第92話 事前に聞いていた話では散々な言われようだけれど……

 その単語に私は興味を魅かれた。

 そういえば、エルピディオさんが私に出張食堂の話をした時も、


『聖者たちは皆僕の信念に賛同した上で働いている』


 と言っていた気がする。

 思い出しているとヘンリクさんが言った。


「まぁ俺は金が一番の理由だけどな」

「もう。ヘンリクは黙っててくださる? あなたにとってはお金も大事でしょうけれど、わたくしはわたくしの使命を聞いた時、本当に全身が震えたんですから」

「すまない。差し支えなければ、その〝信念〟について聞かせてもらえないだろうか?」


 そう声をかけたのはフィンさんだ。

 そういえばフィンさんも、エルピディオさんの信念が何か気にしていたな。

 聞かれて、ニーナさんとヘンリクさんが顔を見合せる。


「それは――」

「どうだね諸君!」


 そこへ、ニーナさんたちの声をかき消すようにして、噂の張本人であるエルピディオさんの声が響いたのだった。


「出張食堂を取り入れてみたが、その効果はいかほどに!?」


 どうやら様子を見に来てくれたらしい。


「大神官様!」


 ニーナさんが顔を輝かせる。

 やっぱりエルピディオさん、事前に聞いていた話では散々な言われようだけれど、聖者さんたちにはちゃんと好かれている気がする。


「この方はすごいですわね。わたくし、僭越ながら申しますと、出張食堂にはまったくこれっぽっちも期待していなかったんですのよ。けれども、この方の料理を食べたらなんだか久々に昔の気持ちを思い出しましたわ!」

「ほう? それほどまでに? 一体何を食べたのだ?」


 エルピディオさんが中指で眼鏡をクイッと上げながら言う。


「食べたのはペリメニとヤンソンの誘惑ですわ」

「ぺりめに……? ヤンソンの……誘惑???」


 出てきた単語に、エルピディオさんが眉をひそめる。

 無理もない。ふたつとも、知っている人でなければぴんとこない響きだもの。


「こっちの料理で言うと、ダンプリングと……グラタン、ですかね」


 私の代わりにヘンリクさんが答えてくれた。

 そう。彼の言う通り、ヤンソンの誘惑はグラタンに一番近いかもしれない!

 チーズこそ使っていないけれど、クリーミーなソースを使って、竈で焼き上げるという工程が似ているんだもの。

 けれどその言葉にも、やっぱりエルピディオさんは特に心動かされた様子はなかった。


「ふん、なるほどな。あいかわらず僕にはよくわからないが……君たちの顔色はだいぶいいようだな? 以前よりずっと、声に活力がある」


 言われて、ニーナさんが微笑む。


「そうかもしれませんわ。こんなにはしゃいだのはずいぶん久々な気がいたしますもの」

「確かにこんなでけー声だしたのは久しぶりですね。最近は色々慣れて、淡々とこなすだけでしたから」


 ヘンリクさんもうなずいた。

 そんなふたりの様子を見て、エルピディオさんがぽそりとつぶやく。


「ふむ……なるほど。………………想定外にいい効果が出ているようだな」

「想定外? まるでララに対して何も期待していなかったのような口ぶりだが」


 すかさずフィンさんが口を挟んだ。その口調は、フィンさんにしてはどこかひんやりしている。

 それには動じず、エルピディオさんがすぐに答えた。


「何も期待していなかったわけではない。ただ想定と違っていただけだ」


 想定……?

 エルピディオさんは一体、どんな想定をしていたんだろう? 聖者さんたちを元気づけるだけじゃなかったのかな?


 私が首をかしげているとエルピディオさんが言った。


「それより君たち。無駄話をしている時間があったらさっさと職場に戻りたまえ。休憩時間を何分過ぎたと思っているんだ?」


 途端にニーナさんとヘンリクさんがあわてだす。


「申し訳ありませんわ!」

「いっけね!」


 けれどニーナさんたちが遅くなったのには私の責任もある。調理にだいぶ時間がかかってしまったのだ。


「ごめんなさい! 私のせいで遅くなってしまって!」


 私が謝ると、エルピディオさんが中指でクイッ! と眼鏡を押し上げながら言った。


「いいや! たとえ何があろうと、時間内に戻ってこれなかったのは彼らの落ち度! よってララローズ殿に一切の責任はない! それよりも君たち! さっさと行くぞ!」

「「はいっ!」」


 エルピディオさんの一喝に、ニーナさんとヘンリクさんはあわてて走っていった。


 さすが大神殿。時間には厳しいんだなぁ……! 次から、遅刻させないように私も気を付けないと!

 そのためには……。


「エルピディオさん! お願いがあるんですが!」


 私は思い切ってエルピディオさんに声をかけた。


「なんだね?」

「差し支えなければ、今日出張食堂にやってくる聖者さん――いえ、ここにいる聖者さんたちの名簿を見せていただきたいんです。彼らの出身地、家族構成、それからどういう家庭で育ってきたのか……それがわかるだけでも全然違うんです!」


 先ほどのブラウリオさんの話を思い出すに、きっと名簿は重要な機密なのだろう。けれどその分、名簿には重要な情報が書いてあるのだ。


「お願いします! 見せていただけないでしょうか!」


 ふーむ、と考えたエルピディオさんが中指でクイッと眼鏡を上げる。


「出身地に家族構成か……。よかろう。それぐらいであれば、全員分を見せてもいい。ただし持ち出し禁止だ。見たい場合はあくまでこの大神殿内で見るように!」

「ありがとうございます!」


 やった! これで、ひとりひとりに合わせた料理を考えられる!

 全員のお腹を満足させるものは無理でも、少しでもそれに近い物を用意できれば……今日のニーナさんやヘンリクさんのように、喜んでくれるかもしれない。


 そう気づかせてくれたのも、全部フィンさんのおかげだ。

 私はフィンさんを見てにこりと微笑んだ。


 ――最初フィンさんが名簿のことを言った時はあまりピンと来ていなかったけれど、出身地と家族構成を見てすぐに気づいたのだ。ロクアン王国に、フィラントン皇国で育ったニーナさんとヘンリクさんの食文化が、きっとこの国のものとは少し違うことに。

 そう思って見ていると、フィンさんも微笑んでいた。

 きっと最初から全部わかっていたのだろう。


 さすがフィンさん……! 頼りになる!


 私たちがうなずきあっていると、聖者さんたちが座っていた席を見ながらエルピディオさんが言った。






***


あいかわらず食に興味のないエルピディオ。「フーンあっそ」みたいな顔をしているでしょう。

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