第73話 誘拐

 遠見琴音は緑色のブレザーの制服がよく似合う、黒髪ロングの清楚な見た目の美少女だ。

 けれど、性格のほうはかなり危険な子だ。


 琴音は異母姉の玲衣さんを憎んでいる。

 玲衣さんの母が、琴音の父親を奪い、そして不倫の末に二人とも事故死したからだ。


 そして琴音は玲衣さんに危害を加えようとした。

 いま琴音は屋敷の母屋、俺たちは離れに住んでいて、ごく近くにいるわけだけれど、できれば親しくしたくない相手だった。


 琴音は裸の玲衣さんと夏帆から目を離し、俺のほうを向いた。


「姉さんとか佐々木さんとかには、今は用はありません。私が用があるのはあなたです。来てもらえますか?」


「俺?」


「はい。それに、あなたをこの部屋に放っておくと、いつのまにか姉さんたちが妊娠しちゃいそうですし」


 玲衣さんと夏帆の二人は顔を真っ赤にしながら「しないってば!」と言ったが、琴音はまったく気にしていない様子で俺の手をつかんだ。


 まさか手をつなぐとは思っていなかったので、俺はびっくりして琴音の顔を見ると、琴音はふふふと不思議な感じに微笑み、「さあ二人でお話しましょうか」と言った。


 いったい琴音が何を考えているかまるでわからない。

 俺たちは屋敷の離れの玄関を出て、さらに屋敷の門からも出た。


 冬空はもう完全に真っ暗で、あたりには電灯もまばらにしかなかった。

 俺と琴音は屋敷の目の前から続く坂道を降りていく。


 やがてそれなりに交通量の多い県道に出た。

 ただ車ばかりが行き交い、歩行者はほとんどいない。


 琴音は俺の手を引きながら、俺の少し先を歩いていく。

 

「遠見さんは俺なんかと手をつなぐのはまっぴらごめんだと思っていたけれど」


「私は姉さんのことは嫌いですけど、秋原先輩のことはべつに悪く思っていませんから。それにですね、私が先輩と手をつないだときの姉さんの顔、見ました?」


 俺は首を縦に振った。

 玲衣さんはとても複雑そうな表情をしていて、青い瞳を伏せていた。

 

 琴音は愉快そうに笑った。


「姉さんは嫉妬しているんですよ。先輩が他の女の子と手をつないだから。あの悔しそうな顔を見れただけでも、私は満足です」


「それが理由で俺を連れ出したわけではないよね?」


「はい。でも、今も姉さんは、私と先輩が二人きりであると思って地団駄を踏んでいるはずですね」


 地団駄を踏むってあまり使わない表現だなと俺は思ったが、口には出さなかった。

 ともかく、問題は琴音の用が何か、だった。


「先輩は佐々木さんを選ばないんですか?」


「どういうこと?」


「佐々木夏帆さんは先輩の幼馴染で、先輩のことが好きなんでしょう? そして、先輩も佐々木さんのことが好きなんでしょう?」


「そうだね。俺は……夏帆のことが好きだった」


「なのに、佐々木さんを選んでいないのは、姉さんのことが好きだからですか?」


「それは……そうかもしれない」


「煮え切らないですね」


「自分でもそう思うよ」


「先輩には佐々木さんを選んでほしいんですけどね」


「遠見さんは玲衣さんのことが嫌いだから、そう言うんだよね?」


「はい。まあ、そういう意味ではべつに佐々木さんでなくてもいいんです。たとえば私でもいいんですよ。私、姉さんと同じぐらい美少女でしょう?」


 冗談っぽく、黒い大きな瞳を輝かせた。

 たしかに遠見さんは綺麗な子だし、お嬢様だからか、仕草にも品がある。


 アイドルだと言われても納得してしまうような雰囲気だし、もし玲衣さんと仲が良ければ、並んだら絵になるだろう。


 けれど。


「俺は別に遠見さんに興味はないよ」


「へえ」

 

 遠見さんは急につまらなそうな顔になった。


「それに遠見さんは玲衣さんを傷つけようとしたからね」


「そうですね。私と先輩は敵同士です」


「その『敵』と夜にこんな人通りの少ないところを一緒に歩いていてよかったの?」


「先輩には私をどうこうする度胸なんてないでしょう?」


「まあ、べつに何もする気はないけどね」


「ふうん」


 遠見さんは俺をまっすぐに見つめた。


 そのとき急に大型のワゴン車がすごいスピートで後ろから走ってきた。

 そして、俺たちのそばに止まる。


 思えば、俺たちはこのとき、すぐに逃げ出すべきだったのだ。

 けど、俺も琴音も顔を見合わせ、なんだろう?と立ち止まってしまった。


 ワゴン車から屈強そうな男が二人、降りてきた。

 そして、琴音に近寄る。


 琴音は怯えた表情で、「なんですか……?」と言って後ずさったが、男たちに手を捻り上げられた。


「嫌っ! 離してっ!」


「こいつが遠見の令嬢だな。ずいぶんと可愛いじゃねえか」


 男の一人がにやにやしながらつぶやく。


「遠見さんっ!」

 

 俺は慌てて琴音を助けようとしたが、もう一人の男にあっけなく止められる。

 こちらの男は穏やかな声をしていた。


「この少年は必要はないんだが、見られてしまった以上、二人まとめて誘拐するとしよう」


 琴音が目に涙をためている。

 見ると、琴音の細く白い首筋には、ナイフを当てられていた。


「さあ、乗ってもらおうか」


 こうして俺と琴音は、二人して誘拐されることとなった。

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