第10話 幼なじみたちがやってくる?

 水琴さんは何かを決意したように、俺にもう「ありがとう」とは言わないし、「ごちそうさま」とも言わないと宣言した。

 どういう意味だろう?

 俺が尋ねると、水琴さんはこう答えた。


「わたし、人に親切にしてもらうのが苦手なの」


「なんで?」


 たぶん、聞き返したときの俺の顔にはクエッションマークがたくさん浮かんでいたはずだ。

 この女神様は何を言い出すんだろう?


「人に借りを作りたくもないし、迷惑もかけたくないし。わたし、馴れ合いって苦手だから」


「馴れ合いって表現するとマイナスイメージだけどさ、助け合いとか友情とか言い方を選べばいいんじゃない?」


「同じことよ。人に助けられれば負い目を感じなければならなくなるし、特別な相手がいればその相手に気を使わなければならなくなる。そういうのって面倒だもの」


「面倒かもしれないけど、面倒に見合うだけの価値はあるかもよ」


 と俺は言ったが、水琴さんは俺の言葉を否定した。

 

「秋原くんはそう考えるのかもしれないけど、わたしは違うの。だから、もう、わたしにかまったりなんかしなくていいし、ご飯を作ってくれたりなんてしなくていいから」


「あー、うん」


 俺が微妙な表情をすると、水琴さんは目をそらし、顔を赤くして、小さな声で言う。


「今日、親切にしてくれたことには感謝してる。オムライス、とてもおいしかった。だけど、いえ、だからこそ、明日からはわたしに優しくなんかしてくれなくていいってこと」


 氷の女神の表情には、ほころびが生じていた。

 水琴さんはしばらく間を置いて、言う。


「次に住む場所が決まったら、すぐに出ていくから安心して。なるべく迷惑をかけないようにするから」


 そして、水琴さんは俺に寝具の場所を尋ねた。

 雨音姉さんが住んでいたころ使ってた布団があるから、それが押入れにあるよと伝えると、水琴さんは自分で敷くと言った。

 そして、奥の部屋へと歩いていった。


 俺の住んでる三〇一号室はいちおう2DKだが、手前の寝室と奥の寝室のあいだには、うすい障子の壁しかなくて、どちらからも鍵はかけられない。


「秋原くんなら言わなくてもわかってくれてると思うけど……」


「絶対に入らないから安心してよ。なにかしようとしたら殺してくれればいい」


 俺は両手をあげてバンザイしてみせた。

 冗談めかして降伏・無抵抗のポーズをしたのだけれど、水琴さんは笑わず、ただ「ありがと」と小さく言い、奥の部屋に引っ込んだ。


 残された俺は天井を仰いで、そしてくしゃみをした。

 俺も風呂に入ることにしよう。





 翌日の放課後の帰り道、俺はあくびを噛み殺していた。

 なんだか昨日はあんまり眠れなかった。


 同じ部屋で他人が寝ていると思うと、緊張して寝つけなかったのだ。

 寝ている他人が学校の女神様だから、なおさらだ。


 たぶん、水琴さんも質の高い睡眠はとれなかったんじゃないかと思う。

 朝起きたら、水琴さんの姿はもうなかった。先に学校に行ったらしい。


 まあ、同じ家から同じタイミングで学校に行けば、知り合いに会って面倒な誤解をされかねない。


 結局、教室では一言も話さなかったし、帰り道も別々だ。


 駅を出て、アパートへ向かう坂道を上っていると、強い風が吹き抜けた。

 枯れ葉が舞い上がり、ホコリや塵とともに飛んでいく。


 今日も寒いなあ。

 俺はぶるりとした。

 

 水琴さんにはコート貸すよ、と言ったのに、やっぱりコートなしで学校に行ったみたいだ。水琴さん、そろそろホントに風邪を引くと思うのだけど、大丈夫だろうか。


 とかいろいろ考えながらぼんやりと歩いていたら、後ろからばしっと背中を叩かれた。


 びっくりして振り返ると、そこに姉妹みたいな二人のセーラー服姿の少女がいて、くすくすっと笑っていた。


「晴人ってば、すぐ後ろを歩いてても、全然、あたしたちのことに気づかないんだもん。困っちゃった」


「ごめんね……アキくん……驚かせちゃって」


 俺のことを「晴人」と呼んだショートカットの女の子は、幼馴染の佐々木夏帆だ。

 大きな瞳を楽しそうに輝かせている。


 もうひとり、俺に「アキくん」というあだ名を使ったのは、夏帆の友達の桜井悠希乃ゆきのだ。

 かなり小柄で、髪型はセミロング。

 赤いアンダーリムのメガネが印象的。大人しい雰囲気の子だ。

 ちなみに「アキくん」というのは「秋原」の「アキ」のこと。


 悠希乃は夏帆の中学時代からの親友で、俺が振られた後、夏帆と仲直りするために協力してくれた。

 悠希乃の協力なしには、夏帆と気軽に話せるような仲には戻れなかったと思う。

 俺にとっても中学以来の友達だし、高校も一緒だ。


「夏帆とユキが一緒に帰ってるのって、なんか久々だね。どうしたの?」


 と俺は言った。

 ユキ、というのは悠希乃のあだ名で、ちょっとした出来事がきっかけで、ずっと俺は悠希乃のことをそう呼んでいる。


 フッフッフッ、と夏帆がわざとらしく笑った。

 なにか変なこと考えてるんだなあ、と思う。


「晴人ってさ、新しいゲーム買ったんでしょ、ほらいろんなキャラクターが戦う格闘ゲームだっけ?」


 夏帆が言っているのは、俺が先週買った新発売のテレビゲームのことだと思う。


 有名ゲームのキャラクターを操作して、自分のキャラクターで相手のキャラクターを場外に吹きとばせば勝ち。

 大人数で遊ぶにはもってこいのゲームで、俺も友達の大木たちを家に呼んで遊ぶつもりだった。


 一人暮らしの気楽さで、こういうときには俺の家はとても都合が良い。


 そういえば、水琴さんがうちに泊まっているということは、当然、クラスメイトたちには秘密にしないといけない。


 バレたら大騒ぎだし、何を言われるかわかったものじゃないからだ。

 ということは、友人も気軽に呼べなくなるのでは?


 ゲーム買った意味がないよ、と俺が愕然としていると、夏帆がとんでもないことを言い出した。


「ユキがさ、その格闘ゲームで遊びたいんだって」


「へ?」


 俺がユキを見ると、ユキは頬を染めてこくんとうなずいた。

 そういえば、ユキはゲーム好きだった。

 でも、こないだ話したときに、ユキも同じゲームを買ったと言っていたような気がするけど。


「晴人とそのゲームで遊びたいんだよ、ユキは。あんまりそのゲームする女子っていないし、対戦相手がいないんだって」


「か、夏帆。そんなこと言わないでよ……」


「ね、いいでしょ、晴人? あ、もちろん、あたしも一緒にやるからね!」


 夏帆は明るい屈託のない笑顔でそう言う。

 一方のユキは夏帆のセーラー服の袖を引っ張り、困ったような、恥ずかしそうな顔をした。


 なるほど。

 話は見えてきた。


 つまり、二人はこれから俺の家に来て、ゲームで遊びたい、ということらしい。

 普段だったら大歓迎だ。

 特に夏帆は告白失敗以来、うちにほとんど来てくれなくなっていたのに、今日は自分から俺の部屋に来てくれると言ってくれている。


 以前と同じように、また夏帆がうちに来てくれるのは、俺にとってはとても嬉しいことだった。

 これもユキがゲームをしたいと言い出したおかげだし、ユキには感謝してもしきれない。


 けれど。


 二人が家に来ればどうなるか。

 水琴さんとばったり出くわす可能性はかなり高い。


 この二人は昔もたびたび俺の家に来ているけど、そういうときはわりと遅くまで居座ることが多かった気がする。


 つまり、経験則からすれば、二人が帰る時間までに、水琴さんはうちにたぶん戻ってくる。

 なんなら、もう家には水琴さんがいるかもしれない。


 それはまずい。

 俺は冬なのに汗が流れてくるのを感じた。


 夏帆がぴょんと跳ねるように俺に近づき、くすりと笑う。

 そして、俺を上目遣いに見つめた。


「晴人? 遊びに行っちゃダメ?」

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