第8話 初めての"おいしい"

 バフ付与は、リディルさんいわく"バフ"っていう体に良いものがごはんに付与されるらしい。そういえば、そんなスキル持ちの人がいるって、聞いたことがあるような気もする!


 私は何か変化がないか、騎士さんたちに聞いてみようと思って彼らの方を見た。けれどフィンさんは酔っぱらったテオさんに捕まって何やら話し込んでいるし、ラルスさんや他の騎士さんたちも楽しそうに盛り上がっている。


 むむ。こんなことで邪魔するのもなんだか気が引けちゃうな……。あ、そうだ。それなら、ご飯を鑑定してみよう!


 思い出して、私は心の中で「鑑定」と呟きながら作ったシチューをじっと見つめた。

 すぐさま、シチューの上にぱっと白い文字が浮かび上がる。


『ローズマリー風味ベアウルフの野営シチュー:攻撃力+5%、力+5%、防御力+5%、スキルスピード+5%』


 すごい、ちゃんと私が命名した料理名がついている……! じゃなくって、ちゃんと何やら色々上がっている! でもスキルスピードってなんだろう……?


 あいかわらず不思議な単語に首をかしげつつ、私はいったん《バフ付与:小》のことは置いておいて、シチューを食べることにした。


 騎士さんたちは普段からいっぱい食べるみたいで、鍋は巨大だしシチューもたんまりとある。これなら私がちょっとくらい食べても、全然減らなさそうだ。


 やんややんやと盛り上がっている横で、私はせっせと自分の器にシチューを盛り付け始めた。


 それから、ふと静かにしているリディルさんのことを思い出す。


 そうだ! せっかくならこのシチュー、リディルさんにも食べてもらいたい! でもリディルさんって包丁だよね? ごはん、食べるのかな……?


「リディルさん……」

『はい、何でしょうララ』


 試しに名前を呼んでみると、すぐにリディルさんから返事が返ってきた。


「リディルさんって、ごはん、食べられるんですか?」

『わたくしは剣の女神なので、そのようなものは必要ありません』

「そう、なんですね……」


 予想していたこととはいえ、返って来た返事に私はしゅんとした。


 そうだよね。リディルさんは包丁だもんね……。でも、残念だなぁ。


 私はごはんを食べるのも好きだけれど、それ以上に、作ったごはんをみんなに食べてもらうのが好きだった。

 工夫して作ったごはんを、おいしい、おいしいって言いながら食べてるみんなの顔を見ると、本当に胸がいっぱいになって幸せな気持ちになれる。だからぜひリディルさんにも! と思ったんだけれど……。


 しゅんとしていると、私の落胆を悟ったのか、リディルさんが控えめに言った。


『……必要ありませんが、食べることは恐らくできますよ』

「えっ!? 本当ですか!?」

『はい。あなたはわたくしの鞘。わたくしはあなたを通して外の世界を見ているので、やろうと思えば他の感覚を共有することもできるのです。試しにララ、わたくしに食べさせたい物の見た目と味を、頭の中で思い浮かべてください』


 言われて、私はすぐさま目をつぶった。

 頭の中に思い浮かべるのは、色鮮やかな人参とジャガイモが浮かぶ、ワイン色のこっくりとしたシチューだ。


 えーと、お肉はほろほろで、シチューはコクうまで、じゃがいもはほくほくで、それからそれから……。


 一生懸命考えていると、いつの間にか暗闇に、木の深皿に入ったシチューがぼんやりと浮かび上がっていた。

 そこにスッと白い手が伸びてくる。リディルさんだ。


『これがシチューなのですね。……今まで歴代の使い手の目を通して見たことはありますが、食べるのは初めてです。誰も、私にごはんを食べさせようなんて奇特な人はいませんでしたから』


 さらっと奇特な人呼びされている……! でも、そんなことより!


「食べるなら、スプーンがいりますよね!」


 思い出して、私は急いで木のスプーンを思い浮かべた。


『なるほど、これを使って食べるのですね。……どれ』


 言いながら、リディルさんが少したどたどしい手つきでシチューをすくう。それから美しい口元にぱく、とスプーンが吸い込まれ――。


『………………これは……!?』


 リディルさんの瞳が驚きに大きく見開かれた。


 ど、どうしよう。もしかしておいしくなかったのかな!?


 私がどきどきしながら見ていると、相変わらずたどたどしい手つきのまま、リディルさんが猛然とシチューを食べ始める。


『これはっ……もぐっ……! ララ、これは……もぐもぐもぐ……これは……!』


 白い頬を赤らめ、目をらんらんと輝かせているその姿は……多分、喜んでいるんだよね?

 私はおそるおそる聞いてみた。


「もしかして……おいしい、ですか?」

『"おいしい"! なるほど、これが、"おいしい"ということなのですね!?』


 おいしいという言葉に、まるで雷に打たれたように、リディルさんがハッと天を仰いだ。

 大きな目はこぼれそうなほど見開かれ、赤い唇はあえぐようにはくはくとしている。普段無表情にも近いと言えるリディルさんのそんな顔は初めてで、見ている私がぎょっとするほどだ。


 そんな私には構わず、興奮と恍惚が入り混じった表情でリディルさんが続ける。


『剣の女神として数え切れないほどの時を過ごしてきましたが、これが"おいしい"なのですね……!』


 なんて言いながら、一生懸命シチューを食べ続けている。

 口ぶりからして、リディルさんは生まれて初めてごはんを食べたのかもしれない。あ、口の端にシチューがついていますよ……!


『ああ……なんでしょう。口の中から、"おいしい"が全身に広がっていくようです……。こんな感覚は初めてです。まるで、わたくしが生き物として生きているような……』


 そう言ってしみじみとシチューを見つめるリディルさんに、私は力強くうなずいた。


「もちろん、リディルさんも生きていますよ! 人も動物も、みんな生きるためにごはんを食べます。つまり、食べることは生きることなんです!」


 リディルさんはごはんを食べなくても生きていけるようだけれど、ごはんが満たすのはお腹だけじゃない。


 生活が苦しくても、みんなに貧乏って笑われても、家族みんなで食卓を囲んでごはんを食べれば元気が出た。生活は大変だけれど、また明日も頑張ろうって思える。


 おいしいごはんには、そういう力があるのだ。

 きっとリディルさんも、初めてのごはんでそのことを感じ取ったのかもしれない。


「だからリディルさんも、たくさん食べてくださいね! おかわり、いっぱいありますから!」


 私が言うと、リディルさんはふふっと笑った。それから、空になった器を差し出す。


『なら……"おかわり"を頼めますか、ララ』

「はい!」


 リディルさんの言葉に、私は満面の笑みで微笑んだ。

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