第53話 秋原雨音

 結局、夏帆はうちに転がり込んできて、住みはじめた。

 どうやったのか知らないけれど、母親の秋穂さんの承諾も得たらしい。


「お姉さんとして、晴人と水琴さんが変なことをしないか、監視しないとね」


 夏帆はそう言って微笑んだけど、でも、普段より元気がなさそうにしていた。

 いつもは夏帆と距離感のある玲衣さんだけど、さすがに心配のようだった。


 夏帆が笑顔を見せるのは、俺の料理を食べたときで、「いつも晴人のご飯が食べられるなんて、幸せ」と言うのだった。

 そういうときは、玲衣さんも「わ、わたしも晴人くんの料理が大好き」と言ってくれる。

 

 ……ふたりともご飯を作ってくれたりはしないんだろうか?


 でも、ともかく、このままじゃいけない。

 夏帆の叔母だという佐々木冬花先生の言葉を聞く限り、やっぱり俺と夏帆の血縁疑惑は完全には消えていない。

 一つは夏帆の母の証言があるらしいということ。もう一つは血液型の問題だ。


 どうしたものかと考えあぐねているうちに一週間がたった。


 その週末の朝、俺は目をこすりながら起きた。

 もう朝の九時だ。


 なのに、夏帆も玲衣さんもまったく起きてくる気配がない。

 夏帆はともかく、玲衣さんも意外と怠け者なんだなと思って微笑ましくなる。


 そのとき、チャイムが鳴った。

 そういえば、ネット通販で何冊か推理小説を買っていて、今日ぐらいに届くはずだった。

 最近は玲衣さんと夏帆がいるので、全然読む時間がないけれど。


 俺は「はい」と返事をしながら、アパートの扉を開けた。


 そこにいたのは、背の高いすらりとした美人女性だった。

 彼女はくすっと笑い、その綺麗なストレートの黒髪が揺れた。


 冬だというのに、Tシャツに短パンみたいな露出度の高い服装で、けれど、それが彼女のスタイルの良さを際立たせている。


 俺は彼女のことをよく知っていた。


「あ、雨音姉さん」


「晴人君! 久しぶりね!」


 そう言うと、雨音姉さんはぴょんと跳ねるように俺に飛びついた。

 俺は思わずバランスを崩して転びそうになったが、雨音姉さんが俺を強く抱きとめたので転ばずにすんだ。


 でも、それはそれで困る。

 雨音姉さんは正面から俺に抱きついている。


 そうすると、なんというか身体の柔らかい部分が当たっているし、それに、ふんわりとする甘い香りがする。

 俺は困惑と心地よさのせいで、くらりとめまいがしそうになった。


 玲衣さんや夏帆とはまた違う。

 大人の女性といった感じがした。

 数年前までは、雨音姉さんだって玲衣さんたちと変わらない女子高生だったのに。


 雨音姉さんは俺の従姉で、女子大生だ。

 ずっと一緒にこの家に住んでいて、そして去年からアメリカの大学に留学していた。


「は、離してよ。雨音姉さん」


「そう言って離すと思う?」


 いたずらっぽくウィンクすると、雨音姉さんは俺の耳元に唇を近づけた。

 雨音姉さんの甘い吐息がかかり、くすぐったい。


「久しぶりに会うのに、晴人は私のことを歓迎してくれないの?」


「そ、そういうわけじゃないけど……」


 俺はちらりと部屋の中を見た。

 玲衣さんと夏帆がいつの間にか起き上がってきていて、俺たちを見て顔を赤くしていた。


「晴人くん……」「晴人……」


 二人の少女は、それぞれ不満そうに俺を睨んでいる。


「夏帆も水琴さんも、やきもちやいてるんだ?」


 からかうように雨音姉さんが言う。

 相変わらず、俺にくっついたまま。


「でも、こうやって晴人君のことをハグしていたのはいつものことだったものね」


「いつものこと?」


「ええ。私が晴人君と一緒に住んでたときは、こうやって晴人君といちゃいちゃしていたもの」


 くすくすっと雨音姉さんが笑った。

 いいなあ、と小さく玲衣さんがつぶやく。


 雨音姉さんは急に俺を離すと、ばしばしと俺の背中を叩いた。


「モテモテだね! 晴人君! 二人の美少女を侍らせてるし」


「侍らせてるわけじゃないんだけど……」


「違わないでしょう?」


 俺は言葉に詰まった。

 確かに客観的に見れば、そうなのかもしれない。


「ま、でも、侍らせるのは二人じゃないかもね」


「え?」


「クリスマス休暇のあいだは私もここに住むから」


 雨音姉さんは弾んだ声で、嬉しそうに微笑んだ。

 そして、雨音姉さんは重大なことを言った。


「さて、夏帆の問題を解決しに行きましょうか」


「解決? どうやって?」


「私は鍵を握っているの。すぐに夏帆が晴人の姉じゃないって証明してみせるわ。だって」


 そこで言葉を切り、雨音姉さんはちょっと頬を染めて、上目遣いに俺を見た。


「晴人のお姉さん役は、私だけで十分だものね」

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