第61話 いたずら
観覧車はだんだんと高度を上げていった。
頂上まではもう少しかかる。
「もう少しだけ、こうしていていい?」
玲衣さんは相変わらず俺にしがみついたまま、俺の耳元にささやきかける。
熱い吐息が耳にかかり、くすぐったい。
ずっと玲衣さんの柔らかい身体を抱きしめて、その暖かさを感じていると、変な気分になってくる。
玲衣さんもそれは同じなのか、頬は紅潮し、俺を見つめる瞳はうるんでいた。
「不思議だよね」
玲衣さんがつぶやく。
「晴人くんとわたしって、ちょっと前まで、教室ではぜんぜんしゃべったこともなかったのに、今は、その……」
玲衣さんは、自分の胸に目を落とした。
口ごもった理由は、想像がつく。
恥ずかしいんだと思う。
「今は、晴人くんと、こうして身体を寄せ合ってる」
「そうだね。でも、不思議ではあっても、俺は違和感は感じない。今となっては、こうしているほうが自然な気すらするよ」
「うん。わたしね、男の人って嫌いだった。わたしのお父さんとお母さんが不倫して、そのせいでいろんな人が不幸になって、だから男の人なんて、恋愛なんて、汚らわしいものだと思ってた。だけど……」
「いまは違う?」
「晴人くんに会ったら、そんな理屈なんてどうでも良くなってしまったの」
玲衣さんは赤い顔を隠すように、もういっぺん俺の胸に顔をうずめた。
そして、俺に問いかける。
「晴人くんは知ってる? 観覧車のジンクス」
「観覧車のジンクス? なにそれ?」
「カップルが観覧車に乗って、観覧車が頂上に来たら……」
そこで玲衣さんは言葉を切った。
玲衣さんは少しだけ俺から離れて、迷うように、不安そうに、自分の胸を手で抱いた。
どうしたんだろう?
「続きは? 観覧車のジンクスって?」
「やっぱり教えない」
「どうして?」
「だって……」
「そうやって言われると、ますます気になるな」
「どうしても知りたい?」
「どうしても知りたい」
玲衣さんは「そっか」と短く言い、そして、俺にふたたび顔を近づけた。
ほとんど唇が触れ合うか触れ合わないかというぐらいの近距離まで来て、俺は赤面した。
玲衣さんは俺の唇に人差し指を当て、微笑んだ。
その微笑みはとても妖艶で、俺は心臓がどくんと跳ねるような衝動を感じた。
次の瞬間、するりと玲衣さんの人差し指は俺の前から消え、代わりに玲衣さんの柔らかく瑞々しい唇が、俺の唇に触れていた。
玲衣さんの人差し指はいつのまにか俺の胸の表面をそっと撫でていた。しばらくして指は離され、玲衣さんが俺に全体重を預けるようにしなだれかかってくる。
まるで玲衣さんの柔らかい胸も白い脚も、ぜんぶ俺のものだというように。
玲衣さんの舌がそっと俺の唇の表面を舐める。
くすぐったさに思わず口を開くと、玲衣さんは俺の舌に自分の舌を絡めた。
玲衣さんの味と、玲衣さんの甘い匂いと、玲衣さんの柔らかさと、そして玲衣さんの暖かさに包まれ、俺は完全に平静心を失っていた。
ここには俺たち以外の誰もいない。
いつのまにか観覧車は頂上に来ていた。
でも、俺も玲衣さんも外の風景なんて全然見ていなかった。
「あっ、んっ、やっ」
玲衣さんが切なそうにあえいだのをきっかけに、俺ははっと我にかえった。
いつのまにか、俺たちはキスを終えていて、そして、玲衣さんが何かを訴えかけるように俺を見つめていた。
俺は自分の手がどこにあるかを見た。
タートルネックの上から、玲衣さんの胸に、俺の手が重ねられていた。
「ご、ごめん!」
「……続けてくれても良かったのに」
「そういうわけには……というか俺はなんてことを……」
「気にしなくていいよ。わたしがそうするように仕向けたんだもの」
「仕向けたって……」
「観覧車のジンクスはね、観覧車に乗りながら一番てっぺんでキスをしたカップルはずっと一緒にいられるってものだったの」
「ああ……なるほど……」
だから、玲衣さんは強引に俺にキスをしたのか。
玲衣さんは顔を真っ赤にしながら、くすっと笑った。
「キスだけじゃなくて、胸も触ってもらっちゃった」
「……ごめん。なんというか正気を失っていて……」
「でも、これでジンクスは達成できたよね」
「それって、玲衣さんは俺と……」
「ずっと一緒にいたいの。だから、胸を触られるぐらい、ぜんぜん気にならないよ? 晴人くんになら何をされたって平気だもの」
「ええと、その……」
「触ってみる?」
玲衣さんがつんつんと自分の胸を指差した。
タートルネックで強調された形の良い胸を見て、俺は狼狽した。
俺の様子を見て、玲衣さんは嬉しそうに声を弾ませた。
「晴人くんって、本当に可愛いよね」
「からかわないでほしいな……」
「でも、ずっと一緒にいたいっていうのは本当だから」
玲衣さんは笑いながら、でも、目は真剣に俺を見つめていた。
俺もうなずいた。
そのためには遠見の家の問題を何とかする必要がある。
でも、今すべきなのは。
玲衣さんと水族館デートだ。
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