第44話 とろとろタマゴの目玉焼きパン

「いらっしゃいませ! 『れべるあっぷ食堂』へようこそ!」


 朝、『れべるあっぷ食堂』の営業は、私の声とともに始まる。

 本当はリナさんやセシルさんに任せてもいいんだけれど、これだけは朝の儀式としてずっと続けているの。それにお客さんの顔を見てしっかり挨拶する唯一の機会だから、これからも大事にしていきたいなって思っている。


「やぁ、ララちゃんおはよう! 朝から元気だな」

「今日もおいしいもの頼むぜー」

「ここのごはんを食べて一日を始めると、元気が出るんだよねぇ」


 なんて言いながら、すっかり常連となったお客さんたちがぞろぞろと中に入る。挨拶を交わしながら、私は笑顔で言った。


「そういえば、今日からお持ち帰りメニューも始めたんですよ!」

「お持ち帰り?」

「はいどーぞ! これがメニューだよ!」


 すかさずリナさんが、サッとメニューを差し出す。

 メニューにはこう書かれていた。


『お持ち帰り始めました。とろとろタマゴの目玉焼きパン。早めにお召し上がりください』


 と。


 おじさんが武骨な指であご髭を撫でながら目を細める。


「へぇ……目玉焼きパンか」

「はい!」

「朝にはぴったりだが……いささかシンプルすぎやしないかね」

「サッと作れて、サッとお出しするものですから」


 持ち帰りメニューはみんながあっと驚くようなものではなく、極力シンプルなものをあえて選んでいる。だからおじさんの反応が芳しくなくてもへいちゃらだった。

 私が微笑むと、おじさんは「ふぅん」と言って続ける。


「申し訳ないけど、俺はせっかく来たんならもっと別のものを食べたいかな」

「大丈夫ですよ。これはお持ち帰りごはんですし、食べたいものを食べていってくださいね!」


 なんて言って、私は厨房に入った。

 そのままトントントントンと包丁を振るっていると、駆け寄って来たセシルさんが目を輝かせ、高らかに声を張り上げる。


「とろとろ卵のめだまやきパン一枚、お持ち帰りのご注文が入りましたぁ!」


 その声に、食堂内の視線が一斉にセシルさんに集まった。


 私が見ると、セシルさんはぱちんとウィンクをする。どうやら、わざと注目を集めるように大きな声を出してくれたらしい。

 さすが元売れっ子娼婦さん! お客さんの視線や注目の集め方をよくわかっている……!


 私はその応援が嬉しくなって、満面の笑みで微笑んだ。


「はい! 少々おまちください!」


 よし、早速一枚目の注文だ!


 私は腕をまくって、準備を始めた。


 まずは朝一でパン屋さんから仕入れた、ふっくらこんがり山型に焼けた四角いパンを、リディルさんでサクッと一枚分切り取る。


 贅沢に、分厚く切られたパンは、まるでふっかふかのお布団のよう。

 その真ん中を指でぐいぐいと押して少し凹ませてから、表面全体にサッと少量のバターを塗る。


 そしてふかふかのお布団パンで寝るのは、これまた朝届けられたばかりの新鮮タマゴ。カシャッと音を立てて割ったタマゴを、お布団の真ん中にぽとりと落とす。


 その上に粗びきの黒胡椒をパラパラと振りかけたら、次は一番大事な作業だ。


 パン布団の上でゆらゆら揺れる卵がこぼれないよう、そーっとそーっと竈に運ぶ。


 そして卵とパンにじっくり火が通るのを見守って、頃合いが来たら――完成だ!


「できました! 『とろとろタマゴの目玉焼きパン』です!」


 お皿の上で輝くのは、つるんとした黄身が目にも鮮やかな目玉焼きパン。

 仕上げにほんのすこしだけ化粧用のオリーブオイルをかけると、輝きを増した黄身がつやつやと光る。


 周囲で見守っていたお客さんが、ごくりと喉を鳴らした。


「はぁい、お届けしまぁす」


 それを、セシルさんが食堂内のみんなに見せびらかすように高く掲げながら、意気揚々と歩いて行く。


 目玉焼きパンを注文してくれたお客さん第一号は、ドーラさんが守る会計台の隣に立っていた。

 お皿に載せて運ばれてきたパンを見て、サッと顔を輝かせる。


「うわ……! 仕事先についてから食べようと思ってたんだけど、なんだこの艶! 俺、朝ごはん抜いてきてたんだよな……。だめだ我慢できない、ここで食べてもいいかばあさん!?」

「ばあさんじゃなくてドーラって呼びな。これは持ち帰り品だし、立ち食いでいいんならどこで食べようとお前さんの自由だ。ただし皿は後日返してくれよ」

「やった! それじゃ、いただきまーすっ!」


 言いながら、お客さんはあーんと大きな口を開けて、目玉焼きパンにかぶりついた。それから――。


「おっとと! 黄身が!」


 かぶりついた目玉焼きからとろぉりとこぼれて来たのは、黄金のように輝く黄身。

 こぼさないようにパンを傾けると、黄身はとろとろ、ゆっくりと、パンの上を伝っていく。


 そこに、もう一度お客さんがかぶりついた。


「んんっ! んまい!!! 黄身が白身やパンと混ざって、なんってまろやかな味わいなんだ……! シンプルだからこそわかるぞ! この黄身が、何よりの調味料だ!」


 なんて言いながら、はぐっ! はぐっ! とものすごい勢いで食べている。

 周りで見ているお客さんが、もう一度ごくりと唾を呑んだ。


「お兄さん、感想がおじょうずぅ! 詩人さんかなにかぁ?」


 とセシルさんが褒めている横で、近くに座っていたお客さんがそっと身を寄せてくる。


「僕もあれ食べたいんだけど、持ち帰りじゃないとダメ?」


 その言葉に私はにこっと微笑んだ。


「いいえ、食べられますよ! 食堂内で食べるならサラダもついてきます!」

「じゃあそれひとつ頼む!」

「はい!」

「あっ待って。俺もそれひとつ!」

「あのさ……俺もそれいいかな?」


 最後に言ったのは、先ほどメニューを見て「別のものを食べたい」と言っていたお客さんだ。

 目が合うと、彼は恥ずかしそうに鼻の頭をかいていた。


 ふふっ。やっぱりみんな、目の前で食べているのを見ていると食べたくなるよね。

 わかるなぁ、その気持ち。


 私はまたにっこりと微笑んだ。


「はい! みなさん目玉焼きパンひとつですね!」

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