第25話 普通の朝

 俺が食器を洗い終わると、俺たちはそれぞれの部屋に戻り、思い思いに時間を使った。

 ふと俺は思い立って、台所に戻り、明日のための用意をする。


 あとは推理小説を読んだり……夏帆とユキのことを考えたりしていたら、いつのまにかけっこう遅い時間になっていた。


 それから順番に風呂に入って、歯を磨いて、布団を敷いて。

 そんなふうに俺と水琴さんは当たり前のことのように、その日の夜を過ごした。


 次の日の朝、俺はちょっと早めに起きて、部屋でぼんやりしていた。


 七時頃になると、目覚まし時計が隣の部屋で鳴った。

 水琴さんも目を覚ましたようで、俺の部屋にやってくる。

 

 一番奥の水琴さんの部屋から洗面所や食卓へ行くには、どうしても俺の部屋を通らないといけない。

 そういう間取りになっている。


 水琴さんは子どもっぽい感じのピンク色の寝間着を着ていた。眠そうに目をこすっている。


「おはよ、秋原くん」


 水琴さんは学校では冷たい美しさを見せているけれど、でも、今は無防備に青い瞳でぼんやりと俺を見つめていて、可愛らしい感じだった。


 俺は試しに、からかうように言ってみた。


「晴人お兄ちゃん、とはもう呼ばないんだ?」


「……っ! あれは昨日限定なんだから!」


 そう言って、水琴さんは顔を真っ赤にした。


 引き戸の向こうにちらりと水琴さんの部屋が見えた。

 いつのまにか、荷物が増えている。


 いくつかあるダンボール箱のなかには、衣類や本が詰められているようだった。

 それから、部屋に小さなクッションとか、黄色のくまのぬいぐるみとかが置かれている。


 水琴さんは俺の視線に気づき、慌てて引き戸を閉めた。


「恥ずかしいから見ないでよ」


「ごめん。あの荷物はどうしたの?」


「昨日、遠見の屋敷から送られてきたの」


 さらっと水琴さんは言った。

 いよいよ、本格的に水琴さんが俺の家の住人になったという感じがする。


 俺は微笑した。

 

「改めて、おはよう。水琴さん」


「うん。おはよう。秋原くん」


「さて、水琴さん。朝食、フレンチトーストにするつもりなんだけど、それでいい?」


 ぱっと水琴さんが顔を輝かせた。

 この反応なら、それで問題なさそうだ。


「じゃあ、今から作るから。水琴さんは待っててくれればいいよ」


 俺の言葉を聞いて、水琴さんは自分の顔がほころんでいたことに気づいたのか、慌てて言った。


「わたし、食べたいなんて言ってない」


「食べたくない?」


「そういうわけじゃないけど……でも、わたし、なんだか秋原くんに甘やかされてる気がする。やっぱり子ども扱いしてない?」


「子ども扱いされるのは嫌?」


 俺が笑いながら聞くと、水琴さんは青い瞳を意外そうに開いて、それから真剣に考えこんだ。

 単なる冗談なんだから、そんな真面目に考えることじゃないと思うけど。


 やがて水琴さんは答えた。


「嫌だけど……嫌じゃないかも」


 てっきり、子ども扱いされるなんて絶対嫌、という返事が返ってくると思っていたので、俺は拍子抜けした。


 氷の女神様の考えていることはよくわからない。

 

「とりあえず、フレンチトーストは食べたいかな。ほんとに作ってくれるの?」


「もちろん」


 俺はうなずくと、台所へ行って、隅にある冷蔵庫の扉を開いた。

 食パンは前日に卵液にひたしておいてある。


 卵四つ分のたっぷりの卵液には、牛乳と砂糖だけでなくバニラエッセンスも加えてあって、それが半日かけてしっかりとパンに染み込んでいる。


 俺はフライパンにバターを敷くと、卵液にひたされたパンを焼き始めた。

 おいしくふっくらとした仕上がりにするコツは、弱火でじっくり時間をかけて、両面ともにしっかりと焼くことだ。

 

 さいわい、学校の開始時間まではまだかなり余裕がある。

 

 しばらくして俺はフライパンのふたを開け、二人分の皿にフレンチトーストを取り分けて、食卓に置いた。

 これだけだと野菜がとれないので、サラダもささっと用意して、あと飲み物として牛乳を用意する。

 

 水琴さんは食卓にもう座っていて、上目遣いに俺を見つめた、その後、水琴さんはフレンチトーストを眺めた。


「食べていいの?」


「もちろん」


「……いただきます」


 黄金色のフレンチトーストは、ところどころに茶色の焦げ目がついていて、厚めに切られた食パンは重厚感を出している。

 水琴さんはそれをフォークで口へと運んだ。


 瞬間、水琴さんは頬を緩ませ、青い瞳を輝かせた。


「……おいしい。柔らかくて、ちょうどいい甘さで……ほんとにおいしい」


「それは良かったよ。雨音姉さんがいた頃はよく作ってたんだけどね」


「雨音さんが羨ましいな。今までで食べた朝ごはんのなかで一番、おいしいかも」


「おおげさな。あっちのお屋敷ではもっと豪華な朝食が出ていたんじゃない?」


「そうね。遠見の屋敷では、有名フランス料理店出身だっている専属料理人もいたし」


 俺は感心した。

 さすが巨大企業グループを運営する一族だけあって、遠見家はやっぱり世間とはかけ離れた贅沢な生活を送っているらしい。


 水琴さんは不思議そうに首をかしげた。


「でも……秋原くんの作る料理のほうがおいしく感じるのはなんでなんだろう?」


 つぶやきとともに、水琴さんはじっと俺を見つめた。

 そう聞かれても、俺には水琴さんの好みや内心なんてわからない。


 でも、そんなにおいしいと思ってくれているなら、光栄だ。

 

 水琴さんは朝食をすませると、「ありがと」と頬を染めて言った。

 そして、水琴さんは食卓を離れると、自分の部屋にこもった。

 たぶん、着替えをしているんだろうな、と思う。


 俺は食卓の上の小型のテレビをつけ、ぼんやりとニュースを眺めた。

 ちょうど遠見グループのことが話題に上がっていて、主に小売事業の不振による業績の急激な悪化が報じられていた。

 責任をとって、社長も交代するのだという。


 ただ、会長はずっと前から遠見総一朗という人物のままだった。

 遠見本家の当主だ。

 おそらく水琴さんの祖父で、そして、俺の大伯父にあたる人物だ。


 遠見会長もテレビの記者会見で写っている。

 白髪白髭の厳格そうな老人だった。


 俺はリモコンでテレビの電源を切った。

 ほぼ同時に黒いセーラー服姿の水琴さんが現れる。


 銀色の髪に青い瞳という外国風の美しい容姿と、日本の伝統的なセーラー服という組み合わせは、やっぱりすごく印象的だ。

 みんなが水琴さんのことを女神様と呼びたくなる気持ちもわかる。


 それに、水琴さんは風邪で休んでいたあいだは私服だったから、セーラー服姿を見るとちょっと新鮮に感じる。


「わたし、先に学校に行くから」


「俺もそろそろ出るけどね」


「わたしと秋原くんが家から一緒に登校したら、まずいでしょ。誰かに見られたら、誤解されちゃうし……秋原くんに迷惑をかけちゃう」


「まあ、俺の迷惑なんて気にしなくていいけど、でも、たしかに一緒に行くのは避けたほうが良いかもね」


 ただでさえ、水琴さんは人とあまり関わらないのに、俺と一緒に登校していたら、それだけで目立ってしまう。


 同じ家に住んでいるということがバレなくても、変な噂になることは間違いなしだ。


 水琴さんは俺をちらりと見ると、ちょっと立ち止まってから、「また後でね」とつぶやいて微笑んだ。

 そして、スニーカーを履いて、扉から出ていった。


 水琴さんの配慮を無駄にしないように、少し間を置いて行こう。

 ちょっとパソコンを触ってから行くぐらいの時間はありそうだ。


 俺はそんなことを考えた。


 でも、俺と水琴さんの関係が学校で噂にならないように、という配慮は結果的に無駄となった。

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