第2話 すきるつりーって何ですか?

 ど、どこから聞こえているの、この声!?


 急いで見回しても、辺りには私以外誰もいない。それに、声は頭に直接響いてきている。


 思い当るものがあるとすれば……もしかしてこの包丁!?


 おたおたしていると、さらに頭の中に綺麗な声が響いてくる。


『おや……。これはまた、ずいぶんと若い女性でいらっしゃるのですね。……なるほど、《はらぺこ》スキル持ちと。おもしろいです。今世でなぜ包丁の姿になったのかずっと不思議でしたが、あなたが主人ならば納得も行きます』

「あの、えっと、はい……?」


 話についていけないまま、包丁さんが淡々と、それでいながらどこか興奮したように続ける。


『自己紹介が遅れましたが、わたくしは剣の女神リディル。あるじのお名前は?」

「えっと、私はララローズ、です……。みんなララって呼びますが……」

『ララローズ。いい名ですね。では主ララよ、早速わたくしと、世界平和を目指して、魔物を斬って斬って斬りまくりましょう!』

「えええっ!?」


 突然出て来た単語に私はぎょっとする。


 せ、世界平和!? 魔物を斬りまくる!?

 この包丁さん、淡々とした口調でとんでもないことを言い出した! 

 今の私は世界平和どころか、毎日食いつないでいくだけで必死なのに……!


 私はあわててリディルさんに言った。


「あの……ごめんなさい! せっかくのお誘いなのですが、人を間違えていると思います! 私に切れるのは食材だけで、魔物なんてとても……!」


 もしかしたらリディルさんは、この包丁の落とし主と私を間違えているのかもしれない……!


 けれどそんな私の予想とは反対に、リディルさんがきっぱりと断言する。


『いいえ、間違えておりません。わたくしの主は確かにあなたです』

「そ、そうなんですか……?」

『なぜなら、わたくしたちは既に魂の絆を結んでおりますからね。たとえあなたがここにわたくしを置いていったとしても、わたくしはすぐにあなたのところに飛んでいくことができますよ。だって、魂が繋がっておりますから』


 リディルさんは、なぜかすっごく得意げな口調だった。


「た、たましい……?」

 

 私はと言えば、突然出てきた不思議な単語についていけていない。でもどうやら人違いというわけではないらしい。一体、どうして……?


 首をかしげていると、不意に後ろからガサリと音がする。


 釣られて振り向くと、茂みの中からよだれを垂らした狼型の魔物が顔を覗かせていた。

 血塗られたようにぎらぎら光る赤い瞳に、口から覗く鋭い牙。


「べっ、ベアウルフだあああ!」


 その姿を見て、私はリディルさんを抱えて叫んだ。


 ベアウルフは魔物の中でもかなり狂暴で、絶対に遭遇したくないうちの一匹。なのに、まさかこの森に生息していたなんて! まだお守りも発動させてないのに!


「にに、逃げなきゃ!」

『待つのです、ララ。ここはわたくしに任せなさい!』


 涙目で逃げ出そうとしていたら、リディルさんが力強い声を上げた。


『さぁ、恐れずにつるぎを構えるのです! あなたにはわたくしの加護がついているのだから!』


 つ、剣っていうか……リディルさん包丁ですよね……!?


 でも、私が走って逃げたところできっとベアウルフはすぐに追いついてくるだろう。それなら、リディルさんを信じるしかない!


 私はぎゅっと口を引き結ぶと、ぶるぶる震えながらリディルさん包丁を構えた。

 それと同時に、あたりによだれをまき散らしながらベアウルフがとびかかってくる。


「グガアアア!!」

「きゃあああっ!」


 でもやっぱり怖い!!!


『ララ! 目をつぶってはいけません!』


 リディルさんの叱咤が飛んできたと思った次の瞬間――ザシュッ! と小気味いい音がして、一歩も動いていない私の前でベアウルフが真っ二つになった。


「えっ……えっ!?」


 どうやったのか、気付けば一滴の血も飛び散ることなくベアウルフが私の左右に転がっている。しかもリディルさん自身も、刀身に汚れはひとつなくぴかぴかのままだ。


『ふふ、どうですかわたくしの力は。これくらい簡単ですよ』


 すぐに得意げなリディルさんの声が聞こえてきて、私は拍手をした。


「すごい! すごいですリディルさん!」

『わたくしは剣の女神。これくらいはお手の物です。……まぁ、本当はあなた自身が斬った方がよいのですが……』


 言いながら、目はないけれどリディルさんがちらちらとこちらを伺っている気配がして、私はあわてて否定した。


「わ、私はただの一般人なので、食材しか切れませんよ……! それよりもあのう……リディルさん、こんなに強い包丁さんなのに、私が主人でいいのですか……?」

『もちろんです。先ほども言った通り、わたくしたちの絆は既に繋がれておりますからね』


 どうやら、リディルさんの決意(?)は固いらしい。

 なら、命を助けてもらったし、リディルさんがそこまで言うのであれば……!


 私は覚悟を決めると、包丁リディルさんに向かって深々と頭を下げた。


「わかりました! ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いいたします!」

『はい。よろしくお願いします、ララ』


 嬉しそうなリディルさんの声を聞いて、私はふふっと笑う。


 まさかこんな変わったお友達ができるとは思っていなかったけれど、これも何かのご縁だ。大事にしよう。


「あっ、リディルさん。寒くないですか? 私、鞘を持っていないないので、スカーフで包みますね!」


 言うなり、私は鞄からごそごそとスカーフを取り出そうとした。

 けれど、その言葉をリディルさんがさえぎる。


『鞘などいりませんよ。いえ、しいて言うなら……わたくしの鞘はあなたです。ララ』


 言うなり、リディルさんがパァアッと白く光り始めた。やがて真っ白な光になったリディルさんが、すぅぅうと私の体内に吸い込まれる。


「わぁ、すごい! これなら鞘いらずですね!」

『驚くのはまだ早いですよ。わたくしの本領発揮はこれからです。あなたにスキルツリーを見せてあげましょう!』

「すきる……つりー?」


 突然出てきたのは、まったく聞いたことのない単語だった。


『百聞は一見に如かず。さぁ、ララ。目をつぶってごらんなさい』


 リディルさんに言われるがまま、私は目をつぶる。


 すると――。


「わわっ!? なんですかこれ!?」


 暗闇の中では、たくさんの光る銀貨のようなものが浮かんでいた。

 銀貨の表面には様々な柄が書いてあり、一番真ん中にある銀貨を中心にたくさん枝分かれして、巣を張り巡らすように、すべての銀貨が線で繋がって広がっている。


 そこへふわりと舞い降りたのは、暗闇でもほの明るく光る、全身真っ白な綺麗な女の人だ。切れ長の目にまつ毛がバサバサついて、ツンと尖った鼻先もふっくらと膨らんだ唇も、全部お人形さんみたいに美しい。


『ふふ。驚きましたか。わたくしの加護とララの《はらぺこ》が掛け合わさった結果がこれです。見たことのないスキルばかりで、わたくしも大変驚いていますよ』


 ……あれっ!? この声はもしかして、リディルさん!? すごい美人さんだあ……!


 私が見惚れていると、リディルさんの白魚のような手が、いくつかの銀貨を指さした。


『しかし《浄化》や《バフ付与》、《火魔法》などはいいとして……なんでしょうこの《短冊切り》というのは。それにもっとわけがわからないのは、この《ポン酢生成》と《プロテイン生成》です。こんなの初めて見ました。錬金術で使う薬剤でしょうか?』

「ポンズ……? プロテイン……?」


 聞いたこともない不思議な単語に私は首をかしげる。それから別の銀貨に気付いて、あっと声を上げた。


「あの! ここに書いてある《砂糖生成》って、もしかしてお砂糖が作れちゃうんですか!?」

『そういうことですね。ですがこれはスキルツリーなので、《砂糖生成》スキルを覚えるためには、まずその前にある《塩生成》を覚えないといけません』

「えっ!? これ全部、スキルなんですか!?」


 普通、スキルというのはひとりにつきひとつしか授けられない。

 複数のスキル持ちなんて聞いたことがないし、ましてやスキルツリーなんて代物は初耳だ……!


『ふふふ。それこそがわたくしの加護なのですよ。さぁ、まずは基礎となる《包丁使い》のスキルをあなたに授けましょう。……あまり緊迫感のない名前ですが、これはララの基礎であり、源ですからね』


 リディルさんが手を組んで祈ると、包丁が描かれた銀貨がパァアッとひときわ強く光り始める。


『さぁ、これでララは《包丁使い》になりました。包丁を使えば使うほど経験値が溜まります。その経験値を使って、どんどん新たなスキルを覚えていきましょう!』


 わぁ……すごい!

 私はぱちぱちと拍手をした。


 魔物退治って言われた時はどうしようかと思ったけれど、包丁を使うってことは、普通にごはんを作っていればいいんだよね? それなら私にもできそうだし、何より塩とか砂糖を自分で作れるようになれば……すっごく助かる! それを売って、家に仕送りもできるかもしれない!


『ララ、早速使ってみてはどうですか。ちょうどそこに、先ほど斬ったベアウルフが残っていますし、あれで試し切りしては』


 指し示されるまま、私はベアウルフを見た。


 そういえば今までベアウルフを食べる機会はなかったけれど……ついに機会が巡って来たのかもしれない! ベアウルフって一体、どんな味なんだろう……!


 ごくり。私の喉がなる。


 実家にいた頃は節約のため、さんざんキラーラビットを罠で倒して食べてきたから、応用すればベアウルフもさばけると思う。まずは皮を剥いで、内臓を取って血抜きもしないと……!


 私がベアウルフを解体する算段をつけていると、ふいにリディルさんがハッとしたように声をあげた。


『いけません、ララ! 囲まれています!』


 リディルさんの鋭い声が飛んできて、私が顔を上げた時にはもう遅かった。


 いくつもの赤い瞳に、鋭い牙。

 茂みから姿を現したのは、ベアウルフの集団だった。

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