第54話 佐々木秋穂と、問題の解決

 翌日の午前中、俺たちは、夏帆の家の前にいた。

 それは雨音姉さんの提案だった。


 結局のところ、夏帆の母親である秋穂さんに聞かなければ、俺と夏帆の血縁疑惑は解けない。

 そういうふうに雨音姉さんは言った。


 それは正論なのだけれど、俺も夏帆もその勇気がなかったのだ。


 佐々木家はけっこう立派な家だ。

 遠見の屋敷ほどではないにしても、大きな日本家屋に庭園がついている。

 その門は古めかしい茶色だった。


 隣のビルは対象的なコンクリート打ちっ放しの近代的な建物で、佐々木総合クリニックという大きな病院になっている。

 秋穂さんはその院長なのだ。


 もともと佐々木家は医療関係者の多い家系で、夏帆の父である佐々木信一さんも医者だし、その妻の秋穂さん自身も医者だった。


「さて、入りましょうか」

 

 雨音姉さんは平然と門の横のチャイムを鳴らした。

 この狭い街は、知り合いばかりだ。


 秋穂さんとは家族ぐるみの付き合いがあったし、雨音姉さんも秋穂さんと親しかった。


 しばらくして、秋穂さんが姿を現した。

 事前に訪問予定は告げてある。


「久しぶりね、晴人くん。それに雨音さんも。海外から帰ってきたの? 来てくれて本当に嬉しいわ」


 秋穂さんが綺麗に微笑んだ。

 まだ三十代後半の秋穂さんは、夏帆をそのまま大人にしたような感じの美人だった。


 長い黒髪を綺麗に束ね、名門の未亡人といったふうの上品な服を着ている。


「ご無沙汰していてごめんなさい」


 雨音姉さんも嬉しそうに答える。

 この二人は単に家族ぐるみの付き合いがあったからという以上に、昔から仲が良かったような記憶がある。


 夫を亡くした秋穂さんと、両親を亡くした雨音姉さんは、互いに共通するものを見出していたのかもしれない。


「そうそう。夏帆ったら、いきなり晴人くんの家で寝泊まりするって言い出してびっくりしたわ」


 夏帆がぎくっとした顔をする。


 俺も電話で秋穂さんと事前に話していたから大丈夫だと思っていたのだけど、改めて聞くと、夏帆はやっぱりちゃんとした承諾は得ていなかったらしい。

 

 まあ、幼馴染とはいえ、男の家に泊まるなんて話、積極的に賛成はしないだろう。


 夏帆は不満そうに言う。


「お母さんはあたしと晴人が仲良くするのが嫌なんでしょ?」


「いいえ? そんなことはないわ」


「嘘。お母さんは最近、あたしが晴人に会うとき良い顔をしなかった」


 それは初耳だ。

 でも、もし夏帆が俺の姉なら、夏帆の母親が俺と夏帆が付き合うことに反対してもおかしくはない。


 これも俺と夏帆の血縁疑惑の状況証拠にはなってしまう。


「お母さんがあたしと晴人が仲良くするのに反対してた理由って……」


 そこで夏帆は口ごもった。

 聞くのが怖いんだろう。


 けれど、雨音姉さんはさくっと尋ねてしまった。


「秋穂さんって、和弥叔父様と不倫してたんですか? 夏帆の本当のお父さんは和弥叔父様?」


 秋穂さんは目を大きく見開いた。


「誰に聞いたの?」


「秋穂さんの義理の妹の、冬花さんですよ」


 それを聞いて、秋穂さんは天を仰ぎ、はぁっと大きくため息をついた。

 そして、俺と夏帆を見つめる。


「最近、夏帆の様子がおかしかったのはそういうことだったのね」


「どうなんですか?」


 俺は思わず、秋穂さんに答えを促してしまった。

 秋穂さんは綺麗な瞳でまっすぐに俺を見つめた。


「嘘をついても仕方がないでしょうね。きっと納得してくれない。答えは半分だけイエス」


「半分だけ?」


「ええ。夏帆にとってはショックなことだと思って黙っていたけど……実は……」


 苦しそうに秋穂さんは黙り、ようやくふたたび口を開いた。


「私は昔からずっとあなたのお父さんのことが……和弥のことが好きだったの。私と和弥が幼馴染だったって知ってるでしょう?」


「……はい」


「高校のときは付き合っていたこともあるの」


 それは初耳だ。

 そんなこと父さんからは一度も聞いたことがない。


「でも、私は振られちゃったの。私よりも好きな人ができたんだって言って。それがあなたのお母さん」


「そうだったんですね」


「やっと諦めて信一さんと結婚したのに、彼は事故で死んじゃった。私と夏帆を遺して。夏帆を見るたびに信一さんのことを思い出して辛くなるし、それに、和弥にも未練があった。だから私は思ったの。夏帆は私と和弥の子どもだと思って育てようって」


 俺も夏帆も固まった。

 どういうことだろう?


「和弥は夫を亡くした私に親切にしてくれたわ。でも、それは幼馴染としての、友人としての親切にすぎなかった。子どもみたいかもしれないけど、それが嫌だったの。だから、私は自分に都合のいい妄想をしたの。今からすると自分でもどうかと思うけど、当時は本当に辛かったから」


「でも、それなら、なんで冬花さんは、夏帆のことを俺の父親の子だと言ったんです?」


 話が秋穂さん個人の願望にすぎないというのなら、なぜそれが冬花さんの口から出てくるのだろう。


「夏帆が小さかったころは、佐々木本家から夏帆を引き渡せってうるさかったの。特に信一さんの両親がね。だから、それを解決する一番いい手は、信一さんの子どもじゃないって、佐々木本家に噂を流すことだった。もちろん、和弥との名前は挙げていないけど、冬花は自分で調べて、そのころ私と親しかった男性の名前を見つけてきたんだと思うわ」


「なるほど……」


 話が複雑だが、理解できてきた。

 冬花さんの勘違い、ということだろうか。


「私は夏帆が晴人くんと仲良くなるのに反対したつもりなんてないわ。でもね、今のあなたたちを見てると、昔の私と和弥を見ているみたいで怖かった。いつか夏帆が私みたいに振られて、傷つくんじゃないかって。だから、無意識にそういうのが顔に出てたのかもね。ごめんなさい」


 俺も夏帆も黙った。

 幼馴染だったという秋穂さんと俺の父さん。

 たしかにその関係は、今の俺たちと近いものだったのかもしれない。


 雨音姉さんがぽんと手を打つ。


「最後に一つ。血液型なんですけど」


「ああ。信一さんがO型なのに、夏帆がAB型ってことね。それは……」


「それは秋穂さんがCisAB型だからでしょう? 違いますか?」


 ちょっと驚いた表情を秋穂さんはした。

 そして、感心したふうに言う。


「さすがアメリカの大学に行く秀才ね。いろんなことを知っているのね」


「同一染色体の上にA、B両方の遺伝子がのっていれば、片親がO型でもAB型の子が生まれる。それがCisAB型っていう血液型。医者の秋穂さんなら当然知ってると思いますけど」


「ええ……夏帆がもっと大きくなって、結婚するってときになったら教えるつもりだったわ。でも、こんなことになるなら、もっと早く伝えておくべきだったのかもしれないわね」


 秋穂さんは申し訳無さそうに瞳を曇らせた。


 しかし、これで問題はすべて解決ということだ。

 俺の父さんも秋穂さんも不倫疑惑を否定していて、俺と夏帆の血縁を疑う理由は何もなくなった。


 雨音姉さんが弾んだ声で言う。


「ね、晴人君。ちょっとの勇気と知識があれば、問題はすぐに解決するものでしょう?」


「どうして雨音姉さんはそんなに俺と夏帆に血縁関係がないって自信があったの?」


「一つは私は和弥叔父様や秋穂さんからいろいろ昔の話を聞いていたの。昔の恋愛話も含めてね。私はあなたたちより年上だもの。それで、だいたいの予想がついたわけ。もう一つは、私は和弥叔父様を、あなたのお父様を信じていたから」


 一方の夏帆はしばらく呆然としていたが、やがて我に返ると、本当に嬉しそうに微笑んだ。 


「そっか。あたしは晴人のお姉さんじゃないんだ」


「そうだね」


「それはそれで、ちょっと残念かも」


 くすくすっと夏帆は笑った。


「でも、晴人のお姉さんじゃないなら、あたしが晴人のなんになるかは決まっているよね」


「へ?」


「あたしは……晴人の恋人になりたいの」


 夏帆は頬を染めて、静かにそう言った。

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