 頼む! 人々のために、聖女になってくれないか!」

「……っ!」


 私は何も言えなかった。

 もちろんれべるあっぷ食堂を離れる気は今もない。

 けれどこんなに真摯な叫びを前に、「聖女にはなれません」と答えることもできなかった。


 私……私は……!


「考えなくていい、ララ」


 そこに、スッとフィンさんが私をかばうように進み出る。


「エルピディオ大神官。あなたの気持ちはよくわかった。あなたの『使命』もよくわかった。それはとても尊いものだと思う。だが、その『使命』を盾に、ララを追い詰めるのはやめてくれないか。彼女には彼女の人生があるんだ」

「もちろん知っているとも。だから無理強いはしていないだろう」

「先ほどの物言いでは無理強いも同然だと思うが?」

「それは君が勝手にそう受け取っただけだ」


 無言で、フィンさんとエルピディオさんがにらみ合う。





***


往々にして客観的な判断はどうであれ、どっちも自分が正しいと思っているからこそ争いや戦争が絶えないのでしょうね……なんてしみじみ考えてしまう時があります(=_=)

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