第35話 あの超かっこよくて、イケメンな人(セシル視点)
――あたしの人生、こんなとこで終わっちゃうのかなぁ。
『花の都亭』の二階。割り当てられた部屋の中で、あたしはあたしの首をギリギリと絞めているお貴族サマの顔を見ていた。
「セシルッ……セシルが悪いんだよ! 僕ともう会わないなんて言うからぁ!!!」
そう叫んだお貴族サマの顔は涙と鼻水でぐじゅぐじゅで、普通にしていればあの男爵令嬢を夢中にさせるくらいにはかっこいいのに、今は全部台無しだ。
「どうして……どうしてだよ! 僕の味方は君だけだったのに! 僕が愛人に迎えてあげるって言ったじゃないか!」
どうして?
それを聞きたいのはこっちの方よ。
あたしは何度も言ったよね。あんたが大好きな、あまぁ~い、したったらずの、頭が悪そうな口調で、何度も言ったよね?
『セシルはぁ、お嫁さんになるのが夢なのぉ』
って。
それなのにあんたが提示してきたのは愛人でしょ?
愛人なんてまっぴらごめんよ。正妻に、あのヒステリックで品のない女が座るのならなおさらのこと。
ま、例え正妻にって言われても、お断りなんだけどね。
「ケホッ……」
……だめだ、だんだん意識が遠くなってきた。あたし、本当にこのまま死ぬのかな?
あーあ……。
思えばあたしの人生、誰の一番にもなれなかったんだなあ……。
――十四歳で娼館に売られてからもう十年以上。
貧しい家が娘を売るのなんてよくある話だし、あたしにはこの顔と体があったから、高級娼館でもすぐに売れっ子になるってわかってた。
上には上がいるっていうのも知ってたから、万年二位でもそれ以下でも、別にどうってことはなかった。
前にいた売れっ子の先輩娼婦は美しくて賢かったし、後からやってきたペトロネラちゃんだって、売れるために必死に努力を重ねた子。『花の都亭』の二階にできた新館に移ってから知り合ったリナちゃんだって、可愛いだけじゃない。輝くばかりの生気っていうのかな、そういうのを放ってるもの。
第一、この年齢でここまで戦えてるだけですごい方じゃない? ――みんなはあたしの年齢知らないけど。
……そんなあたしにも、たったひとつだけ夢がある。
それは、誰かの一番になって、その人のお嫁さんになること。
世界でただひとり、あたしのことだけを見てくれる男の人に愛されて、愛して、その人の子どもをいっぱい生みたいの。
これだけは、娼館にやってきた十四歳の頃からの変わらない夢。
……まあもう、うすうすわかっているんだけどね。その夢が叶わないってことにも。
尊敬してた先輩も貴族の愛人として娼館を出て行ったし、あたしを身請けしたいって人は、今あたしの首を絞めているお貴族サマみたいに、みーんな「愛人として」って言ってたし。
……ああ、だんだん目の前がかすんできた。
このお貴族サマも、娼婦ひとり殺したところで自分の経歴には傷がつかないと思っているんだろうなあ。
でも残念。この都には聖騎士団がいるのよ。彼らは相手が誰であろうと、殺されたのが誰であろうと、決して忖度しないし公平に裁いてくれるって、知らないのかしら?
そう言えば……聖騎士団と言えば……あの超かっこいい、イケメン……。
涼しい目元に、凛々しい眉。高いお鼻に、グリズリーのような、たくましいワイルドな雰囲気。
ああ、テオ様って、今何しているんだろうなぁ……。
突然頭の中に浮かんできたテオ様の顔に、あたしはピクリと手を動かした。
ああだめ、なんだかまとまりのない考えが頭の中を走って行く。
こういう死に際に色々見えるのって、
でもね、あたし、結婚するならああいう人がいいなって思ってたの。
たくましくて、強くて、豪快で……それでいて、意外と女遊びしなさそうな感じ。伊達に何年も娼婦やってきたわけじゃないから、そういうのすぐわかる。
あたし……ああいう人のお嫁さんになりたかったなぁ……。
でもどう考えても無理だよね。あの人、苦手ですって感じの目であたしのこと見てたし……。
この間も食堂に行ったらびっくりしちゃったな。テオ様がまさかの上半身裸になっていて、その筋肉がすごすぎて、あたし危うく失神しちゃうところだったんだもの。
両手で口を押えてなんとかこらえてたんだけど、本当に眼福の極みだった。思い出すだけで胸が熱くなっちゃう。
テオ様みたいに……あたしにも力が……筋肉が……あったらなぁ……。
……。
……あれ?
そういえば最近、あたし結構筋肉ついたんじゃなかったっけ? あのぷろていんパンケーキのおかげで。
思い出しながら、あたしはゆるゆると腕を持ち上げた。
あたしたちに筋肉がついた~って言ったら、『れべるあっぷ食堂』のララちゃん、かわいそうなぐらい顔を真っ青にして謝ってたなぁ。別にいいのに。
考えながら、あたしはゆっくりと手をお貴族サマの手に這わせていった。
「ふぐゥッ……! 剝がそうとしたってだめだよセシル、僕たちはもう後戻りできないところまで来ているんだ。このまま君を殺して、僕の中に閉じ込めるッ!」
そこはせめて無理心中にしなよぉ……なんで自分だけ生き残ろうとしているんだよぉ……。そういうところだぞ。
あたしはうんざりしつつ、自分の首の後ろに伸びているお貴族サマの指を一本掴み――思いっきり反対に捻じ曲げた。
「ぐぎゃあああ!?」
指はあっけないほど簡単にはがれ、ついでにボキッと音を立てたもんだから、お貴族サマが絶叫する。
「ゲホッ! ゲホッ!」
むせこみながら、あたしは自分の力に驚いていた。
嘘……こんなに簡単に指剥がれちゃうの!? 筋肉って、すっごい!
さっきまで死にかけていたのも忘れて、あたしは目をらんらんと輝かせた。
体中から、力がみなぎる! そっか、筋肉って、こういう風に使えばいいんだね?
最初にあたしを殺そうとしたのは向こう。
なら、正当防衛ってことになるよね!
「よぉ~しっ! 歯ぁ、くいしばっててねぇっ!」
あたしはぐーを作ると、手を押さえて悶絶しているお貴族サマの顔に向かって、全力でパンチした。
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