第76話 姉さんには負けませんから

 俺はどぎまぎして、目の前の琴音を見つめた。


 琴音はブレザーを脱いで、ブラウス一枚のみになっている。

 そんな琴音がベッドのなかで俺に抱きついているというだけでも動揺していたのに、そのうえ、琴音は俺にキスしてみないかと言い出した。


「ね、私みたいな美少女とキスできるなら、先輩だって嬉しいですよね?」


「自分のことを美少女だなんて言う?」


「だって、事実ですから」


 琴音は冗談めかして言ったが、その顔は相変わらず真っ赤だった。

 たしかに、琴音は清楚な雰囲気の美少女だ。


 アイドル並みに顔立ちも整っているし、肌も透き通るように白くて、スタイルも悪くない。


 たしかにこんな可憐な見た目の子に、キスしてほしいと迫られて悪い気がする男子はいないだろう。


 ただ、それも理由次第だ。


「どうして俺なんかとキスしようなんて思ったの?」


「それは……さっきみたいに男に襲われるかもしれないなら、その前に先輩に……」


「あんな粗暴な男より俺のほうがマシだって理由なら、あんまり嬉しくはないな」


 琴音は虚をつかれたような顔になった。

 そして、ぶんぶんと首を横に振った。

 綺麗な黒い髪が揺れる。


「ち、違います。そんな失礼なことを言ってはいません」


「なら、どうして?」


「先輩は……意地悪ですね」


「誰とでもそういうことはしない、というだけだよ」


 琴音は困ったように目をさまよわせた。

 このまま押し切れば、琴音も諦めてくれるかもしれない。


 けれど、琴音は静かに言葉をつむいだ。


「言ったでしょう? 私、先輩に興味があったんです。姉さんが心を許す先輩に。あの男嫌いの姉さんが、あんなに先輩とキスするときは気持ちよさそうにしていたなら……私はどうなんだろうって、思ったんです」


「なんだかんだで、琴音は玲衣さんのことを気にしているんだね」


 俺の言葉に、琴音は怒るかと思った。

 琴音からすれば、玲衣さんは父親が死ぬきっかけを作った憎むべき相手だ。


 けど、琴音は素直にうなずいた。


「そうなのかもしれません。でも、いま、先輩に持っている感情は、たぶん、姉さんのせいだけではないんです」


「ええと……」


「先輩は、私を守ってくれました。先輩からすれば、私は敵なのに」


「べつに大したことをしたわけじゃないよ」


「でも、かっこよかったですよ?」


 琴音はくすりと笑い、そして俺の耳元でささやいた。

 吐息がくすぐったい。


「ごめんなさい。先輩は私のことを許してくれますか?」


「なんのこと?」


「男たちに姉さんを襲わせようとしたことです」


「急にどうしたの?」


 これまで、琴音はどんなことをしても悪びれなかった。

 それが今、目の前の琴音は、自分のしたことを謝っている。


「自分がひどいことをされそうになって、初めて何をしようとしていたか、わかったんです」


「反省してくれたなら、俺から言うことは何もないけれど」


「よかった……。私、先輩に嫌われたくないなって思ったんです」


「俺?」


「はい。危険なのに、先輩は私のことを身を張って助けてくれました。だから……これはそのお礼なんです」


 不意打ちだった。

 次の瞬間には、琴音の赤い唇が俺の唇に押し付けられていた。


 甘いような不思議な感覚に襲われる。

 それは玲衣さんとキスしたときと、とてもよく似ていた。


 琴音はすぐに俺から唇を離した。

 ただ、相変わらず身体は俺とくっついたままだった。


 琴音の頬は燃えるように赤かった。


「こ、琴音……」


「姉さんより良かったですか?」


 くすっと琴音は笑った。


「ええと……」


 俺が言いよどんでいると、琴音が頬を膨らませた。


「絶対に姉さんより私のほうが良かったって言わせてみせますから!」


 そして、琴音はふたたび俺に顔を近づけた。

 逃げようにも、琴音に俺は抱きしめられていて、逃げられない。


 いや、体格差からすれば、もちろん無理やり振りほどくこともできるけれど、そんな乱暴なことはしたくなかった。


 琴音は俺に唇を重ね、「あっ、んっ……!」と小さあえぎ声をあげた。

 さらに琴音はびくんと身体を震わせ、軽く身もだえした。


 そうすると、もともと俺と琴音は密着しているから、琴音の柔らかい部分が俺の身体とこすれる。


「ひゃうっ!」


 琴音はびっくりしたのか、はずみで唇を離し、甲高い声を上げた。

 その身体は熱を帯びていて、琴音の瞳は潤んでいた。


「ええと、やっぱり俺は床で寝たほうが……」


「一緒に寝てくれるって言いましたよね?」


 琴音はますます強く俺を抱きしめた。

 琴音の胸がぎゅっと俺に押し当てられる。


 これではどう考えても寝るどころではないのだけれど。

 うろたえる俺に、琴音が微笑みかけた。


「私、姉さんには負けませんから」

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