第39話 それぞれの道

「あんたたちをウェイトレスとして雇うってどういうことだい!?」

「そうですよ! リナさんたち、お仕事はどうするんですか!?」


 面食らった私たちに向かって、セシルさんがにーっこりと笑う。


「実はぁ……セシル、昨日でお店、やめてきちゃったの!」

「えええ!?」

「ついでにリナちゃんも引き抜いてきちゃったぁ」


 なんてことのないように言いながら、セシルさんはうふっと微笑んだ。驚いたドーラさんが、目を丸くする。


「やめてきたって……あんたたちは普通の職とはわけが違うんだよ!? 娼婦がそんな簡単に仕事をやめられるのかい!? しかも、そっちのお嬢ちゃんまで一緒だなんて……!」


 えっ。そうなの? 娼婦って、簡単にやめられないの……?


 なんとなくの知識しか知らなかった私の前では、セシルさんが指を組んできゃらきゃらと楽しそうに笑っていた。


「そうなのぉ、大変だったのぉ。でもセシル、実はちょーっとばかり貯金があってぇ。だからそのお金で、セシルとリナちゃんのこと、自分たちで身請けしちゃったんだぁ」

「そう! セシルさんが、あたしの足りないお金まで払ってくれたの! もう、一生ついていくって感じ!」


 隣ではリナちゃんも、うんうんとうなずいている。

 それを呆れた顔で見ているのはドーラさんだ。


「しちゃったんだ、って……! よく娼館の主が許してくれたねぇ……」


 どうやらドーラさんの口ぶりからして、娼館はそのあたりとっても厳しいらしい。事情を知らない私が口を出すのもよくないかな、と思ってじっと話を聞いていると、セシルさんがきらりと瞳を輝かせながら続ける。


「うふふ。本当は自分でお金出してもダメ! って言われたんだけどねぇ……」


 言いながら、セシルさんは白い手で拳を作り、トンッと机を叩いてみせた。


「オーナーの机を拳でまっぷたつにしたら、許してくれたのぉ」


 ……え? 机をまっぷたつ……?


 最初、私はすぐにその言葉の意味を理解できなかった。だってこんな可愛い見た目をしたセシルさんの口から出たとは思え言葉だったんだもの!


 絶句する私の前では、ドーラさんもあんぐりと口を開けている。


「机って……娼館ともなればここにある机より何倍も丈夫なものだろうに……!」

「大きくてツヤツヤしたエボニー黒檀の机だったよ! ねっ! セシルさん」

「えええ!?」


 エボニーといえば、あのものすっっっごく硬い木材!

 それを、こんな華奢なセシルさんが!?


「なんかぁ、かるぅく脅かすつもりだったんだけどぉ、想像以上にバキバキってなっちゃった!」


 ひえぇっ!? エボニーがバキバキになるってどういうこと!?


「なっちゃったじゃないよ、まったく……」

「オーナー、顔真っ青にしてた! 多分、命の危険を感じたんだと思う」


 確かに、目の前でエボニーの机を真っ二つにされたら怖い。

 しかもそれをやったのが、愛くるしい見た目のセシルさんだったら、なおのこと……!


 その光景を目の当たりにしたオーナーにちょっとだけ同情していると、ドーラさんが、ふむぅと腕を組んで続けた。


「なるほどねぇ。まぁ、それなら少し納得がいったよ。だけど、ここは食堂だ。娼館と違って高い給料なんか出せやしないよ? それにここにいる以上、もう娼婦の仕事をするのも禁止だ。それでもかまわないのかい?」

「大丈夫でぇ~す! もともとセシル、そんなにお金使う方じゃないしぃ」

「あたしも!」


 きらきらした目で身を乗り出すリナさんとセシルさんを見て、ドーラさんがはぁとため息をついた。


「まぁちょうどそろそろ人を雇おうと思っていたところだから、ひとりでもふたりでもいいけどさ……なんでここにしたんだい? あんたたちなら、もっといくらでも仕事があるだろうに」

「それはねぇ」


 言って、セシルさんが人差し指を口に当てた。


「セシル、昨日死にかけたでしょう? それで思ったの」


 セシルさんの青い瞳が、差し込んできた日光を受けてキラキラと輝く。


「王子サマはぁ、こっちが迎えを待っているだけじゃダメなんだって。王子サマは……自分の手で捕まえなくっちゃって!」


 言って、セシルさんは恥ずかしそうにキャッと頬を赤らめた。


 王子サマ? もしかしてセシルさんには、誰か好きな人でもいるのかな?


 その隣では、リナさんももじもじと手をいじっている。


「あた……あたしはね……本当はずっと、料理をしてみたくって」

「えっ!?」


 料理!


 その言葉に目を輝かせたのは私だった。


「リナさん、料理に興味があったんですか!?」

「う、うん……。だからここなら、あたしでも料理教えてもらえるかもって思ったんだけど……。や、やっぱ変だよね。あたしなんかが料理したいって言ったらさ」


 そう言って恥ずかしがるリナさんの両手を、私は鼻息荒くがしっと握った。


「全然変じゃないですよ! ごはんはすばらしいものです! 一緒に料理しましょう!」


 そういえば、三人の中で唯一、リナさんだけはぷろていんの味の違いを感じとっていた。そんな鋭い味覚を持つリナさんなら、料理人にぴったりだと思う!


「ほお。そっちのお嬢ちゃんは厨房希望か。いいよ、ちょうどララにもお手伝いがいた方がいいと思っていたところだ」


 ドーラさんの言葉を、私はうんうんとうなずきながら聞いていた。それからニコニコとこちらを見守るペトロネラさんを見て、はたと気づく。


「そういえば、ペトロネラさんは……? さっき、身請けの話をした時も、ペトロネラさんの名前だけなかったような」

「ペトロネラちゃんも誘ったんだけどねぇ、だめだったのぉ」


 セシルさんの言葉に、ペトロネラさんがうなずいた。


「セシルさんやリナさんのお誘いはとっても嬉しかったですわ。ですが……私にも、夢があるんですの」

「夢、ですか?」

「ええ。私――いつか娼館の主になりたいのです」


 そう言ったペトロネラさんの顔は穏やかだった。


「このお仕事は色々と言われることも多いですが……身寄りのない娘たちにとっては、唯一の居場所であることも確かです。であれば同じ環境で生きてきた私が、彼女たちにとって少しでも優しい環境を作っていけたらと……。そう思うんです」

「ペトロネラさん……!」

「ペトロネラちゃん、すごいよねぇ。セシル、自分以外の子のことなんて考えたこともなかったよ」


 セシルさんの言葉に、私とリナさんもうんうんとうなずいた。


「私も家族への仕送りで精いっぱいで、他の人を考えている余裕なんてなかったです……。ペトロネラさんは本当にすごいです!」

「ペトロネラさんがオーナーになったら、きっと女の子たちも幸せだよ!」


 私とリナさんが口々に言うと、ペトロネラさんはぽっと頬を染めた。


「……なんて、本当は私、セシルさんやリナちゃんのような立派な夢がないだけかもしれませんが……」

「いやいや。その年でそれだけのことを考えられるあんたは立派だよ。自信を持ちな」


 ドーラさんに背中をバンと叩かれて、ペトロネラさんは照れたように笑った。


「人の生き方、選ぶ道はそれぞれさね。道がたがえたとしても、今まであった絆まで消えるわけじゃない。むしろ道が違うからこそ、お互い協力できることもあるはずだ。あんたたちの仲は、大事にしていきなさいよ」


 人生の大先輩であるドーラさんの言葉は、私たちの心にすっと染み込んでいくようだった。

 隣ではリナさんもセシルさんもペトロネラさんも、みんなが真剣な顔でうなずいている。


「さっ! 話はここまでだ。どうせあんたたちも、ララと同じ宿無しなんだろう? 住み込み用の部屋がまだあるから、そこを使いな。まったく、宿無しばっかりがどんどん集まってくるねぇ」

「えっ! ここに住まわせてくれるんですか!? ありがとうおばあちゃん!」

「おばあちゃんはやめな! これでもドーラって名前があるんだよ!」

「ドーラママありがとぉ!」

「まったく、あたしはいつからこんな大きい娘を持っちまったのやら……」


 呆れたように笑うドーラさんに、セシルさんとリナさんが抱きついた。それを見ながら、私はペトロネラさんとくすくす笑っていた。

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