第11話 まさか男爵令嬢だったとは(フィンセント視点)
もしやまたボート侯爵か? と思って警戒しながら扉を開けた先には、頭にすっぽりとフードマントをかぶって、マグカップを持ったララがいた。
私はぎょっとした。
「ララ……!? こんな時間にどうしたんだ!?」
以前、私と既成事実を作りたがった令嬢が部屋に忍び込んできたことはあったが、普通そんな状況でもない限り、女性がひとりで男性の部屋にやってくることはまずない。
外聞を何よりも大事にする令嬢たちにとって、男性とふたりきりになっただけでも大変な醜聞なのだ。
もしや街の娘たちはそういう価値観ではないのか? いや、でも女性がこんな夜更けに男性の部屋に来るのは危険のはず……。
「実は前の同僚さんが私に気付いてくださいまして、こっそり厨房を貸してもらったんです。フィンさん、今日ここに来てからずっと難しい顔をされていましたから、はちみつ入りホットミルクでもどうですか?」
私の動揺をよそに、ララはにこにこしながら白いミルクがたっぷり入ったマグカップを差し出してくる。
その顔に、以前忍び込んできた令嬢のようなギラギラした雰囲気も邪気もない。彼女は純粋に親切で持ってきてくれているようだ。
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして! では、他の皆様にも飲み物をお届けしてきますね!」
「待て!」
すぐに身をひるがえそうとしたララを、私は急いで引き止めた。
「その……君は知らないようだが……この時間に、女性がひとりで男の部屋に行くのは危ないからやめたほうがいい。騎士たちは手を出したりしないだろうが、君が自分に好意を抱いていると勘違いされるかもしれない」
途端、ララの顔が青くなった。
「ご、ごめんなさい……! そっか、普通、そういう意味になるんですね……!? 教えてくださってありがとうございます。これからは気を付けます……」
どうやら本当に知らなかったらしい。
ララに変な下心がないことを知ってほっとしたような、同時に少し残念なような……。って残念? なぜ私はそんな考えが出てきたんだ?
考えていたらララがそのままトボトボと自分の部屋に戻ろうとしていたため、私は思わず彼女を引き止めた。
「ララ、少し話をしないか?」
「話ですか? はい、何でしょう?」
私がうながすと、ララは大人しく私の部屋に入った。
……こうもあっさり男性の部屋に入ってしまうなんて、やはり彼女は警戒心というものがないようだ。とは言え、警戒されたらされたで困るのだが……。
おほん、と咳払いしながら、私はララと向かい合って椅子に座ると話を切り出した。
「ボート侯爵のことだ。先ほど侯爵が、君へのお詫びとして見舞金を出すと言っていた。お金は私が預かって君に渡そう。そうすれば君は侯爵と顔を合わせなくてすむ」
「本当ですか!?」
見舞金という言葉に、パァッと彼女の顔が明るくなる。
「よかった、これで実家に仕送りができます……!」
「仕送り……? ずっと気になっていたんだが、君の家はどこに? ご両親は何をしている人なんだ?」
何気なく尋ねたつもりだったのだが、私の質問にララがサァーッと青ざめた。それから目をそらして、ぷるぷると震えだす。
「そ、その……」
それから彼女は勢いよく頭を下げた。
「……ごめんなさい! 騙していたわけじゃないのですが、実家はコーレイン男爵家なんです!」
「コーレイン男爵家? というと……カシュズル地方に領地がある、あの?」
ではやはり、彼女は貴族の令嬢だったのか! ……だいぶ規格外ではあるが。
私が驚きながら聞くと、どうやらコーレイン男爵家は借金で、今は食べるものにも困るほどの貧乏らしい。彼女が社交界に来たことがないというのも家計状況が影響していると聞いて納得した。道理で一度も見たことがないわけだ。
「そうか。令嬢でありながらそんな苦労を……大変だったろう」
「それほどでもないんですよ。お義母様に教育も施してもらいましたし、運のいいことに体はすっごく丈夫なので、バリバリ働けるんです!」
「そういえば王都で職を探すと言っていたな。何か伝手はあるのか?」
その質問に、ララは照れたような、困ったような笑みを浮かべた。
「いえ、実は何も……。でも王都なら広いですし、私の《はらぺこ》スキルでも気にしない方がいるかも、と期待しているんです」
「へぇ、《はらぺこ》スキルは初めて聞いたな。そのスキルはそんなに不利なのか?」
私は興味深くララを見つめた。
私は《剣聖》というスキルを授かっているし、テオは《狂戦士の魂》、少し変わったスキルだとラルスの《ものまね》があるが、《はらぺこ》は確かに初めて聞く。
「貴族の方々には『卑しい』と笑われてしまいましたが、実際どういう効果があるのか、はっきりしていないんです。ボート侯爵家でも本当は念願だった厨房の仕事に就く予定だったのですが、直前になって侍女に鞍替えすることになって……」
厨房仕事、という単語に私はあることを思い出した。
「料理か。それなら、私が紹介できるかもしれない。王都に騎士団がよく行く酒場があるんだが、そこで先日働き手を募集していたはずだ。もちろん、怪しい店ではない」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
私の言葉に、ララがぱっと顔を輝かせて頭を下げた。
その笑顔はまるで花が咲いたように明るく可憐で、一瞬でその場が華やいだ気がした。
……こんな屈託ない笑顔を向けられたのは久しぶりな気がするな。
社交界で私に近づいてくる女性は、皆打算的でぎらぎらした人ばかり。隙あらば体に触れてこようとするし、向けられる笑みも媚びがべったりと浮かんでいる。
元々女性に興味が薄かった私はそれにうんざりして、夜会などは極力避けるようになっていたのだが……。
「あ、フィンさん。冷めるとよくないので、ミルクは早めに飲んでくださいね。はちみつが入っているので、夜はぐっすり眠れるはずですよ!」
言われて、私ははちみつ入りミルクをひとくち飲んだ。
ミルクはあたたかく、そしてほんのりと口に優しく広がるはちみつ味が、どことなくララを思わせた気がした――。
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