第9話 女神様と夜ご飯

 俺は台所に立ち、白色の冷蔵庫の扉を開けた。

 大した料理を作るわけじゃないけど、いちおう必要な材料が揃っていることを確認する。

 そして、たまねぎとハムを取り出して、それぞれをみじん切りにした。

 同時に簡単なコンソメスープを作り始める。


 ちょうどそのとき、水琴みことさんが風呂から上がってきた。

 タオルで髪を拭きながらの登場だった。


 水琴さんの綺麗な銀色の髪は、濡れたせいでいつもより輝いて見えた。

 けっこう長く風呂につかっていたからだと思うけど、頬を上気させ、肌に赤みがさしている。


 さっき見た水琴さんの裸がその姿に重なり、思わず俺はどきりとした。

 

 しかし、水琴さんの色っぽい姿を台無しにしているのが、俺のジャージだった。

 水琴さんが俺の紺色のジャージをを着ると、やっぱりぶかぶかで、かなり奇妙な感じだ。


「なんでわたしを見てるの?」


 水琴さんが鋭く言う。

 たぶん警戒しているんだろう。


 よく知りもしない男の家で寝るということ自体、水琴さんにとっては危険な行為のはずだ。

 用心するのも当然だ。


 しかも裸も見られた。


「さっきはごめん」


「見た……よね?」


「まあ、うん」


 水琴さんは頬を赤くして目をそらした。

 その仕草はちょっと可愛かった。


 俺は言葉を重ねる。


「あんなつもりじゃなかったんだよ。水琴さんが悲鳴を上げていたから心配で……」


「気にしないで。……わたしが虫なんかで悲鳴を上げたのがいけないんだし」


 意外にも水琴さんは怒っていないようだった。

 俺はほっとして、それから遠慮がちに聞く。


「そのジャージさ、サイズは大丈夫?」


「もっと小さいのあるの?」


「残念ながら、まったくない」


「なら、わたしに聞く意味ないじゃない」


 たしかに、そのとおりだ。


 さっきの怯えた表情は消え、少し落ち着いた感じに水琴さんはなっていた。

 俺はほっとする。


「それにしても、けっこう長風呂だったね」


「女子の入浴なら、こんなものだと思うけれど」


 そういうもんなんだろうか。

 父さんや俺なら、一瞬で風呂はすましてしまうけれど、たしかに雨音姉さんはいつもけっこう長く浴場にいた気がする。


「よく温まったところで水琴さんに聞きたいんだけどさ。食物アレルギーとかあったりする? あと卵料理とかトマトとかは嫌いじゃない?」


 水琴さんは首をかしげた。

 何が言いたいのかわからないといった表情だった。

 

 しかし、いちおう素直に質問に答えてくれた。

 特に病気で食べられないものもないし、卵とトマトについても嫌いではない、と水琴さんは言ったのだ。


 俺はうなずいた。


「了解、っと。じゃあ、オムライスを二人分作るよ」


「オムライス? どうして?」


「ありあわせのもので作れそうで、ぱっと頭に思いついたのがオムライスだったから。べつのものがよかったら言ってよ」


 これなら万人受けするし、温かい料理でもあるからだ。

 しかし、水琴さんは首を横に振った。


「メニューの選択の理由じゃなくて、なんで二人分の料理を作るのかを聞いているの」


「それは水琴さんも食べるからだよ」


「わたし、食べるなんて一言もしゃべってない」


「さっき空腹だって言ってたよね? 食べたほうがいいと思うよ。どうせ俺は一人分作るのも二人分作るのも手間は変わらないし」


「でも、わたしは……」


「水琴さんは座って待っててよ」


 俺は水琴さんの次の言葉を待たず、冷凍庫を開いて冷凍ご飯を取り出した。

 ラップに包んで小分けした冷凍ご飯二つを、電子レンジに入れて温め始める。


 飲まず食わずのまま水琴さんは過ごそうとし、俺は空腹の水琴さんの前で一人だけ食事をするというのは、俺の居心地がとても悪い。

 なら、二人分を作ってしまったほうが気楽だ。


 先にフライパンで具材を炒め始める。

 入れるのはケチャップだけでもいいのだけれど、ちょっとだけ高級感ある味わいにするためにバターと料理酒も加えておいた。

 途中で温めたご飯を投入し、調味料で味を整えればハムライスはできあがり。

 並べた皿二つに盛っておく。


 次はオムレツだ。

 うまく半熟にするのがちょっとむずかしい。

 俺は細心の注意を払って強火で加熱しながらかき混ぜた。

 さいわい綺麗にできたので、それをハムライスにのっけて出来上がり。

 

 付け合せのスープとともに、水琴さんの席の前にオムライスの皿を置き、俺も食卓についた。

 水琴さんは困惑したように、俺を上目遣いに見た。


「これ、食べていいの?」


「もちろん。そのために作ったんだよ」


 おそるおそる水琴さんはスプーンを使い、オムレツを崩して、ハムライスとともに口に運んだ。

 その瞬間、水琴さんの表情が緩んだ。


 たぶん、おいしい、と思ってくれているのだ。

 まあ、失敗する危険の低い料理だけど、それでも口に合ったなら、ちょっとうれしい。


 さすが遠見屋敷のお嬢様だけあってか、オムライスの食べ方すら品のある感じだったけれど、水琴さんはその食べ方であっという間に平らげてしまった。


 俺はにこにことした。


「ご満足いただけたようでなにより」


「わたし、おいしいなんて言ってない」


「あれ、おいしくなかった?」


「……おいしかったけど」


 水琴さんは複雑そうな表情をして言った。

 性格的にお世辞を言いそうな感じではないし、食べていたときの雰囲気からしても、おいしいと思ってくれたことは本当なんだと思う。

 けれど、それにしては水琴さんの表情は晴れない。

 その後、ちょっとためらってから、水琴さんは小さな声で話しはじめた。


「秋原くんって変わってるよね」


「そう?」


「わたしだったら、わたしにこんなふうに親切にしない」


「俺、水琴さんに親切にしたっけ?」


「してると思う。寒そうにしてたら毛布を貸してくれて、温かい飲み物を入れてくれて、それにお風呂にお湯も用意してくれた。頼んでもいないのに、ご飯も作ってくれる。これが親切じゃなかったら、なんだっていうの?」


「べつに普通のことだと思うけどね」


「わたしが今まで住んできた家では、どこもこんな感じじゃなかったの」


「そうなんだ」


 水琴さんの言い方からすると、遠見の屋敷だけでなく、複数の家を転々としてきたらしい。

 普通に考えれば、大金持ちの遠見の家のお嬢様なら、そんな必要はないはずだ。

 水琴さんはいったい何者なんだろう?

 

「ごちそうさま。ありがとう、秋原くん」


 水琴さんは消え入るような小さな声でそう言った。


 てっきりストレートに感謝されているものだと思い込んだ俺は、次の水琴さんの一言で期待を裏切られた。


「でも、わたしが秋原くんの親切にお礼を言うのは、これが最後。ごちそうさまっていうのも、これが最後だから」

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