第74話 琴音と晴人

 大型のワゴン車の後部座席に俺たちは押し込まれた。 


 俺たちを誘拐した人間は三人。

 一人は運転手で、もうひとりは助手席の紳士的な雰囲気の男性だ。

 最後の一人は粗暴そうな茶初の大男。


 そして、俺の隣の琴音はそのうちの粗暴そうな男に捕まれ、ひっと悲鳴を上げていた。

 彼は俺たちと同じく後部座席に載っているのだ。

 監視役ということだろう。

 

「これで遠見のお嬢様は俺たちのものってことだ」


 そして男はブレザーの上から琴音の体をまさぐろうと手を伸ばした。

 琴音は嫌悪感と恐怖から顔をゆがめ、目に涙をためていた。


 だが、もう一人の男が止めに入った。


「今はやめておいたほうがいい。早くこの場から立ち去らないと」


 茶髪の男は舌打ちをしたが、そこで動きを止めた。

 そのまま車は走り出した。


 琴音はガタガタと震えている。

 もしかすると、琴音がまた何か計画していて、自作自演なのではないかと思っていたけれど、この様子だと違いそうだ。


 それに茶髪の男の態度からして、本気で琴音に危害を加えかねない。


 俺は考えた。

 琴音と玲衣さんの祖父、遠見宗一郎は言っていた。


 遠見グループの再建の過程で裏社会の人間たちから恨みを買い、そのせいで孫たちにも危害が及びかねない、と。


 確信はないけれど、この男たちは最初から琴音の素性を知っていたようだし、遠見宗一郎の言う連中の手先だと見て良さそうだ。


「ずっと屋敷を張っていたら、不用心にものこのこ屋敷の外に出やがったからな。ラッキーだった」


 茶髪の男の言葉に、もうひとりの男が「黙っておけ」と短く言った。

 そう言われて、茶髪の男は不機嫌そうになり、そしてふたたび琴音に手を伸ばそうとした。


「嫌っ!」


 琴音が怯え、男の手から逃れようとする。

 俺はとっさに琴音の手を引き、自分のもとへと引き寄せた。

 

 そして、男に対して静かに言う。


「この子に手を出すのはやめておいたほうがいい」


「おまえはなんだ? このお嬢様の彼氏か?」


「いや。でも、俺の大事な人の妹だからね」


 男は邪魔されて腹を立てたのか、俺に拳を振りかざした。

 俺の腕のなかの琴音は震えていたけれど、俺はなんとか平静をたもった。


「車内で騒ぎを起こしても、あなたたちにとっても何もいいことはないと思うよ。どういう計画か知らないけど、誘拐が失敗する危険が高まるだけだ」


「うるせえな」


 茶髪の男は俺の言葉を気にしなかったみたいだけれど、助手席の男は違った。


「その少年の言う通りだ。どうしておまえはおとなしくしていられないんだ?」


 立場的には助手席の男がリーダーのようで、茶髪の男は今回もしぶしぶといった様子で従った。

 当面は琴音の身に危険が及ぶ可能性は回避できたわけだ。


 俺はほっとして、それから、自分が琴音を抱き寄せていることに気づいた。

 男から逃げようとした琴音は、俺の膝の上に乗っかっている。

 小柄な琴音は、俺に身を任せ、震えていた。


 あれほど気が強そうで、玲衣さんを陥れようとしていた少女と同じ人物とは思えないぐらい、弱っている。

 琴音は俺を見上げ、顔を赤くした。


 俺は琴音の身体を後ろから抱きしめる格好になって、顔と顔もすぐ近くにあった。

 小さな声で、琴音は言った。


「守ってくれたつもりですか?」


「一応ね」


「……ありがとうございます」


 それきり、俺も琴音も、男たちも黙った。

 やがて助手席の男の指示で俺たちは目隠しをされた。


 どこに連れて行くかわからなくするためだろう。

 かなりの時間が経って、ようやく俺たちはワゴン車から降ろされた。

 どこか山のなかのようで、そのなかに別荘風の高い建物があった。


 俺たちはナイフを突きつけられながら、建物四階の寝室に連れ込まれた。

 ホテルの一室のように浴室やトイレも着いているようだったけれど、かなりボロボロだ。


 リーダー格の男が、俺たちに言う。


「目的が達成されるまで、君たちを解放するわけにはいかない」


「どのぐらいの期間?」


「それを言うわけにはいかないが、まあ一日や二日というわけではないから、ここでゆっくりしていてくれ。ただし……逃げようとしたら、命はないと思ってほしい」


 男はそうすごむと、部屋から消えた。

 監視役の男を残さなかったのは、その余裕がないからだろうか。


 二人きりになった俺たちは、互いの顔を見つめた。

 琴音は憔悴しきっていた。


 遠見のお嬢様として育った琴音は、こんなふうに悪意にさらされたことはないはずだ。

 それで男に襲われそうになっていたら、怯えて当然だろう。


 一方の俺は、怖いと言えば怖いけど、あまりに現実感がなくて、誘拐されたという実感がわかない。


 それに、あくまでも誘拐の対象は琴音だった。

 俺はオマケ的な意味合いが強い。


 まあ、そうはいっても、口封じのために殺されたりするかもしれないわけだけれど、琴音とは立場が違う。


 琴音は震えを抑えようと努力しているようだったが、やがて声を上げて泣き始めてしまった。

 戸惑う俺に琴音はすがりついた。


 ついこのあいだまで、琴音は玲衣さんを憎み、男に襲わせようとしていて、俺にとっては敵だった。

 だけど、いまの琴音はただの怯える女の子だった。


 俺はためらいながら、俺に身を寄せる琴音を抱きしめた。

 そうすると、琴音は俺にぎゅっと抱きつき、少し安心したように体の緊張を緩めた。


 そのままずっとそうしていると、琴音は泣き止んだ。

 そして、赤い目のまま俺を見つめた。


「恥ずかしいところを見せてしまいました」


「べつに恥ずかしいだなんて思わないけど」


「先輩は……強いですね。怖くないんですか?」


「怖いけど、それが態度に出ないだけだよ」


「それが強いってことだと思います。私は強い人間のつもりだったんです。姉さんなんかとは違って……」


「遠見さんは玲衣さんを男に襲わせようとしていたよね。さっき遠見さんがされそうになったのは、それと同じことだよ」


 うっ、と琴音は言葉に詰まった。

 そして、不安そうに俺を見つめた。


「先輩は……私のことを許せないって思っていますよね。だから、私があの男たちになにかされてもいい気味だとしか思わないんじゃないですか?」


「もしそうなら、さっき遠見さんをかばったりしないよ」


「それは……これからも私のことを守ってくれるってことですか?」


「遠見さんは玲衣さんの妹だからね」


 俺が言うと、琴音は複雑そうな表情をした。


「姉さんの妹だからっていう理由は気に入りません」


「遠見さんは玲衣さんのことが嫌いだろうからね」


「そうですね。それもありますけど……それ以外の理由もあります」


 琴音は大きな黒い瞳で、俺のことをまっすぐに見つめた。


「私、先輩のことに興味があったんです」


「え?」


「ご、誤解しないでください。そういう意味じゃなくて、あの姉さんが好きになった人がどんな人か、気になっていたんです。姉さんは怖がりで、臆病者で、傷つくのを恐れていて……そんな人が、先輩にだけ心を許しているんって知ったら、気にならないわけがありません」


「それで、俺はどんな人間だった?」


「優しい人だな、とは思いました。私は姉さんと先輩にひどいことをしようとしたのに、今でも怒らずに私に普通に接してくれて、私を守ってくれようとしています。それは私が姉さんの妹だから? それだけですか?」


「どうかな……ともかく、俺にとっては、それが自然だと思うからだよ」


 琴音が姉を憎む理由も、理解できなくはないのだ。

 玲衣さんの母と玲衣さん自身がきっかけとなって、琴音は大好きな両親を奪われた。


 もちろん琴音が玲衣さんにしようとしたことを許せるわけじゃないけれど、でも、琴音のことを嫌うつもりもなかった。


「ふうん……ねえ、先輩、一つだけお願いしても良いですか?」


「一つだけ? なに?」


「遠見さん、って呼び方、やめてください」


「え?」


「琴音、って呼んでほしいんです」


「どうして?」


「どうしても、です」


 そう言うと、琴音は目をそらし、顔を赤くした。


「あー、うん。わかったよ、琴音」


 そう言うと、琴音はびくっと震え、ふたたび俺を見つめた。


「あの……は、晴人先輩」


 俺はびっくしりして琴音を見つめた。

 俺のことまで名前で呼ぶとは思わなかった。

 

 そして琴音は顔を赤くして、部屋のなかのベッドを指さした。


「私と先輩、ここで一緒に生活することになるんですよね?」


「あの男はそう言っていたね」


「なのに……ベッドが一つしかないんですけど……どうしましょう?」

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