第20話 女神様の身体を拭く
胸を両手で隠しているとはいっても、水琴さんは上半身の素肌をそのままさらしていた。
そんな状態の水琴さんが、俺に身体を拭いてほしいという。
さすがにそれはまずい。
俺が冷静でいられる自信はない。
水琴さんは頬を赤く染めて、上目遣いに俺を見た。
「ダメ……かな?」
「ダメってことはないけど」
反射的に俺はそう答えた。
しまった。
ダメって言うべきところだと思う。
俺はおそるおそる尋ねた。
「いや、でも、本当に俺がしていいの?」
「うん。そうしないと佐々木さんに嘘をついたことになっちゃうもの」
俺が水琴さんの胸を拭くのか。
想像して、俺は動揺した。
たぶん顔は真っ赤になっている。
俺の視線に気づいたのか、水琴さんは目をそらし、言った。
「ぬ、濡れた部分は乾いちゃったから、もういいの。それより、背中を拭いてほしい」
「背中?」
「汗たくさんかいちゃって、それで気持ち悪いから。自分だと手も届かないし」
「ああ、なるほど」
それならいいか。
いや、よくないかもしれないけど。
ともかく断ることはできない。
水琴さんが俺を頼ってくれているんだから。
俺はうなずくと、夏帆が開けたままだった窓を閉じた。
室温がかなり下がっているから、暖房の設定温度を上げる。
それから風呂場からバスタオルを持ってきて、濡らして固く絞り、ビニール袋に入れる。
それを電子レンジに放り込んだ。
蒸しタオルを作るのだ。
俺は奥の部屋に声をかけた。
「水琴さん、濡れるのとか気にしなくていいから、とりあえず毛布かぶっててよ。寒いだろうから。それで布団の上で待っててくれる?」
水琴さんはこくりとうなずき、「ありがと」と小さくつぶやいた。
一分ほど経って、俺は蒸しタオルを取り出し、水琴さんのもとへ戻った。
水琴さんは背中を向けて、毛布をかぶって待っていた。
俺に気づいたのか、水琴さんは毛布をぱさっと落とした。
ふたたび水琴さんの綺麗な白い肌が露わになる。
「恥ずかしい……」
水琴さんがつぶやいた。
「さっきまでも同じ状態だったよ」
「それでも、恥ずかしいの」
「我慢してよ」
俺はそう言うと、水琴さんの背中に手を伸ばした。
蒸しタオルを水琴さんに当てると、水琴さんは少しくすぐったそうに身をよじった。
そのまま背中を拭く。
「こんな感じでいい?」
「うん」
それきり水琴さんは黙って、されるがままになっていた。
水琴さんの背中はとても小さく見えた。
しばらくして、水琴さんが口を開いた。
「押入れのなかにあった、18禁の本のことだけど」
「あー……あれがどうかした?」
「佐々木さんに見つからなくてよかったね」
そういえば、そんなものもあった。
水琴さんが見つかるのに比べれば、エロ本なんて、全然、問題ないし、夏帆なら笑い飛ばしたかもしれないけど。
水琴さんは続けた。
「どれも佐々木さんによく似た女の子の写真ばっかりだったもの」
「そうだった?」
「そうだった。……本当に佐々木さんのこと、好きなんだ」
「まあ、うん、そうだね」
俺が答えると、「そう」と水琴さんは少し沈んだ声で答えた。
しかし、そんなつもりはなかったけれど、言われてみれば、たしかに成人向けの写真誌にしても、グラビアアイドルの写真集にしても、たしかに表紙にいるのは夏帆によく似た感じの明るいショートカットの髪型の子ばかりだった。
友人の大木が、「お前の好みに合ったものをくれてやる」と笑いながら言っていた意味がわかった気がした。
俺は水琴さんの背中を拭き終わった。
「あとは自分でやれる?」
「えっと……前もお願いしようかな」
「え?」
「人に身体を拭いてもらうのって、意外と気持ちいいなって思って。こんなお願いも、秋原くんは受け入れてくれる?」
水琴さんは俺を振り返った。
やっぱり、俺が水琴さんの胸も拭くということか。
相変わらず、両手で胸を隠している。
碧い瞳がまっすぐに俺を見つめていた。
「秋原くん……その、嫌だったらいいけれど……」
「嫌なんてことはないよ。もちろんやるけど、でも、そのためには、その、手をどけてもらわないと……」
俺が言うと、水琴さんはうなずいた。
でも、手を動かさない。
水琴さんがちょっと涙目になる。
「やっぱり、恥ずかしい」
「そりゃそうだろうね」
「でも、秋原くんに拭いてもらいたいのは本当なの」
「お腹のほうだけ拭く?」
「うん」
俺はひざをついて、蒸しタオルを水琴さんのおへそのあたりにぴたりと当てた。
同時に、「ひゃうん」と水琴さんが小さく悲鳴を上げる。
なにか違和感を感じたのかもしれない。
いや、単にくすぐったかったのかな。
俺は動揺してわずかに前のめりになった。
転がっていた化粧水の瓶にひざがあたり、そして体勢をくずしてしまった。
俺はそのまま前へと傾いた。
「きゃあ!」
水琴さんがより大きく悲鳴を上げ、俺も目を回した。
次の瞬間には、俺は水琴さんを押し倒し、半裸の彼女に覆いかぶさる形になっていた。
水琴さんが青い瞳で俺をまっすぐに見つめていたけど、その瞳には恐怖の色も嫌悪の色もなかった。
ただ、恥ずかしそうにしていただけだった。
「あ、秋原くん? どいてくれる?」
「ご、ごめん」
「それとも……このままの格好で身体、拭いてくれる?」
「それはさすがに俺が理性を保てる自信がないよ」
俺は思わずそう答え、しまった、と思った。
これでは、水琴さんを性的な目で見ていると言っているようなものだ。
けれど、水琴さんは青い瞳でじっと俺を見つめた。
「秋原くんも……男の子なんだよね」
「……『最低っ』って罵ってくれていいよ」
と俺は言ったが、水琴さんは首を横に振った。
「わたしがお願いしてるんだもの。そんなこと、言えるわけない。それに……わたし、男嫌いだけど、秋原くんのこと、そんなに嫌いじゃない」
「それは……なんというか、その、ありがとう」
そう俺がとぎれとぎれに言うと、水琴さんはくすっと笑った。
思わず、俺は水琴さんに見とれた。
水琴さんは頬を緩め、柔らかい笑みを浮かべて、俺を見ていた。
「水琴さんが笑うところ、はじめて見た気がする」
「そ、そう? 変だった?」
「いや……すごく可愛いと思う」
俺は言ってから、後悔した。
俺になんか、可愛いと言われても嬉しくないだろう。セクハラと言われるかも、と俺は思った。
けれど、水琴さんは「そっか」と弾んだ声でつぶやいた。
「わたしって、美人でしょう?」
「誰に聞いてもそうだって答えると思うよ」
「うん。だから、いろんな人にたくさん『美人だ』って言われてきたけど……でも、秋原くんに『可愛い』って言われると、なんか新鮮だなって思うの」
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