第87話 ……うん。私も断れる気がしない!

「ここに来た時、エルピディオ大神官は言っていたな。『何か足りないものや必要なものがあったら、いつでも手伝いの神官に伝えてくれ』と。――今こそその時ではないか?」

「言っていましたが……足りないものとは?」


 私が首をかしげる前で、フィンさんがお手伝いの神官さん――名前はブラウリオさんと言うらしい――を呼んでいる。


「君、ひとつ頼まれてくれないか」

「はい。なんでしょうか」

「実は――今あそこに座っているふたりの聖者がいるだろう。彼らについて記載されている名簿を持ってきてくれないか?」

「えっ」


 フィンさんの言葉に、ブラウリオさんはびっくりしたようだ。


「で、ですがそれ名簿は極秘情報でして……! おいそれと外部の方に見せられるものでは……!」


 どうやらフィンさんが要求しているの名簿というものは、なかなか大変なものらしい。

 たじたじになるブラウリオさんに、フィンさんがにっこりと微笑みかける。


「すべての記録でなくていいんだ。ただ、彼らの出身地、家族構成、それからどういう家庭で育ってきたのか……その部分だけでも無理だろうか?」

「う、うーん……私の一存ではなんとも……」


 ブラウリオさんはまだ渋っているようだった。

 フィンさんが、さらに一歩ブラウリオさんに近づいて行く。

 そうすると伏せ気味の青い瞳に長いまつげがかかり、フィンさんの優しい微笑みとあいまって、なんとも言えない色気が辺りにただよいはじめた。


「その情報を悪用する気はないよ。ただ……私たちは、彼らのためにおいしい料理を作りたいんだ。彼らを元気づける料理。その手掛かりが名簿に載っている気がするんだ。もしどうしても心配と言うのなら、エルピディオ大神官に確認してくれ。きっと彼ならオーケーを出すだろう。――頼む、君にしかできないことなんだ」


 それから……フィンさんがブラウリオさんに向かってとびきり優しく微笑んでみせた。

 光を受けた紺色の髪がさらりと揺れ、鮮やかな青の瞳が夜空に浮かぶ星のようにきらりと揺らめく。

 優しく、それでいて甘い微笑みは、まるで冬の終わりに訪れた初めての春の日差しのようで。


 っ!? フィ、フィンさんがまたとんでもない威力の笑顔を放っている!


 私がそう思った次の瞬間、ブラウリオさんが大きく目を見開き、ポッ……と頬を赤らめたのがわかった。


「わっわかりました! 騎士様がそこまで私たちのことを考えてくださっているのに、私がためらっている場合ではありませんでしたね! ぜひとも私にお任せください!」

「ありがとう。君と仕事ができて私は幸運だ」


 それは、ブラウリオさんを打ち落とすのに十分なひと声だった。


 ハッ……! とブラウリオさんはが息を呑んだかと思うと、そのままポーーッとフィンさんに見惚れ続けているのだ。……あ、口の端からちょっとよだれがでそう。

 わっわぁ……!


 私はその光景を見て震えていた。


 ブラウリオさんは男性なのに……! 男性をも虜にしてしまうフィンさん、なんて罪深い……!


 その後すさまじい速度で大神殿を走っていくブラウリオさんを見ながら、フィンさんは嬉しそうに言った。


「彼がとてもいい人で助かったな。これで少しは糸口が見つかるといいのだが」


 フィンさんの言葉に私はキュッと口を結んだ。


 う、うーん。あの神官さんはもちろんいい人なんだけど……でも私が頼んでも引き受けてもらえなかった気がするなぁ……!?


 ドキドキしながら見ていると、静かだったリディルさんがぼそりと呟いた。


『……ララ、この騎士、もしや魔性の属性をもっているのですか?』

「どっどうでしょう……!?」


 今まで、ずっと私が頼む側ばかりだったから全然気づかなかったけれど、フィンさんが人に頼む時ってあんな風に言うんだ……!

 優しく、穏やかに、それでいてこちらを信じているような言葉を、あの恐ろしく端正な顔立ちで言われたら……!

 ……うん。私も断れる気がしない!


 私はあっさりと負けを認めた。

 リディルさんの言う通り、フィンさんはああ見えて魔性なのかもしれない。


 でもいいんだ。フィンさんはその魔性の笑顔で、悪いことを企んだりするような人じゃないから……。


 謎の言い訳を心の中でしながら、私はまずは本命が出来上がるまでの繋ぎとしてフライドポテトを作り始めた。

 そうしてさぁポテトを竈に入れよう……という段階になって、ついさっき出発したばかりのはずの神官さんが戻ってきたのだ。


「フィンセント様! 持ってきました!」


 えっ!? はやっ!?


 その言葉に私がぎょっとする。

 だって、この広い大食堂内、そしてこの広い大神殿内だ。行って戻るだけでとてつもなく時間がかかりそうだから、その間に軽い前菜でも出そうかと思っていたところだったのに!


「もう持ってきたのか? 君はとても優秀なんだな」


 言いながらフィンさんがにこりとまた微笑んでいる。


 あっ……あーーーーあれは絶対、だめなやつ……! 沼に引きずり込んで、帰ってこれなくなるやつ……!


 そう思いながらブラウリオさんを見ると、案の定神官さんは持ってきた名簿を抱えたまま、ふるふると震えていた。目が、よくテオさんを見ているセシルさんのように、完全にハートになっている。


 わっわぁ……。


『あれは完全にやられていますね。騎士の笑顔に』

「そうですね……!」


 リディルさんの冷静な声に、私はうなずくしかなかった。

 そうしている間に、ブラウリオさんが瞳をうるませながらもじもじし始める。


「ふぃっ、フィンセント様に褒めていただけるなんて、恐悦至極……! 私、そのお言葉を一生忘れません……!」

「一生だなんて大げさだな。私は事実を言ったまでだよ」


 言いながらフィンさんがぽんっ、と彼の腕を叩いた。


「あぁっ!」


 その瞬間、神官さんがその場にドシャッと崩れ落ちた。

 ……多分感動で崩れ落ちたんだと思う。そんな気がする。


「君! 大丈夫か!?」


 フィンさんがあわてて駆け寄ると、ブラウリオさんはふるふると震えていた。


「いえ、すみません、ちょっと威力が、すごすぎて……」

「威力とはなんだ!? それより君は大丈夫なのか!? 体調が悪いのならすぐ休むべきだ!」


 なんて言った次の瞬間、フィンさんはブラウリオさん(男性)をグワッ! と横抱きした。――いわゆるお姫様だっこである。


「!?!?!?!?」

「医務室はどこだ? 私が連れて行こう」


 フィンさんがあわてた顔でブラウリオさん(男性)に声をかけている。

 それは、頬に吐息がかかるぐらいの超至近距離で。


 ――つまり。


「ふぃふぃふぃふぃふぃふぃフィンセント様のお顔がこんなに近くにっ……! しかもお姫様抱っこ……! 私の人生に悔いなし――」


 ブラウリオさん(男性)の顔がみるみるうちに赤くなったかと思うと、彼はカクッと意識を失ったのだった。


「おいっ! 君っ!」


 フィンさんが必死に呼びかけてみるものの、返事はない。

 ……でも気絶しているブラウリオさんの顔は、すごく幸せそうだなぁ……。

 席で座っているはずの聖者さんたちも、こちらを見ながらボソボソと呟いていた。


「……ねぇあれ絶対、尊死とうとししていますわよね?」

「すげ……。イケメンこわ」


 聖者さんたちはいたって冷静だ。

 一方のフィンさんは真剣な表情で叫んだ。


「くっ! こうしてはいられない。誰か医務室の場所を教えてくれ!」


 そこに、他のお手伝いの神官さんたちがわらわらと駆け寄ってくる。


「あの、大丈夫です騎士様。彼なら我々が医務室に連れて行きますので……!」

「だが!」

「それよりも、騎士様はララローズ様とともに、出張食堂のお仕事を。それらは我々にはできないことですので……!」


 神官さんたちの言葉に、フィンさんがぐっと口をつぐむ。


「確かにそれもそうだな……。すまないが、彼のことはお願いできるだろうか」

「はい!」


 神官さんたちは周囲の人の手も借りて、ブラウリオさんを運んでいく。

 やがて厨房の中には私とフィンさんのふたりになった。


「彼のことも心配だが……あまりお客さんを長く待たせるわけにもいかない。ララ、さっそく彼が持ってきてくれた資料を見よう」

「はい!」


 私はフィンさんとともに、聖者さんおふたりの名簿を見た。






***


イケメンって罪ですね……………………(しみじみ

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