第77話 琴音の気持ち
遠見琴音。
それが私の名前。
私は遠見家の娘だった。
遠見家は大企業のオーナーで、私の生まれた小さな地方都市では、一番の大金持ちだった。
それに、私は誰の目から見ても、可愛らしい見た目の女の子だった。
だから、周りはいつも私のことをちやほやした。
私は、幼い頃は自分が幸せだと思っていた。
穏やかでかっこいい父と、優しくて美人の母がいて、いつも私のことを守ってくれていた。
母が「琴音」と名前を呼んでくれるとき、私はいつも嬉しい気持ちになった。
私は父のことが大好きで、幼稚園児のときに「お父さん、わたしのこと好き?」と聞いたことがある。
父はクスクス笑いながら、「琴音は僕の人生の全てだよ」と言い、優しく頭をなでてくれた。
私は世界で一番自分が幸せだと信じて疑わなかった。
けれど、それは偽りだった。
一つ年上の腹違いの姉がいる。
それを知ったとき、私の世界は暗転した。
私が小学生のとき、父は突然、家を出ていった。
父には、愛人のハーフの美人女性がいたのだという。
二人のあいだには隠し子がいて、それが私の姉の水琴玲衣だった。
父は愛人と姉さんを選んだ。
つまり、私と母は捨てられたのだ。
そして、父は愛人とその娘をつれて外国に行く途中、事故死した。
私にはわからなかった。
私のことを大事だと言ってくれた父の言葉は嘘だったんだろうか。
残された母の心は壊れた。
母を慰めようとした私は、錯乱した母に突き飛ばされ、暴力を振るわれた。
すでに母の目には正常な世界は写っていず、私のことも誰だかわかっていないようだった。
やがて母は自殺した。
絶望する私の前に、一人の少女が現れた。
それは姉さんだった。
姉さんは、水琴玲衣は両親を失い、遠見家に引き取られてきたのだ。
姉さんは銀髪碧眼の美しい少女だった。
もしかすると、周りの誰よりも可愛いと褒められてきた私よりも。
その日本人離れした美しさは、私と母から、父を奪った女の血が入っている証拠だった。
姉さんをひと目見て、心に憎しみが宿るのを抑えられなかった。
私は両親を失い、祖父のおかげで生活にこそ不自由しなかったが、家族と呼べるような存在はいなかった。
遠見家の跡継ぎは父の弟、つまり私の叔父になることが決まり、そうなってみると、周りの人間達はみな私に対する関心を失ったようだった。
私がちやほやされていたのは、遠見家の次期当主である父に対するご機嫌取りでもあったのだ。
それがわかって、私は周囲のことが信じられなくなった。
私は唯一無二の存在でもなんでもない。
たった一人の父親にすら捨てられてしまうような惨めな存在なのだ。
私は姉さんとともに、遠見家で孤独に育った。
姉さんは愛人の子として遠見家でこそ冷遇されていたけれど、家の外に出てみれば、その銀髪碧眼の美貌は人目を引いた。
自分で言うのもあれだが、私だってかなりの美少女なのに、姉さんと並べられると、どうしても外国の血を引く姉さんのほうが目立ってしまう。
そのことも、私の姉さんに対する憎しみを強めた。
一方の姉さんは私に対して怯えと罪悪感を感じていたようで、私を避け続け、そのことも私を苛立たせた。
私は中学生になると、様々な嫌がらせを姉さんにするようになり、周りはそれを黙認し、姉さんも耐え続けた。
だけど、姉さんが高校生になった冬、とうとう姉さんは屋敷から逃げ出すことになる。
私は止めの一手として姉さんを不良グループに襲わせようとした。
そうして、姉さんの心を壊すつもりだった。
けれど、その計画は失敗した。
姉さんのクラスメイトの男がかばったのだという。
しかも 姉さんはその男子生徒の家に転がり込んでいるらしい。
秋原晴人というのが、彼の名前だった。
彼は私と姉さんの従兄だという。
私は驚いて姉さんの様子を見に行くと、姉さんは恥ずかしそうにしながら、秋原という先輩の隣にいた。
許せない……、と私は思った。
私は姉さんを絶望させようと思ったのに、どうして男と幸せそうにしているのか。
私から両親を奪った姉さんに、そんな権利はない。
もちろん、姉さんは悪くないと理屈ではわかりながらも、私はそう思ってしまった。
だから、私は姉さんと秋原晴人を引き離そうとした。
でも、それはうまくいかなかった。
秋原晴人という先輩は、温和そうな見た目に反して、私が思っているよりもずっと強い人だった。
私の脅しにいつも言いなりだった姉さんが、晴人先輩の説得で、彼のもとにとどまることを選んだ。
遠見の力を使うと脅しても、晴人先輩はまったく動じなかった。
私は姉さんのことも先輩のことも後悔させると言いながら、この先輩のことが気になり始めた。
こっそり二人の跡をつけていたとき、私は晴人先輩と姉さんがキスをしているのを見てしまった。
姉さんは顔を赤くしながらもとても幸せそうで、私が見たことのないような綺麗な微笑みを浮かべていた。
ずるい……。
私はそう思ってしまった。
私は孤独なままなのに、どうして姉さんは好きな相手と一緒の家に住むことができるのか。
そして、姉さんは晴人先輩をつれて屋敷に戻ってきた。
私はチャンスだと思った。
姉さんと先輩を引き離すのに暴力を使う必要はない。
私が先輩の心を手に入れれば、姉さんにとっての一番の打撃になる。
だから、私は先輩を誘って屋敷の外の夜道へと出た。
その結果が、私と先輩の誘拐だった。
軽率なことをしたと思う。
男に襲われそうになって、みっともなくわんわんと泣いて、先輩に守られて、そして私ははじめて気づいた。
姉さんに対する憎しみが、いつのまにか嫉妬に変わっていたことに。
姉さんと晴人先輩の関係に私は惹かれていたのだ。
どんな脅威からも守ってくれる、心強い相手。
一緒の家に住んで、自分の話を聞いてくれる。
そんな存在が姉さんにとっての晴人先輩で、私もそんな相手をほしいと思ってしまった。
私は家族が欲しかったのだ。
いま、私と先輩は同じ部屋で二人きりで寝起きしている。
私が想像していたとおり、先輩は優しかった。
ふたたび男に襲われそうになった私を守ってくれて、一緒に寝たいというわがままを聞いてくれた。
誘拐犯たちの出す食事はいつも量が少なくて、不足気味だったけれど、先輩は私を優先して食べさせてくれた。
私が断ろうとしても、先輩は「俺は平気だから」と微笑むのだ。
いつ殺されてもおかしくない私は不安で仕方がなくて、でも、私が弱音を吐いても、先輩はいつも受け止めてくれた。
狭い部屋でベッドも一つしかないけれど、私は幸せだった。
両親を失って以来、豪華で広い屋敷の部屋に、私はたった一人で放置されていた。
でも、今は違う。
先輩がいるから。
姉さんのことなんて関係なしに、私は先輩のことが好きになっていた。
私は姉さんにも佐々木先輩にも、先輩をとられたくなかった。
監禁されてから一週間が経ち、また朝を迎えた。
私たちはいつも同じベッドで抱き合って寝ている。
目が覚めると目の前に私がいるという光景に、いまだに先輩は慣れないようで、顔を赤くしてどぎまぎしていた。
私はくすっと笑いながら、心のなかでこの時間がずっと続けばいいのに、と思っていた。
「ね、先輩。キスしていいですか?」
「何度も言っているけど、ダメだからね」
「じゃあ、また不意打ちします」
「それはもっとダメ」
たった一つ、先輩に不満なのは、先輩が私のアプローチを全然受け入れてくれないことだった。
キスだって初日の不意打ち以外成功できていない。
先輩は逃げるように「シャワーを浴びてくるから」と言って、浴室に消えた。
私は覚悟を決めた。
先輩が逃げられない場所で迫るしかない。
シャワーを浴びているとき、先輩は裸だ。
「私も一緒に入っちゃいますからね、先輩?」
独り言をつぶやくと、私はスカートに手をかけて、静かに床に落とした。
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