第35話 父からの電話

 大木は口をあんぐりと開き、ぱくぱくとさせた。

 よほど水琴さんの言葉が意外だったらしい。


「水琴さんが秋原の彼女。まさか。今は十二月だな?」


「そうだけど?」


 と俺が答えると、大木はうんうんと大きくうなずいた。


「エイプリルフールにはまだ早いな。水琴さんも冗談を言うならもっと面白いのを言ったほうがいいぜ」


「冗談じゃなくて、本当のことだもの」


 あっけらかんと水琴さんが言った。

 冗談ではないけれど、俺と水琴さんは偽装カップルなのだけれど。


 でも、水琴さんの言葉からそんなことを察するのは無理だし、大木は何も事情を知らない。

 大木は大ショックといった感じで大きく手を広げた。


「なんてこった。もてない男四人でシュールストレミングの試食会をするつもりだったが、もう秋原は呼んでやらん。この裏切り者め!」


 大木は言葉とは裏腹に、どこか嬉しそうに笑いながら言った。


 どうでもいいけど、シュールストレミングって世界で一番臭い缶詰の食べ物だったような。

 そんなものを学校で開けるんだろうか?


 俺が尋ねる前に、大木はばしばしと俺の肩を叩いた。


「せいぜい水琴さんとのデートを楽しんできてくれ」


「ああ、うん。ありがとう」


「で、水琴さんはこいつのどこが好きなの?」


「え?」


 水琴さんはちょっと顔を赤くして、小声で言う。


「晴人くんの……優しいところ」


「優しいところ、か。いいねえ」


 大木がにやにやとしながら、俺と水琴さんを眺めた。

 ますます水琴さんが頬を赤く染める。


 なんとなく、俺も恥ずかしい気分になってくる。


 ふたりとも、学食で買った昼飯を食べるつもりはないんだろうか。

 大木は独り言のように、しみじみと言う。


「まあ、秋原はいいやつだからな。こういうことがあっても、不思議ではないか」


「うん」


 水琴さんは小さくうなずいた。


「あのね、秋原くん。デートなんだけど、隣町の水族館に行きたいの。学校帰りでも、時間的にもいけると思うし……雰囲気も良いし……その……ダメかな?」


「ダメなわけないよ」


 もちろん大丈夫だ。

 水琴さんがそうしたいなら、俺が反対する理由がない。


 意外と可愛い提案だな、と俺は思った。

 水琴さんがぱっと顔を輝かせる。


「決まりね!」


 俺と一緒に水族館に行くというだけで、こんなに嬉しそうにしてくれるのは、俺としてもちょっと照れてしまう。


 大木はいいなあ、羨ましいなあ、とぶつぶつつぶやいていた。

 そのとき、俺の携帯電話が鳴った。


 携帯の画面に表示された名前は、秋原和弥。

 俺の父だ。


「どうしたの?」


 水琴さんが不思議そうに尋ねる。


「父さんから電話だ」


「お父様から?」


 水琴さんが首をかしげ、銀色の髪が揺れた。

 俺も意外だった。

 

 このタイミングで父から電話があるのか。

 父はいま北海道に単身赴任中だ。


 俺は水琴さんと大木に一言告げると、学食の外に出た。

 そして、電話の応答ボタンを押す。


「もしもし、晴人だけど?」


「やあ。昼休みに悪いね」


 のんびりした、眠たそうな声が聞こえてくる。

 税務署職員の父は、かなり穏やかな性格だった。


 かつ雨音姉さんとかとは大違いの、常識人だ。

 その父がこんな時間に電話してくるというのは、なにか大事な用なんだろうけれど。


「遠見のお嬢様の件で、早く電話するつもりだったんだけど、なかなか忙しくてね」


「事前に説明がほしかったな」


「雨音くんから電話があっただろう?」


「水琴さんが家に来た後にね」


 あれ、と父さんはつぶやき、おかしいなあ、と言った。

 なにか行き違いがあったんだろうか?


「水琴さんといったかな。遠見のお嬢様。クオーターの外国風の子だと聞いているけど、どんな子だい?」


「とてもいい子だよ」


 俺は父さんの問いに即答した。

 父さんはほっとため息を付いた。


「よかったよ。君たち二人がうまくやれているか心配だったんだ。なにせ今回の対応は緊急避難的なものでね」


「緊急避難?」


「形式的には、今の水琴さんの保護者は僕ということになっているんだよ。遠見の人間たちは、誰も水琴さんの面倒を見るつもりがなくてね。それに遠見の屋敷で、水琴さんがどう扱われてきたかを思えば、仕方のないことだ」


 どんな扱いを水琴さんが受けていたというのだろう?

 気になったが、俺はとりあえず続きを聞くことにした。


「それで、水琴さんには君のいるアパートに住んでもらったんだ」


「俺たちみたいな高校生の男女が一緒の部屋ってまずくないかな?」


 俺は父さんに尋ねてみた。

 雨音姉さんだったらともかく、常識人の父さんがこのことについてどう思っているのか、気になっていた。


「まあ、あまり褒められたものではないだろうね。でも、君たちが一緒に住むのはあと数日のことだから、それほど問題にはならないだろう」


「あと数日?」


「水琴さんが住む場所を見つけてきた。全寮制の女子校でね。遠見家から遠く離れた、東京の女子寮だよ」


 父さんはあくまでも穏やかにそう言った。

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