第15話 ドーラさんの子ども
「ドーラさん!? 一体、急にどうしたんだい? 店はもう畳んだんだろう?」
あわてる店主さんが言う横で、私はおばあちゃんを見た。
ドーラさんと呼ばれた気の強そうなおばあちゃんは、五十、いや六十代ぐらいだろうか? 足が悪いのか、杖をつきながらひょこひょことこちらに歩いてくる。その後ろには、ひげがふさふさした、困った顔の商人らしき男性もついてきていた。
「そうですよ、ドーラさん。店の土地は私に売るという話だったじゃないですか。なんで急にまた食堂を再開するだなんて……その体じゃ無理ですよ!」
「ふん。うるさいね。あたしが無理でも、料理人を雇えば無理じゃないさ!」
話の成り行きがわからず、私はフィンさんと顔を見合わせた。
フィンさんもフィンさんで心当たりがないらしく、不思議そうな顔をしている。後ろではテオさんが目を丸くしたまま、グビッと無言でエールを呑んだ。
「だけどさぁ、ドーラさん」と店主が続ける。
「おやっさんが生きていた頃ならともかく、今から店を再開しようなんて無茶だよ。おたくのすぐ近くに、でっかい酒場ができたのはドーラさんだって知っているだろう? 客もみんなそっちに引っ張られちまったし、おやっさんの味なしで店を再開してもねぇ……」
「それは……!」
口ごもるドーラさんに、ここぞとばかりに商人さんも追い打ちをかける。
「そうですよ。ドーラさんだってもういいお年なんですから、商売のことは忘れて、店を売って老後の資金に変えた方がいいですよ。今なら、娼館として高く買い取ってくれるお客さんがいるんですから。ねっ?」
「私も彼の言葉に賛成ですよ、ドーラさん。あんたのことを考えるからこそ言うけど、その年でまた商売を始めるのは体にもよくないですって。まだ病の後遺症も残ったままなんでしょう?」
その言葉に釣られるように、ドーラさんがゴホッゴホッと咳をした。それから、苦しそうな顔で続ける。
「でも、あたしは……あたしにはあの店しかないんだ。あの店を失ったら、あの人との思い出だって、全部失われちまうんだよ!」
その声は震えていた。
泣きそうなおばあちゃんの顔に、私がおろおろする。
事情はよくわからないけれど、おばあちゃん、すごく困っている。どうしよう……!
その時だった。
「その話、詳しく聞かせてもらっても?」
気付くと、一歩進み出たフィンさんがおばあちゃんに話しかけていた。気付いた店主さんが「ああ」とこちらを見る。
「ドーラさんは、ふたつ隣の通りにある元・食堂の女将でね――」
店主さんの説明によればこうだ。
ドーラさんとドーラさんの旦那さんは、長年協力して食堂を経営していた。
味の良さや人柄の良さもあって、食堂は繁盛して、店もかなり大きくなっていたらしい。
けれど三年前の疫病で、旦那さんや料理人を含め、食堂の中心人物となっていた人たちが皆倒れて亡くなってしまったのだ。
かろうじて一命をとりとめたドーラさんも、足のしびれと、咳が止まらなくなる後遺症が残ってしまったのだという。
そこまで説明してから、店主さんがまたドーラさんの方に向き直る。
「ドーラさん、一度は店を閉めていたじゃないか。この三年間ずっと再開していなかったし、三年間の維持費も大変だっただろう? 商人さんの言う通り、無理せずもう店は売っておしまいなよ」
「そうだよ。私だって、何もあんたから無理に店を取り上げたいわけじゃないんだ。本当にあんたのためを思うからこそ言っているんだよ」
そう言う店主さんも商人さんも、どちらも悪い人には見えない。
確かに、今は従業員がひとりもいなくてドーラさんはひとりぼっちのようだし、体も悪くしているならお金に変えた方がいいのかもしれない。
でも……。
私の気持ちを代弁するように、またフィンさんが落ち着いた声で言った。
「だがドーラさんは、店を再開したいのだろう? 病んだ体を押してまで、そうしたい理由があるのだろう?」
その言葉に、ドーラさんが急いでこくこくとうなずく。それから、どこか寂しそうな表情で言った。
「あたしと旦那の間には、子どもがいなくてねぇ……」
しわしわの手をぎゅっと握るドーラさんの顔は、笑っているようにも泣きそうなようにも見えた。
「欲しかったんだが、どう頑張ってもできなかったんだ。だから、あの店はあたしにとっては子どもみたいなもんなんだよ。確かに、一度は店も閉めた。……でも、だからこそわかったんだ」
言って、ドーラさんが顔を上げる。その瞳には揺るぎない強い決意が浮かんでいた。
「どんなにボロボロで、お金がかかってもいい。老後の資金なんかいらない。あたしはただ、旦那が生きていた場所を、食堂として残しておきたいんだって……!」
それはドーラさんがしぼりだした、心からの叫びだった。
「ドーラさん……」
その場にいた人たちが皆、ドーラさんの強い想いに言葉を無くす。
私も、会ったこともないのに、ドーラさんの旦那さんを想像してぎゅっと手を握りしめていた。強い気持ちに、心を揺さぶられていたのだ。
気づけば私は、自然とドーラさんに向かって一歩踏み出していた。
「あの! 私でよければ料理人、やります!」
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