第46話 『不敬ですよ!』

「それじゃ、いってきます!」


 よく晴れた水星日の朝。久しぶりの出番となる鞄を抱えた私は、フィンさんとヤーコプさんと一緒に、『れべるあっぷ食堂』の皆に向かって手を振っていた。


「はいよ。気を付けていってきな」

「いってらっしゃぁい。楽しんできてねぇ」

「ララ、お土産よろしくね!」


 それからドーラさんが、私の隣に立つフィンさんに向かって言う。


「フィン様や、くれぐれもうちのララを頼みますよ」

「はい。万が一何か起きても、彼女にはかすり傷ひとつつけさせません」


 まっすぐに背筋を伸ばし、胸に手をあてて優しく微笑むフィンさんは今日もとても麗しい。

 紺青色の髪は太陽の光を受けて艶々し、きらきら輝く青の瞳は宝石をはめ込んだかのよう。

 今日は「視察だからきちんとした格好をしないと」という理由で、最近着ている身軽な騎士服よりもう少し格式高い騎士服を着ていた。

 鎧はないものの、清潔でピシッとした佇まいは一目で騎士とわかる凛々しさとたくましさを感じる。それでいてフィンさんの端整な顔立ちや気品と相まって、まさに恋物語に出てくる美貌の騎士のようになっていた。

 道を歩く女性たちがぽーっと頬を染め、歩くのも忘れてフィンさんに見とれている。さすがフィンさんだ……!


「それじゃお二人とも、行きましょうか」

「はい!」


 荷馬車で手綱を握るヤーコプさんにうながされて、私はフィンさんとともに荷馬車の後ろに回った。御者席には三人も座れないから、私とフィンさんは荷物を載せる荷台に座ることになったの。


「ララ、手を」


 ひと足先にひょいっと上がったフィンさんが、手を差し出してくる。

 その自然かつ爽やかな仕草も本当に物語に出てくる貴公子や騎士みたいで――といいながら、どっちもあっているんだけど――見とれていた女性たちが、キャーッと黄色い声を上げた。

 皆に見られているのを恥ずかしく思いながら、私はフィンさんの手を借りて荷台に乗り込んだ。

 すぐに馬車が、ガタゴトガタゴトと音を立てながら出発する。前に座るヤーコプさんが、私たちの方を見ながら言った。


「農村と言っても、そんなに遠いわけじゃないですからね。王都を抜けてすぐなので、昼前にはつけますよ」


 私たちが向かっているツドミム村は、別名『王都の食料庫』とも呼ばれるほど大きな農村。ヤーコプさんいわく、かなりの食材をここから仕入れているらしい。普段『れべるあっぷ食堂』で扱っている野菜にも、ツドミム産のものが多く混ざっていた。


「ということは、野菜の生みの親たちに会いにいくのか」


 フィンさんの声に私はうなずく。

 実は《胡椒生成》用の土とは別に、私は農家さんに挨拶できるのを楽しみにしていた。


「はい! いつもお世話になっている皆さんなので、ささやかながらお土産も用意してきました」


 言って、私はいくつかの小さな包みを取り出した。

 中に入っているのは『れべるあっぷ食堂』の裏庭の土で作った胡椒だ。日持ちするスパイスならきっと、どれだけあっても困らないだろうと思ったの。


「それにしても不思議な気持ちだな……。今まで数え切れないぐらい料理を食べてきたが、その野菜を誰が作ったかなんて、考えたこともなかった」

「お料理の仕事をする人じゃないと、あんまりそういうことは考えないかもしれませんね。私も目の前に食材があったら、とにかく早く食べたい! って思いますし!」

「それは……ララらしいな」

「そ、そうですか?」


 フィンさんがくすくすと笑って、私は急に恥ずかしくなった。


 う、うっかり自分のはらぺこっぷりを発揮してしまった……!


 そこへ、もうひとり馬車に同乗している人(?)の声が響いた。


『そういえばララはいつも野菜を調理してしまいますが、あれはそのままでは食べられないのですか? 果物は食べているのに』


 最近すっかり食べることが大好きになった、リディルさんだ。

 その声に、私はフィンさんに向かって「リディルさんです!」と前置きしてから話し始める。


「『れべるあっぷ食堂』に来てからは作っていないですが、生野菜も食べられますよ。新鮮な野菜はそのままでもおいしいですし、チーズフォンデュにしたり、パーニャカウダにしてもおいしいです」

『ちーずふぉんでゅ? ぱーにゃかうだ?』


 首をかしげているであろうリディルさんに、私は説明した。


「チーズフォンデュは、溶かしたチーズの海に、切ったお野菜をくぐらせるんです。そうしてあつあつとろとろのチーズをまとったお野菜は絶品ですよ! まさにチーズとお野菜のハーモニー、頭の中で祝福の鐘が鳴ること間違いなしです!」


 リンゴン、リンゴンという架空の鐘の音を聞きながら、口の中にじわりとよだれがにじみでてくる。


「それからパーニャカウダは、イタリン国に伝わるソースの名前です。にんにくやイワシの塩漬けで作った、これまたあつあつソースなんですけれど、ニンニクの風味と塩味で病みつきになることまちがいなしです!」


 くうぅ。自分で言ってて、食べたくなってきちゃった……!

 私はそっとハンカチでよだれを拭う。ソースなら作るのも簡単だし、『れべるあっぷ食堂』でも取り扱おうかな?


『なるほど……何やらよくわかりませんが、ララが言うのならきっとおいしいのでしょう。ならばララ、帰宅したらわたくしはその、チーズフォンデュとパーニャカウダを所望します』

「ふたつともですか!?」

『何か問題でも?』


 シレッとリディルさんに返されて、私はふふっと笑った。


「わかりました。では帰ったらふたつともお作りしますね。いっぱい作って、みんなで交互に食べ比べしましょう!」


 食欲旺盛なリディルさんに私がなおもくすくす笑っていると、その様子をじっと見ていたフィンさんがためらいがちに口を開く。


「……ララの会話しか聞こえないが、聞いているとどうも、ずいぶんと食いしん坊な女神のようだな……?」

『なっ! 食いしん坊とは何事ですか食いしん坊とは! ララ、今すぐこの男に訂正させなさい。わたくしは食いしん坊ではなく、食べ盛りなのです!』

「えっ。リディルさん、私以外の人の声も聞こえているんですね!?」

『聞こえていますとも! 普段は干渉しませんが、今のは聞き捨てなりません!』


 そのことに驚きつつ、私はフィンさんにリディルさんの言葉を伝えた。


「フィンさん。リディルさんいわく――食いしん坊ではなく、食べ盛りだそうですよ」

「た、食べ盛り」

『そうです! まったく、女神を捕まえて食いしん坊だなんて、不敬ですよ!』


 ぷんぷんと怒るリディルさんの声を聞きながら、私はまたくすくすと笑った。

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