第57話 抜け駆け禁止!

 俺と玲衣さんはそのまましばらく布団のなかで互いの暖かさを確かめあった。

 少し前まで目が冴えていたけれど、玲衣さんに抱きしめられていると、自然に落ち着いてきて、睡魔に襲われる。


 けど、このままじゃいけない。

 玲衣さんには元の部屋の布団に戻ってもらわないと、翌朝が怖い。


 夏帆たちになんて言われるか……。。

 俺は口を開き、でも、言おうとした言葉のすべては声にならなかった。


 強烈な眠気が押し寄せてきて、俺の意識を奪ったのだ。

 どうにか「おやすみ。玲衣さんは……」と途中までつぶやいて、俺の言葉は途切れた。

 くすっと玲衣さんは笑うと「おやすみ、晴人くん」とささやいた。





 誰かが俺を見下ろしている。

 玲衣さん、ではなさそうだ。


 しかも一人じゃなくて二人。


「はーるーとー!」


 とても不満そうな、でも綺麗なトーンの声に俺は叩き起こされた。

 見上げると夏帆が頬を膨らませて俺を睨んでいる。

 その隣で雨音姉さんがちょっとおもしろそうにこちらを眺めていた。


 慌てて起き上がろうとするが、起き上がれない。

 玲衣さんが俺の胸に頬をうずめていて、しっかりと俺の身体を抱きしめていたからだ。.


「晴人くん……」


 と玲衣さんは幸せそうな顔で寝言をつぶやき、それから柔らかい頬を俺にすりすりとこすりつけた。

 玲衣さんはこの状況でもぜんぜん起きてこない。

 その様子を見て、ますます夏帆が不機嫌そうな顔をする。


「嘘つき! 協定違反! それに抜け駆け禁止!」


 夏帆の声でようやく目を覚ましたのか、寝ぼけ眼をこすりながら、玲衣さんがぼうっとした顔で周りを見渡した。

 そして、抱きしめた俺と、俺たちを見ている二人の姿を見て、かあぁっと顔を赤くした。


「ご、ごめんなさい」


「ま、まさか……したの?」


「な、なにもしてない!」


 玲衣さんはますます頬を紅潮させ、「ね?」と俺に同意を求めた。

 俺もこくこくとうなずく。


 だいたい俺はぐっすり寝てしまっていた。

 玲衣さんもきっと同じで俺が寝ている間になにかしたりなんてしていないと思う。


 そう思って玲衣さんに尋ねると、玲衣さんは自信たっぷりにうんうんとうなずいた。


「晴人くんが寝ているときに、耳たぶを甘噛してみたりとか、胸板を撫でてみたりとか、勝手に頬にキスをしたりなんて、ぜんぜんしていないから!」


「絶対してたでしょ!?」


 夏帆が玲衣さんに詰め寄ると、玲衣さんはううっとつぶやいて、しぶしぶ認めた。


 夏帆は天井を仰ぎ見て、それから、俺に視線を戻すと、びしっと指を突きつけた。

 俺が目を白黒とさせていると、夏帆はつんつんと俺の額を指でつついた。


 その仕草は可愛らしかったけれど、怒りに火を注ぐだけだと思ったので、俺は可愛いなんて言わなかった。


「一緒の部屋で寝るのは雨音さんだけって約束だったのに」


 俺と玲衣さんは肩を並べて、身を縮め、「ごめんなさい」と小声で言った。

 夏帆はしばらく考え込み、ぽんと手を打った。


「水琴さんの約束違反のことを怒ったりはしないけど、その代わり、今日の夜はあたしが晴人と一緒の布団で寝るんだから!」


「え?」


「いいよね? そうしないと不公平だもん。雨音さんもそれでいい?」


「私はかまわないけどね」


 雨音姉さんは楽しそうに目を輝かせていた。

 ダメだ。

 完全に面白がってる。

 

「決まりだから」


 言い切ると、夏帆はくすっと笑った。


「覚悟しておいてね、晴人」


 何の覚悟をすればいいんだろう?

 俺が問い返す前に、夏帆は洗面所へと消えていった。


 残された俺は玲衣さんと顔を見合わせた。

 玲衣さんは「佐々木さんを怒らせちゃったね」とくすくす笑った。


「晴人くんと佐々木さんが一緒に寝るのは不安だけど……」


「安心して。私がしっかり見張っておいてあげるから」


 雨音姉さんが口をはさむ。


「実は昨日の夜も、私、起きていたの」


「えっ、それって……」


「晴人くんと玲衣さんがいちゃいちゃするのも全部見てたってわけ」


 玲衣さんは恥ずかしさと衝撃で混乱したのか、青い瞳をくるくると回していた。

 俺も自分が顔を赤くするのを感じた。


 抱き合ったりお互いを舐めたりしていたのを、従姉に見られていたとなるとかなり恥ずかしい。


 二人きりじゃないというのも、なかなか不便だ。


 今も玲衣さんに言わないといけないことがあるのだけれど、しばらく二人きりにもなれなさそうなので、俺は雨音姉さんのいる前で仕方なく切り出した。


「玲衣さん、こないだの約束を覚えてる?」


「こないだの約束?」


「水族館に行こうって話」


 玲衣さんは「あっ」とつぶやくと綺麗に微笑んだ。

 俺たちは偽装カップルとして水族館でデートするはずだった。

 こないだの学校帰りに行こうとしたときは、玲衣さんの妹の琴音が現れたせいで行けなくなったけれど。


「彼氏彼女のフリをする必要はなくなったけれど、必ず行こうって約束したから。今日、行かない?」


 玲衣さんは青い瞳を輝かせ、そして俺を上目遣いに見た。


「ありがと。晴人くんからデートに誘ってくれるなんて嬉しい!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る