第9話 ララローズ嬢は……(フィンセント視点)

 真ん丸の月が見下ろす夜。

 ララが作ってくれたベアウルフのシチューを食べ終わって皆がくつろいでいると、口に葉っぱを加えたテオがどかっと私の前に座った。


「おいフィン、それじゃ明日はボート侯爵家に行くのか?」

「ああ。聖剣がない以上、事実を確認しなければならないから」

「まあそうか。それにしてもまさか聖剣がないなんてな……。きっと勇者に抜かれたんだよな? 何十年、いや下手すると何百年ぶりだ?」


 テオの言葉に、私は考え込む。

 聖剣。それはリヴネラード王国に伝わる伝説のつるぎ

 剣を抜けるのは女神に選ばれし勇者のみだと言われ、いつの時代もその絶大な力で、魔物や魔王を打ち払ってきたのだと言う。私は呟いた。


「史実によると、最後に抜かれたのが百二十年前だな」


 最後の聖剣が抜かれて以来、魔王は誕生しておらず、リヴネラード王国を含めた大陸全土はひたすら安寧の期間を享受している。


 今回王立騎士団がここを通ったのも、聖剣に用があったわけではなくただの偶然だ。遠征の帰りにボート侯爵領を通ることがわかり、騎士団の務めとして軽く偵察に来ただけのつもりだった……はずなのに。


 まさか聖剣がないとは。


 私はふーっと息を吐いた。


 勇者の登場は、国に激震が走るほどの大事件。

 すぐさま見つけ出し、国を挙げて勇者の補佐に回らなければいけない。そもそも私たちの所属する王立聖騎士団は、そのために作られたのだ。


 考えているとテオが続ける。


「ボート侯爵はこのことを知っているのかね? 聖剣の管理って、ボート侯爵の一番大事な仕事だったよな?」

「もしかしたら、もう勇者を保護している可能性もある。何はともあれ、明日直接聞いてみよう」

「それもそうだな」


 うなずくテオを見てから、私は少し離れたところでラルスと一緒に片付けをしているララの方を向いた。


「ララ、少し来てくれないか」

「はい、なんでしょう?」


 スカートで手を拭いながら、小柄なララがこちらに小走りでやってくる。


 肩まである柔らかなピンクブロンドが、今は料理のために結い上げられており、菫色の瞳は魔法ランタンに照らされてオレンジに染まっている。


 彼女は今日、ベアウルフの集団に襲われているところを偶然助け、王都まで一緒することになった女性だ。

 男性なら放っておかないであろう愛らしく親しみやすい顔立ちで、そこを下劣なボート侯爵に付け込まれたのだろう。


「すまない。王都に戻る前に、ボート侯爵家に寄らなければいけなくなった。君をひとりで森に放り出すわけにはいかないため、同行してもらえないだろうか」

「ぼ、ボート侯爵家、ですか……!」


 途端に彼女の顔がこわばる。

 無理もない。彼女はボート侯爵の愛人にされかけたあげく、給金も支払われないまま身ひとつで森に追い出されたのだ。侯爵の顔など、二度と見たくないのだろう。


「すまない。君がボート侯爵に会いたくないのはわかっている。だから侯爵家にいる間はこれを着て、騎士たちの中に隠れていてくれないか」


 言って私は自分のフード付きロングマントを差し出した。

 これを着てフードをかぶれば、全身がすっぽりと隠れるはずだ。ボート侯爵は権威に弱い反面、後ろに立つ騎士たちには見向きもしないため、これを着ていればララだとは気づかれないはず。


「ありがとうございます! これがあれば平気そうですね」


 ほっとしたように言ってから、ララがふわりとお辞儀をした。


 ……まただ。


 その姿を、私はじっと見つめていた。


 ララは普段気さくでとても親しみやすい雰囲気であるものの、時折ふとした仕草がドキリとするほど美しいのだ。スッと伸びた背筋に、指先まで丁寧な所作は、貴族女性にも通じる品を感じる。


 出会った当初はただの街娘かと思っていたのだが……もしかして彼女は貴族の生まれなのか? だが、貴族女性が料理なんて聞いたことがない。ましてや、ララは血にまみれながらベアウルフをも平気でさばいていたのだ。


 それに、社交界で彼女を見た記憶もなかった。

 私は物覚えがよく、特に一度見た人の顔は忘れないという能力がある。社交界の令嬢や令息たちはもちろん、彼らに付き添う使用人の顔も忘れたりしない。

 そんな私の記憶をもってしても、彼女の顔には見覚えがないのだ。


「? フィンさん、どうかされましたか?」


 私がじっ……と見つめていると、気付いたララが首をかしげた。


「ああ、いや、失礼。以前どこかで君を見たことがあったかな、と思って」

「私をですか……? だとすると森とか畑とか牧場とか、市場とかでしょうか?」


 森はともかく、畑や牧場、市場に普通、令嬢はいないはず……だよな……? やはり彼女はただの街娘なのだろうか。

 考えていると、テオがばんばんと背中を叩いてくる。


「おい、フィン! なーに見惚れているんだよ。今まで貴族のご令嬢たちにもことごく無関心だったのに、珍しいなあおい」

「いや……そういうわけでは……」


 結局その日、私は何やら変な誤解をしたフィンにずっとにやにやされながら夜を過ごすことになったのだった。

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