第26話 それって、秋原のことが好きってことだよね

 教科書でぎっしり詰まった重いリュックサックを背負い、俺は朝の教室の入口の前に立った。

 早めに来たから一時間目の開始まで二十分ぐらいあるけど、始まってしまえば、今日もいつもどおりの退屈な授業が始まる。

 


 俺はそう思っていたが、扉を開くと、なんだかいつもと違う空気を感じた。

 窓際の一番うしろの席に、人だかりができている。

 クラスメイトのかなりの数が集まっていて、離れた席に座っている生徒もそちらに注目していた。


 そこは水琴さんの席だった。

 多くのクラスメイトに取り囲まれて、水琴さんは困った顔をしていた。

 水琴さんは人付き合いをあまりしないから、珍しい光景だ。


 俺は入口で立ち止まった。


 あたりを見ると、クラス委員長の橋本さんが近くの席でにやにやしている。

 さっぱりした性格の女子で、背が高くどこにいてもよく目立つ。

 口数も多くて交友も広く、わりと話しやすいタイプで、俺とも仲は悪くなかった。


 俺は橋本さんに尋ねた。


「おはよう、橋本さん。あれ、どうなってんの?」


 橋本さんは俺に気づくと、にやりと笑った。


「お、秋原じゃん。よく来たね。みんな、待っていたんだ」


 橋本さんはわざとらしく手を広げ、声を張り上げた。

 その言葉と同時にクラスメイトたちが一斉にこちらを向く。

 ほとんどがもの珍しそうな好奇心からくる視線だったけど、なかには悪意のある鋭い視線も混じっているように感じた。


 橋本さんは愉快そうに言った。


「秋原って、あの女神様と同棲してるんだって?」


「同棲!?」


 俺はぎょっとした。

 誰がそんなことを言ったのか。


 俺が水琴さんのほうを見ると、水琴さんと目があった

 助けて、というように、水琴さんは青い瞳で俺に訴えかけた。


 どういうわけか知らないけれど、俺と水琴さんが同じ家に住んでいることはバレてしまっているらしい。


 それはいまさらどうしようもないけれど、でも、「同棲」という誤解はまずい。

 俺はなるべく落ち着いた表情を作って言った。


「誰が同棲してるなんて言ってたの?」


「心当たりはあるんじゃない?」


 橋本さんは俺の心を見透かすように言った。

 心当たりがあるとすれば、夏帆かユキのどちらかが、秘密をもらした可能性だ。


 俺は肩をすくめた。


「俺と水琴さんはたしかに同じ家に住んでいるよ」


 おお、とクラスメイトたちがどよめいた。

 そして、俺はちょっとだけ間を置いた。

 十分に注意を引いてから、俺は続きを言った。


「でも、俺と水琴さんはただの親戚で、だから、水琴さんがうちに下宿しているっていうのが正しいかな」


「そんなこと言って、秋原は女神様と付き合ってるんでしょ?」


 橋本さんは俺の言い分を聞かずに言った。

 そうだそうだ、と言わんばかりに他のクラスメイトたちもうなずいた。


 困った。

 橋本さんもクラスメイトたちも、みんな俺と水琴さんが付き合っていて、そして同棲していることにしたいらしい。

 みんな暇なのだ。


 噂話には目がない。

 俺はともかく、水琴さんは学園の女神様で、そして、今まで誰も寄せ付けない孤高の人だった。


 そんな人に浮いた話があって、しかもクラスメイトの男と同じ家に住んでいるなんて、みんな格好の暇つぶしの種にしたがるだろう。


 俺はため息をついた。


「あのさ、橋本さん。俺と水琴さんが釣り合うと思う?」


「……うーん、微妙かも。女神様には、秋原なんかじゃもったいないよね」


 冗談めかして橋本さんは言う。

 俺もそれに乗った。


「そこは否定しようよ、と言いたいけど、俺もそう思う。他のみんなもさ、俺が水琴さんと付き合っているなんて、ホントに信じるの?」


 クラスメイトたちは顔を見合わせた。

 そう言われれば、秋原のような平凡なやつのことを、水琴さんが好きなわけないか。

 と、クラスメイトたちは口に出したりしていたし、口には出さなくても内心でそう思ったやつも多そうだった。


 つまり、ちょっとだけクラスメイトたちは納得しかけた。

 しめた。


 あとはこの路線で押していけばいい。

 誤解を解けるかもしれない。


「秋原って頼りなさそうだものねー。あんまり目立たないしさ」


 と橋本さんがにやにやしながら言う。

 気安い仲だから言えることで、俺も普段ならムッとして言い返すところだけど、今は違う。


 いい感じだ。

 どんどん俺のことを悪く言ってくれると助かる。


 そうすれば、水琴さんが俺のことを好きなわけないとわかるだろう。

 男子生徒の一人がぼそっと言った。


「ま、秋原なんかじゃ女神様には釣り合わないか」


 やはり複数のクラスメイトかがうなずく。そのなかに混じって夏帆が何か言いたそうにしていたけど、大多数はいまの男子生徒の発言に賛成のようだった。

 

 そうだよね、と俺も答えるつもりだった。

 けれど。


「そんなことない!」


 綺麗な声でそう言ったのは、水琴さんだった。

 みんなが一斉に水琴さんに注目する。

 

 水琴さんは目をそらし、顔を赤くして、でもはっきりとした声で言った。


「秋原くんは、優しいし、カッコいいと思う。わたしは女神なんかじゃないし……秋原くんには迷惑をかけてばかりだし……優しくされる価値なんてない。釣り合わないのはわたしの方だよ」


 教室はしんと静まり返った。

 俺は天を仰いだ。


 これで「俺なんかが水琴さんと付き合えるわけがない」作戦は失敗だ。


 でも、水琴さんはたぶん、けなされている俺のために言ってくれているのだ。


 沈黙を破ったのは、やはり橋本さんだった。


「みんなのまえで大胆な宣言だね! それって、女神様は秋原のことが好きってことだよね?」

 

 橋本さんはますます愉快そうに、人差し指を立ててくすりと笑った。

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