第59話 晴人くんがいれば
遠見琴音は純日本風の美少女で、黒い髪をまっすぐに綺麗に伸ばしていて、黒い瞳が不思議な明るさで輝いている。
玲衣さんは欧米系の女性を母にもっているクォーターなのに対し、琴音の母は隣町の古い名家出身だという。
琴音は緑色のブレザーのポケットに手をつっこんだまま、くすっと笑った。
「私、けっこう姉さんのことを脅したつもりだったんですけど。怖くないんですか?」
玲衣さんはびくっと震え、俺の服の袖をぎゅっと握った。
俺は玲衣さんをかばうように一歩前へと出た。
「遠見さんは何がしたいのかな」
「私、姉さんのことが嫌いなんですよ。わかってるでしょう?」
「だから、玲衣さんを家から追い出して、東京の女子寮へと行かせようとした?」
「『玲衣さん』って、名前で呼ぶんですね。恋人みたい。私は、べつに姉さんが家にいようが東京にいようが、どうでもいいんです」
「なら、なんで……」
「ただ、姉さんが幸せそうにしているのは許せないんです。あのとき、不良のおもちゃにされて壊されてしまえばよかったのに」
「あのとき?」
「先輩が姉さんを助けたんでしょう?」
玲衣さんがうちに来て間もない頃、そういうことがあった。
下校途中の玲衣さんを他校の男子生徒たちが廃墟に連れ込んで暴力をふるおうとしたのだ。
たまたま俺が通りがかって助けることができなければ、どうなっていたか、想像もしたくない。
「あれ、私が仕向けたんですよ」
俺は声も出さず、琴音を見つめた。
この中学生の少女が、玲衣さんを男たちに襲わせようとしたのだという。
衝撃のあまり、俺はなんと言って琴音を非難すればよいか思いつかなかった。
琴音は愉しそうに笑う。
「今度は先輩も一緒に壊れてもらいましょうか。きっと姉さんは自分が傷つくよりも、この人が痛めつけられるほうが嫌でしょう? ああ、ついでに先輩の目の前で、姉さんにも泣き叫けぶような辱めを受けてもらえば、もっといいですね」
このあいだ、玲衣さんが琴音と会った直後に東京の女子寮へ行くと言い出した理由がわかった。
こういう直接的な脅迫を受けていたのだ。
俺は落ち着きを取り戻すと、なるべく淡々とした口調を作って言った。
「遠見さんのやろうとしていることは犯罪だ」
「だから? だからなんだっていうんですか? 遠見家がこの街でどれだけの力を持っているか、先輩は知らないんですよ。市長も警察署長も遠見グループ出身の人間なんですよ? 証拠が残らないようにやれば、深くは追及されません。それに、直接的な暴力だけでなくても、いろいろとあなたたちを追い詰める手段はあるんですよ」
「そういう問題じゃない。自分の姉を傷つけることを、なんとも思わないの?」
「姉さんと姉さんの母親のせいで、私のお父さんは死んで、私のお母さんはおかしくなっちゃいました。だから、私のやろうとしていることは正当な復讐なんです」
「そんなのはおかしいよ」
「だったら、私のお父さんとお母さんを返してくださいよ!」
琴音ははじめて声を荒げた。
いつもの笑みを消し、鋭く俺を睨んでいる。
「先輩は、幼馴染の佐々木さんを選んで、姉さんを捨ててくれればいいんです」
「夏帆のことを知っているの?」
「私は先輩と違って、何でも知っているんです。佐々木さんと先輩に血縁疑惑があったけど、それがなくなって二人は両思いでも何の問題もないことだって知ってます」
「誰から聞いたの?」
「そんなこと、どうでもいいじゃないですか。それより、先輩はこの家から姉さんを追い出すって言ってください。そうすれば、私は先輩には何も手出しはしません」
「断る」
俺はためらわずに言った。
このタイミングで、玲衣さんを追い出すなんてありえない。
玲衣さんはもう俺の家の住人で、俺の家族だとも言ったのだから。
琴音は黒い瞳を細め、すうっと虚ろな冷たさで俺を見つめた。
俺は玲衣さんを振り返る。
玲衣さんは青い瞳に涙を浮かべ、俺を見上げた。
「玲衣さんはどうしたい?」
「わたしは……晴人くんと一緒にいたい。でも、わたしが、一緒にいたら、晴人くんに迷惑を……」
俺は玲衣さんの言葉をさえぎった。
「それは言わない約束だよ。玲衣さんがしたいようにすればいい」
「わたしがしたいように」
玲衣さんは小さくつぶやき、俺と琴音を見比べた。
やがて、その青い瞳には決然たる強い意志の光が宿った。
「わたしは……琴音の脅しなんか全然怖くない。だって、晴人くんがわたしのことを守ってくれるんだもの!」
俺がうなずくと、玲衣さんは俺の頬に軽くキスをした。
柔らかい唇の感触が心地よかった。
琴音は不愉快そうに俺たちを睨むと、さっと身を翻した。
「本当に可哀想な人たち。姉さんも、先輩の大事な人達も、みんな後悔させてあげますから」
捨て台詞を吐くと、琴音はそのまま坂道を駆け下り、姿を消した。
俺たちは顔を見合わせた。
玲衣さんが不安そうに俺を上目遣いに見たので、俺は微笑みを返した。
「大丈夫。遠見家の力があるといっても、さすがに警察沙汰になるようなことをもみ消したりはできないよ」
「だといいけど……」
「俺が玲衣さんを守るから」
「……ね、晴人くん。なら、約束のキスをして」
「約束のキス?」
「わたしを遠見家から守ってくれるっていう誓いのこと」
頬を赤く染めて、玲衣さんが俺を期待するように見つめている。
俺は間を置かず、玲衣さんに口づけをした。
互いの唇がふれあい、軽く舌を絡める。
自分の身体が熱を帯びるのを感じるけれど、外にいるから、あまり極端なことはできない。
しばらくして、俺たちはお互いの身体から離れた。
玲衣さんはとろけたような顔をして、えへへと笑い、小さくつぶやいた。
「晴人くんがいれば、きっと大丈夫だよね」
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