第60話 観覧車
玲衣さんは俺の手をとり、俺を上目遣いに見つめた。
「ね、行こう? 晴人くん?」
もともと俺たちは隣町の水族館に行くために外出したんだった。
俺ももちろん行きたいのだけれど。琴音の脅迫が気になる。
大丈夫だろうか?
俺は余計な考えを振り払った。
さすがに琴音や琴音に命令された不良も、真っ昼間から知り合いの多いこの町の大通りや、大都会の隣町でなにかしようとはしないだろう。
俺はうなずくと、玲衣さんの手を握り返した。
俺たちは駅まで行き、それからJRに乗って隣町へと移動した。
電車のなかで俺たちは隣同士に座った。
玲衣さんはちょっとためらった後、恥ずかしそうに俺によりかかり、頬を俺の肩にちょこんと載せた。
すり寄る玲衣さんと俺はきっと恋人同士に見えたはずで、俺もちょっと赤面した。
周囲の目が気になるけど、でも、それよりこうして玲衣さんと一緒にいられることが嬉しいという感情のほうが強い。
俺たちはJRの駅から降りて、市営地下鉄に乗り換えて、それから水族館のある駅で降りた。
ここは、自動車産業で有名な大都会の港のある場所だった。
貿易港であると同時に、観光地でもあり、水族館以外にも遊園地らしきものとか、退役した南極観測船が博物館として浮かんでいたりとか、いろいろなものがある。
降りた途端、玲衣さんは目を輝かせて、あるものを指さした。
「晴人くん! あれ乗ろう!」
「ええと……」
俺が口ごもったので、玲衣さんが首をかしげた。
別に嫌というわけではないのだけれど、どちらかといえば高いところが俺は苦手だった。
やや高所恐怖症なのだ。
俺はそう言いかけて、考え直した。
せっかく玲衣さんが乗りたいと言っているのに、あまりそれを否定したくない。
俺は玲衣さんの望みどおりにしていいと言ったのだから。
それに小さかったころと比べれば、少し怖いという程度で、顔には出さないでいられるはずだ。
俺は微笑んで、「いいよ」と言った。
玲衣さんが嬉しそうに笑う。
俺たちはチケットを買い、大して並ぶことなく観覧車に乗った。
「ぜんぜん待たずに乗れたね」
「うん」
俺と向かい合わせに座る玲衣さんはなんだかそわそわしていた。
玲衣さんは観覧車の床を見つめ、それから天井を仰ぎ、そして俺に目を戻す。
観覧車はだんだんと高さを上げていき、港の全体が見えてくる。
眼下には輸出を待つ何千台もの自動車が所狭しと並び、その向こうの海にはタンカーがのんびりと走っている。
昼間だし綺麗な夜景が見えるというわけではないけれど、これはこれでなかなか壮観だ。
いつのまにか高所恐怖症も克服できていたのか、ほとんど怖さも感じない。
俺が「あそこに南極観測船が見えるよ」と言って、指さしたが、玲衣さんから返事がない。
玲衣さんを見ると、顔を真っ青にしていて、青い瞳は少し潤んでいた。
俺はびっくりしたけど、理由に思い当たった。
「もしかして、高いところが怖い?」
玲衣さんはこくこくとうなずいた。
なら、どうして観覧車に乗ろうなんて言ったんだろう?
「だって……観覧車に二人きりで乗るって……すごく恋人っぽいと思うから」
玲衣さんは青い顔のまま、とぎれとぎれに言った。
動機はわかったけれど、そんなに無理することないのに。
どうしたらいいだろう?
まだ観覧車はてっぺんまで到達していなくて、まだまだ降りるまでは時間がかかる。
けれど、玲衣さんは苦しそうな呼吸を繰り返し、冷や汗をかいている。
なんとかしてあげないといけない。
俺がそっと立ち上がると観覧車のカゴが軽く揺れ、玲衣さんがびくっと怯えたように震える。
いけない。
玲衣さんを怖がらせてしまった。
俺は玲衣さんのすぐ隣に座り、ゆっくりとしたスピードで話しかける。
「大丈夫?」
「だ……大丈夫」
ぜんぜん大丈夫そうじゃない。
玲衣さんは涙目で俺を見つめる。
俺は迷ってから、玲衣さんの震える手に、俺の手を重ねた。
「あ……」
玲衣さんが小さく吐息を漏らす。
少しだけ玲衣さんの震えが収まった。
「晴人くんの手……温かい」
「少しは落ち着いた?」
「うん。……あの、もっと落ち着く方法があるの」
「なに?」
「晴人くんが抱きしめてくれれば、もっと安心できると思う」
俺はそう言われて、何もためらわず、玲衣さんの肩に手を触れた。
こんなことで玲衣さんを怖がらせずに済むなら、お安い御用だ。
くすぐったそうにする玲衣さんに構わず、俺はそのまま玲衣さんを抱きしめた。
玲衣さんの柔らかい感触と暖かさが俺にも伝わり、玲衣さんは震えを止めた。
玲衣さんは甘えるような感じで、俺の胸に顔をうずめ、ちいさくつぶやいた。
「もう大丈夫だと思う」
「良かった」
「……綺麗」
「え?」
「海が綺麗だなって思って」
「外を見て平気なの?」
「遠くを見るだけなら、高いところにいるって感じがしないから」
そう言われればそうかもしれない。
俺も高所恐怖症だったからわかるけど、恐怖はすぐそばからやってきて、遠くにはないものなのだ。
玲衣さんがくすっと笑った。
「それに晴人くんがいれば、ぜんぜん怖くない気がするもの」
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