第38話 不穏な予感

 水琴さんが俺のことを好き。

 確信はないけれど、たぶんそうだ。

 

 なら、俺はどうしたらいいんだろう?


 俺が好きなのは夏帆だ。

 そして、水琴さんから正式に告白されたわけでもない。


 でも、水琴さんが俺を大事だと思ってくれるなら、それはとても嬉しいことで。

 俺は考えがまとまらないまま、電車に揺られていた。


 急に固まった俺を、心配そうに水琴さんがのぞき込む。


「晴人くん? どうしたの?」


 水琴さんの綺麗な顔が近くにあって、俺はどきりとする。

 自分が赤面するのがわかる。


 水琴さんを意識しているからだ。

 俺は首を横に振った。


「な、なんでもないよ。それより駅についたから」


 そう言うと、俺は電車の座席から立ち上がりホームへと降りた。

 

 隣町はかなりの都会だ。

 改札を出ると、駅構内にはだいぶ多くの人が歩いている。


 ここから水族館へ行くためにはこの町の市営地下鉄に乗る必要がある。

 地下鉄なら昔この町に来たときに使ったこともあるし、前もって調べてもきたのだけれど、それでもちょっと迷いそうだ。


 俺が水琴さんを振り返り、道を説明しようとすると、水琴さんは顔を赤くしてなにやらもじもじしていた。

 

 どうしたんだろう?


「あ、あのね。わたし、晴人くんに、手を……」


「つないでほしい?」


 俺が聞くと、水琴さんはこくこくとうなずいた。

 恋人のフリをしたいから、という理由かと思ったら、ちょっと違った。


「はぐれちゃいそうで怖いの」


 俺はくすっと笑った。

 水琴さんはちょっと不満そうに俺を見る。


「なんで笑うの?」


「いや、水琴さん、可愛いなと思って」


 俺がそう言うと、水琴さんの不満そうな表情は一瞬で消えて、かあぁぁと顔を赤くした。

 ころころと表情が変わって、本当に可愛いと思う。


 ちょっと前までは、俺は教室での水琴さんの姿しか知らなくて、クールで感情を表さない冷淡な人だとずっと思ってた。


 でも、本当の水琴さんはこんなに表情豊かなのだ。

 

 俺は水琴さんに手を差し出した。


「手をつなごう」


「うん」


 水琴さんは俺の手の指に自分の指を絡めた。

 ……これは完全に恋人つなぎというやつだ。

 

 ちょっと恥ずかしい。

 俺が水琴さんの手を引くと、水琴さんも俺の後をとてとてと付いてきた。


 俺は地下鉄の出入り口へ向かいながら、俺は水琴さんに尋ねた。


「水族館ではなにか見たいものがあるの?」


 ペンギンとかそういうのかなあ、俺は思っていたけれど、水琴さんの答えは違った。


「あのね。ここの水族館、イワシがたくさんいるんだって」


「イワシ? あの干物にして食べるやつ?」


「そうなんだけど、イワシが3万5千匹いるの。それが一斉に泳いでいて、とてもきれいなんだって。テレビでやってたの」


 数万匹のイワシが水槽で泳いでいる。

 それが綺麗。

 

 あまりピンと来ない。

 でも、水琴さんが楽しみにしているんだから、見てみたら本当に綺麗なのかもしれない。


 ちょっと風変わりだけど、面白そうだ。


「楽しみだね」


「うん」


 水琴さんはうなずくと、恥ずかしそうに小声で言った。


「ちょっとお手洗い行ってきてもいい?」


「いいけど、一人で行ける?」


「行ける!」


 水琴さんが顔を真っ赤にした。

 さすがに子供扱いしすぎたかな。


 俺は微笑すると、水琴さんは顔を赤らめたまま、トイレを探しに行った。

 すぐに戻ってくるだろう。


 俺はそう思っていたけれど、違った。

 水琴さんがなかなか戻ってこない。


 十分たった。


 俺は不安になってきた。

 迷子になったんだろうか。


 いや、もっとまずい事態の可能性もある。

 水琴さんは帰り道に他校の男子生徒に襲われそうになっていたこともある。


 あれがどういう事情だったのかはわからないけれど、また同じようなことになっていたらまずい。


 俺はいてもたってもいられなくなって、水琴さんに電話したけれど、つながらない。

 どうしよう?


 俺はあたりを見回した。

 探しに行きたいけど、この場から離れたら、間違いなくはぐれてしまう。


 でも、俺の悩みはすぐに意味がなくなった。

 後ろからとんとんと肩を叩かれる。


 振り返ると、水琴さんが微笑んでいた。


「ごめんなさい。待たせちゃって」


「心配したよ。なかなか戻ってこないから」


「ま、迷子にはなってないから、大丈夫」


「もしかして、なりそうになった?」


 水琴さんが顔を赤くした。

 図星なんだろうな、と思う。


「でも、それが遅くなった理由じゃないから」


「なら、どんな理由で……」


「女子にはいろいろと言えないことがあるの」


 水琴さんはそう言うとくすりと笑った。

 よくわからないけど、これ以上尋ねないほうが良さそうだ。


 ともかく、俺が心配したようなことは何一つ起こっていなかった。

 俺はほっとため息をついた。


 でも、安心するにはまだ早かった。

 

 妙な視線が俺たちに注がれていることに気づいたのだ。


 緑色のブレザーの制服を着た女子生徒が、数メートル離れた駅構内の柱の陰から俺たちをじっと見つめている。

 たしかあれは、うちの町の中学の制服だ。


 川向うの学区の中学だったと思う。


 彼女は俺たちに近づいてきた。

 水琴さんは彼女に気づいていなかったみたいで、けれど振り向いて、さあっと顔を青ざめさせた。


 その女子中学生はとても清楚な感じの美少女だった。


 黒い髪をまっすぐに綺麗に伸ばし、黒目がちの大きな瞳は聡明そうに輝いている。


 背はそれほど高くないけれど、スタイルも悪くない。

 一挙一動にどことなく品があって、お嬢様っぽい印象を与えている。


 おそろしく整った顔は冷たい印象で、そして、水琴さんに少し似ていた。


 その子は俺の前に立つと、不思議な微笑を浮かべた。


「秋原晴人先輩ですね。はじめてお目にかかります。そして、姉がいつもお世話になっています」


「姉?」


「はい。私は遠見琴音と申します。遠見本家の娘で、そして水琴玲衣の妹ということです。以後、お見知りおきを」


 遠見琴音と名乗った子は、胸に手を当てて、優雅な雰囲気で俺に挨拶の口上を述べた。

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