第25話 カンクローネ風ホットサンド(フィンセント視点)
私はまず、ホットサンドから食べることにした。
バゲットパンを薄く切って挟んだらしいパンとパンの間からは、真っ赤なトマトと緑がかったソース、それからとろりとしたチーズが覗いている。このとろけ具合から見て、チーズはロッツァレラだろうか?
ひと口かじると、サクッという音とともに、あつあつとろとろのトマトとチーズが口に広がる。さらにバジルのさわやかな味と香りも広がって、ソースがバジルソースだということがわかった。
私ははふはふとほおばりながら、目を輝かせる。
「うん、おいしいな! この組み合わせは私も大好きだ」
「カンクローネ風とは意外と物知りだねえ。お嬢ちゃんはどこで料理を学んだんだい?」
隣ではドーラさんも、とろ~りとチーズを伸ばしながらホットサンドを食べている。
「村に来る行商人です。よく余った食材や痛んだ食材をゆずってもらっていたんですけれど、レシピも教えてもらっていて」
なるほど。彼女の料理知識はそんなところから来ていたのか。
聞きながら、私はまたホットサンドにかぶりつく。それから野菜たっぷりのスープに口をつけると、こちらも野菜の優しい甘みが染み出していて美味だった。
夢中で食べているうちに、みるみる体があったまってゆく。どちらもそんなに量は多くないのだが、満足感が高く、食べ終わる頃には幸せな気持ちで満たされていた。
「今日もすごくおいしかった。ありがとう、ララ」
それに気のせいか、また疲れが吹っ飛んだようだ。体が軽い。料理には、そんな精神的な効果もあるのだろうか。
私がほくほくしていると、思い出したようにララが顔を上げる。
「あっ、そうだ! ずっと聞こうと思って忘れていたんですが、フィンさんは『すきるすぴーど』って単語が何か知っていますか?」
「『スキルスピード』? ……それは勇者が使っていた呪文ではないか?」
確か記録で見たことがあるな。
なんでも、勇者がスキルスピードの呪文を唱えると、人体の限界を超えてスキルが高速で使えるようになるのだと書いてあった。
我々騎士団も戦闘中は各自のスキルを最大限使っているが、その発動スピードをさらに上げて高速で使えるようになったら……考えただけでゾクゾクしてしまう、夢の単語だな。
「って、ララは勇者が何かはわかるのか?」
「勇者は……昔お母さんがそんなおとぎ話をしていたような、していなかったような……」
返って来たのは、かなりあいまいな返事。
勇者だったら一度は聞いたことがあるかと思っていたが、これもあまり期待しない方がよさそうだな。どうやら彼女は、本当に食べ物以外興味がないらしい。……それもララらしいといえばララらしいな。
「でも、そのスキルスピードがどうしたんだ?」
「実は今、フィンさんにバフとしてスキルスピードが付与されている……みたいなんです」
「なんだって!?」
その言葉に、私はガタタッと立ち上がり、あやうく皿をひっくりかえすところだった。
驚いたララとドーラさんが、目を丸くして私を見る。
「あ、大声を出してすまない……! まさかその単語をここで聞くとは思わなくて……!」
そもそも、《バフ付与》は、スキルの中でも極めて希少なスキル。
このスキルを授かった者は王宮でバフ付与師として召し上げられ、高給取りとして一生生活に困ることはない。
それくらい、価値の高いスキルなのだ。
しかも彼女は言っていた。「スキルスピードが付与されている」と。
《バフ付与》で聞いたことあるのは攻撃力が上がったり、魔力が上がったりするもの。
それだけでも十分すごいのに、まさかあの伝説のスキルスピードが私に付与されているなんて……!
私は立ち上がると急いで食堂の外に出た。
大通りは多少剣を振り回してもけが人出なさそうなほど広々としており、私はそのことに感謝しつつ、鞘から剣を抜いた。
通行人がぎょっとした目でこちらを見るが、気にしていられない!
「《剣聖》スキル、発動!」
途端、コォオオオと私の体から白い光が発せられ、血がぐつぐつと煮え立つ感覚に襲われる。反対に体はフッと軽くなり、剣の重さも自分の体の重さも、すべての重さが消え失せる。
人々の動きは牛よりも遅くなり、緩慢な世界の中、私だけが自由に解き放たれているようだった――。
「や、やめてください。私はお使いの途中で……!」
「へへ、ちょっとぐらい付き合ってくれよ姉ちゃん――」
街角で女性にしつこく絡む男が、そう言った次の瞬間だった。
男の着ていた服にスッ……と太刀筋が走ったかと思うと、はらはらはらっ……と服が散り散りになったのだ。
現れた締まりのない裸体に、女性が叫ぶ。
「きゃあああ! 変態!」
「なんだこれ!? ち、ち、ちがうんだって!」
全身素っ裸になった男が股間を押さえて逃げて行くのを見ながら、私は剣を鞘に納めた。
先程のように、天から授かった《剣聖》スキルを発動させると、私は常人では不可能な、目にも止まらない速さで剣を振るうことができる。
しかし一度発動させた後は反動としてしばらく使えないのだが――。
……うん。この感覚なら、そう間をおかずに使える!
「二度目の……《剣聖》!」
叫ぶと、まだ体が軽い状態であるにもかかわらず、再びカッと血が全身に巡る。それは一度目の発動をさらに超える、未知の領域だった。
……すごい、思った通りだ!
いつもより少し復活が早かったおかげで、一度目のスキルが切れる前に二度目のスキルが発動できたぞ……!
私が感動してまじまじと手を見つめていると、心配したらしいララが食堂の扉からひょいと顔をのぞかせた。
「あの、フィンさん……?」
その声に、私はあわてて彼女の方を向く。
「ああ、すまない。興奮してつい……。それにしても驚いたよ。まさかララが《バフ付与》が使えるなんて。以前火と水の魔法を使っていたから、てっきり《はらぺこ》はそういうスキルかと思っていたのだが」
「それもリディルさんのおかげなんですよ。バフも、今は《バフ付与・小》のみですが、いずれ中と大も取りたいなと思っていて……」
……ん? 中と大もとる? 彼女は何を言っているんだ……?
スキルは自然に発生するものであって、自発的に選択できるなんて聞いたことな――。
そこまで考えて私ははっとした。
……いや、いる。
この世にたったひとりだけ、そんなことができる人が。
唯一“れべるあっぷ”の概念を持つ、勇者その人が。
……だとすると、やはりララは勇者で間違いないのだな……!?
私はくっとうめいて額を押さえながら、ララに聞いた。
「その……ララ。念のため、念のためだ。……ひとつ聞いてもいいだろうか」
「はい、なんでしょう?」
「これは決してやましい気持ちがあったり、君の外見がどうこうという理由ではない、あくまで形式上の、書類に書くために必要な確認なのだが……」
「はい……?」
山ほど前置きをつけてから、私は慎重に尋ねた。
「その……君の性別は、女性……であっているだろうか?」
おそるおそる尋ねると、ララは目をぱちぱちとさせた。
澄んだスミレ色の瞳はアメシストのように輝き、それを彩るストロベリーブロンドの髪も、これ以上ないくらい華やかで可愛らしいと思う。
そんなララが……まさか……ないよな……?
ドキドキと見つめる私の前で、ララはにっこりと微笑んだ。
「はい! 女です!」
その言葉に、私はほーっと息をついた。
よかった。彼女が女性で。そして嫌な顔をされなくて……。
それにしても、ララが女性となると前代未聞だな。
これは一刻も早く陛下に相談をしなければ……。
そして陛下が正式な決断を下すまで、しばらく聖剣や勇者のことはララに説明しないでおこう。
今後の見通しも立っていない状態で、食堂を始めようと奮闘している彼女を変に動揺させたくなかった。
そう決意しながら、私は話を変えた。
「ところでララ。食堂の開店はいつになるんだ? 本格的に忙しくなる前に、この街を案内しようと思って」
……おほん。
冷静な自分が、「そんなことをしている場合ではないのでは!?」と言っているのが聞こえるが、彼女が勇者であることと、彼女に街案内をすることは別だ。
私は自分にそう言い聞かせながら、しっかり彼女の予定を聞き出していた。
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