第75話 一緒に寝てください、先輩!

 たしかに琴音の言うとおりで、部屋にベッドは一つしかなかった。

 サイズ的にはダブルベッドだから、二人で寝ることもできないことはないけれど、そういう問題でもない。


 ちらちら、と琴音が俺の方を見る。


 さて、どうしたものか。


「俺は床で寝るよ」


「え……でも」


「俺と一緒に寝るっていうのはまずいだろうから」


「それは……そうですが……」


 琴音はなにか言いたそうにしていたが、結局、何も言わなかった。


 誘拐された時点で夜遅かったし、もうそろそろ日付が変わりそうだった。

 俺はあまり眠くないけれど、そろそろ寝ても良い頃だ。


 それに、今できることはあまりない。

 ドアは内側から開かないようにされているし、窓から逃げようにもここは四階だ。


 そのとき、外側からドアが開いた。

 俺も琴音も緊張して、誰が来たのかを見た。


 そこに立っていたのは、俺たちを誘拐した男の一人だった。

 茶初の粗暴な男だった。


 彼はにやりと笑った。


「もう我慢する理由はねえな」


 そう言って彼はずかずかと入ってきて、琴音をつかんだ。

 琴音の顔がみるみる青ざめる。


「やだっ! 離してくださいっ!」


「こんな美少女で、しかも遠見のお嬢様をやれるっていうんだ。離すわけがないだろう?」

 

 男の言葉を聞いて、琴音はますます怯え、じたばたと暴れたが無駄だった。

 

「オレは幸せに育ったやつが大嫌いでね。つまり、見てくれも良くて大金持ちの生まれみたいなやつが、泣き叫んで壊れるのが大好きってことだ!」


 男が琴音を寝台に突き飛ばした。

 彼はそのまま琴音に覆いかぶさるつもりだったんだろう。


 だけど、そうはならなかった。

 俺が男の足を払い、投げ飛ばしたからだ。


 男は呆然としたままその場に倒れ込み、俺は追撃を加えようとした。

 が、男もさすがにまったく無抵抗というわけではなく、すぐに起き上がり、俺を睨んだ。


「なめた真似をしてくれるじゃねえか」


 俺は琴音の前に回り込み、琴音をかばう位置に立った。


「あんたにはこの子が幸せそうに育ったふうに見えるわけかな?」


 俺の問いかけに男は目を血走らせた。


「そうだ。何の悩みもなく、ぬくぬく育ちやがって!」


 男は勘違いしている。

 大金持ちの遠見家の令嬢でも、悩みはあるのだ。


 玲衣さんだけじゃなくて、両親を失った琴音も、ずっと孤独だったはずだ。

 大男は俺に向かって拳を振りかざしたが、俺はそれをさっと避けた。


「あんたは何もこの子のことを知らないんだよ」


 俺はそうつぶやいて、そのまま彼の頬に拳をのめり込ませた。

 綺麗に決まった一撃で、男はあっけなく倒れた。


 この男はあまり頭の回転も良くなければ、たいして格闘面で強いわけでもない。

 誘拐犯のなかでも下っ端扱いをされているわけだ。


 騒ぎを聞きつけた誘拐犯のリーダーがやってきて、呆れたように男と俺たちを眺めた。


「こいつは……まったくどうしようもないな。女に手を出すぐらい黙認してやろうと思っていたが、こんな少年に返り討ちにあうなんて」


 男は首を横に振った。

 俺は彼に訪ねた。


「また琴音を襲わせるつもりなら、俺たちもあんたたちの言うことを素直には聞けないな」


「へえ。例えば?」


「俺たちを生かしておく必要があるなら、俺たちに全力で抵抗されたら、あなたたちも困るだろう?」


「まあ、それもそうか。つまり、そこのお嬢様には手を出すな、ということだね」


 俺がうなずくと、彼は「まあ、そのほうがいいか」とつぶやいた。


「わかった。この馬鹿にはお嬢様に手出ししないように言っておこう。こいつへのご褒美のつもりだったが、こんな醜態をさらしたんだからやむを得ないさ。それに私たちも暇ではなくてね」


 そう言うと、リーダー格の男は、床に倒れた男を引きずっていった。

 俺はほっと胸をなでおろした。

 

 危ないところだった。

 俺は今でこそ無害な一般高校生だけど、中学生のときはいろいろあって喧嘩慣れしていた。

 ただ、所詮、中学生の喧嘩程度なわけで、俺の力なんて限られているし、相手が強ければ負けていただろう。

 

 俺が振り返ると、琴音はベッドの上でふるふると震えて、ふたたび涙をぽろぽろとこぼしていた。

 琴音の涙でベッドのシーツが少し濡れていた。


 俺は慌てて琴音に近寄ると、琴音はぎゅっと俺にしがみついた。

 まったくさっきと同じ構図だけれど、今度は琴音が俺に抱きつく度合いが大きくなっている気がする。

 琴音は完全に俺に体重を預けていた。


「先輩……もっと強く抱きしめてください」


「怖かった?」


「はい……でも、先輩が守ってくれて……」


 続きは声にならなかった。

 琴音が声を上げて泣き始めたからだ。


 仮に誘拐から無事に解放されたとしても、それまでに琴音の心が壊れずに持つだろうか。


 リーダー格の男は、琴音を襲わせないと約束してくれたが、いつ状況が変わるかわからない。


 俺は泣きじゃくる琴音をあやすように抱きしめた。

 ふわりと良い香りがして、琴音の身体の暖かさが伝わってくる。


 それは少し玲衣さんを抱きしめたときと似ているような感じがした。

 やがて泣き止むと、琴音は俺を上目遣いに見つめた。


「先輩……私を守ってくれますか?」


「そのつもりだよ」


「なら……一緒に寝てください」


「え?」


 琴音はかああっと顔を赤くした。


「怖いから、一緒のベッドで寝てほしいんです」


「でも……」


「ダメ、ですか?」


 琴音は震えながら、心細そうに俺を見つめた。

 そんなふうに見つめられたら、とてもダメとは言えない。


「ダメじゃないよ。琴音がそれでいいなら……」


「あ、ありがとうございます」


 琴音は恥ずかしそうにもじもじとし、そして寝る準備をはじめた。


 ほどなくして、琴音がベッドのなかに入った。

 そして、俺を見つめて期待するように待っていた。


 俺も意を決した。

 着替えなんてないから、琴音は制服からブレザーを脱いだだけだ。


 俺は琴音の隣に寝そべった。

 もともと目が冴えていたけれど、これではますます眠れないな、と思っていたら、琴音が俺との距離を詰めた。

 そして、正面から俺に抱きついた。


「こ、琴音!?」


「いつも姉さんとはこういうふうに寝ていたんでしょう?」


「いや……そういうわけではないよ」


 琴音が顔を赤くして、俺を睨んでいる。

 寝そべった状態で正面から抱きつかれると、琴音の柔らかい部分が俺の身体に触れる。


 特に胸の柔らかみ。

 玲衣さんほどではないけれど、中学生としては大きい方なのかもしれないな、と考えていたら、琴音が不満そうにつぶやいた。


「なにか……失礼なことを考えていませんでした?」


「べつに……」


「姉さんと私の胸の大きさを比較したりとか」


 俺が目をそらすと、「図星なんですね……」と琴音がつぶやいた。


「言っておきますけど、私は成長途中なんですからね!? 姉さんに負けているわけじゃないですから!」


「負けず嫌いだなあ……」


「だって、先輩だって大きい方が好きなんでしょう!?」


「まあ、そうだけど」


「ほら、やっぱり!」


「でも、俺の好みなんて気にしなくてもいいんじゃないかな」


 俺がそう言うと、琴音がはっとした顔をした。

 そして、さらに顔を赤くする。


「べ、べつに先輩の好みを気にしているわけじゃないです!」


「そう?」


「そうですよ! ……でも、先輩が私に興味があるっていうなら、少しぐらい触らせてあげてもいいです」


「遠慮しておくよ」


 俺は苦笑した。

 たしかに琴音は可愛いけれど、玲衣さんの妹だし、どうこうしようという考えはなかった。

 琴音は頬を膨らませ、それから寂しそうに俺を見つめた。


「先輩……あの……私、さっき男に襲われそうになりましたよね?」


「無事で本当に良かったよ」


「もし、無事じゃなかったら、って私……考えちゃったんです。もしかしたら、またああいう目にあいそうになって、本当に……そういうことをされちゃうかもしれません。それだったらいっそ……」


「いっそ?」


 琴音は俺に抱きついたまま、下腹部まで俺に寄せて密着度を高めた。

 そして、俺の耳元にささやきかけた。

 甘い吐息が俺にかかる。


「姉さんにしていたみたいに、私にも……キスしてくれませんか、先輩?」


 琴音は恥ずかしそうな顔で俺を見つめた。

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