第24話 十六等分の妹
水琴さんは夜ご飯にカレーが食べたいと言ったけれど、よく考えたら、水琴さんは病み上がりだった。
まさか激辛インドカレーを食べさせるというわけにもいかないけど、それでも水琴さんはカレーライスが食べたいと言うので、だいぶ甘口のカレーを作ることに俺はなった。
水琴さんはカレーを一口食べて、言った。
「こんなに甘口だと、やっぱり、子ども扱いされている気がする……」
「甘口でもいいから作って、って言われから作ったのに。口に合わなかった?」
俺が笑いながら言うと、水琴さんは慌てて首を横に降った。
「ううん。そんなことない。おいしいよ。それに、もともと、わたし、すごく辛いのは得意じゃないし」
「それはなにより」
食器の片付けは水琴さんがやると言い張ったけど、結局、俺がやることにした。
熱が下がったとはいえ、病み上がりの人間に疲れることをやらせるべきじゃない。
水琴さんはしぶしぶ俺の言うことを聞き、大人しく食卓で足をぶらぶらさせていた。
そして、ふと思いついたように水琴さんが俺に尋ねた。
「秋原くんって兄弟はいないの?」
「いないよ。まあ、雨音姉さんが姉みたいなものだったけどね」
俺は二人分の食器を洗いながら答えた。
以前は従妹の雨音姉さんもこの家に住んでいたから、その分の食器も洗っていたけれど、最近はずっと一人分の食器しか洗っていなかった。
だから、水琴さんが来たことで元の状態に戻ったと言えなくもない。
「そういう水琴さんは、兄弟は……」
俺は尋ねかけて、途中で言葉を止めた。
あまり水琴さんは家族のことを語りたがらないようだったし、もともと住んでいた遠見家の屋敷も追い出されてきたらしい。
事情はわからないけど、聞かないほうが良さそうだ、と思ったのだ。
けれど、水琴さんは淡々と言った。
「べつに気をつかわなくていいよ。兄弟なら何人かいるけど、一番年が近いのは、ひとつ下の妹かな」
「へえ」
「姉と妹といっても、半分だけだけどね」
「半分だけ?」
「父親は同じだけど、母親が違うの。いわゆる『腹違い』ね」
「ああ、なるほど」
そういうことか。
なんとなく、遠見家のお嬢様でありながら、水琴さんの名字が「遠見」でない理由も察しがついた。
きっと水琴さんが「水琴」という姓なのは、きっと母親のほうの名字を使っているんだろう。
それがなぜかというところまではわからないし、俺もそこに踏み込むつもりはなかった。
水琴さんが静かに言う。
「秋原くんは、雨音さんと仲が良かったんだよね?」
「まあ、良かったとは思うよ。いつも雨音さんには振り回されてばかりだったけどね」
雨音さんは俺より五つも年上で、だから、俺は全然、雨音さんに逆らうことができなかった。
代わりに、雨音さんにはずいぶんと可愛がってもらったと思う。
雨音さんが両親をなくしたとき、俺は小学五年生で、雨音さんは高校一年生だった。
まるで失ったものの代償を求めるように、雨音さんは俺のことをかまった。
釣りに出かけるときも、図書館に行くときも、映画を見に行くときも、雨音さんは俺を連れて行った。
その雨音さんも、今では遠く離れた外国にいる。
水琴さんは寂しそうに言った。
「雨音さんは秋原くんの従姉だから、四分の一だけお姉さんってことよね。でも、仲がいいんだ。羨ましい」
四分の一?
しばらく考えて俺はわかった。
普通の兄弟を一とすると、従姉弟はそれぞれの片方の親が兄弟だから、二分の一の二乗で、四分の一だけ姉弟だという計算になる。
「わたしの妹は二分の一だけ妹で、そして、わたしのことをすごく嫌ってる」
俺はやっぱり踏み込んで事情を尋ねるべきか迷い、結局、何も尋ねなかった。
その勇気がなかったのだ。
代わりに俺は言った。
「その計算で言うと、水琴さんは十六分の一だけ俺の妹だってことになるね」
「え?」
「俺と水琴さんははとこだから。祖父母の誰かが兄弟で、だから、十六分の一」
「そっか。そうなるんだ」
そうつぶやいたあと、水琴さんは不満そうに頬を膨らませた。
「なんでわたしが妹なの?」
「いや、なんとなく」
「十六分の一だけ、わたしがお姉さんなんだから」
「水琴さん。誕生日はいつ?」
「一月の、十一日だけど」
「俺は九月九日だ」
俺の勝ちだ。
俺は思わず笑みを浮かべた。
いや、べつに勝ち負けなんてないんだけど。
水琴さんが愕然とした表情で言う。
「わたしが……妹?」
「十六分の一だけね」
俺が笑いながら言うと、水琴さんはうーっと悔しそうに俺を見つめ、しばらくしてくすくす笑い出した。
「そっか。秋原くんは十六分の一だけ、わたしのお兄さんなんだ。お兄ちゃんって呼んであげよっか?」
「それは恥ずかしいからやめておこう」
「は……晴人お兄ちゃん……みたいな、こんな感じ?」
水琴さんはだいぶ恥ずかしそうに、消え入るような声でそう言った。
恥ずかしいなら、やらなければいいのに。
俺は頭をぽりぽりかきながら、目をそらして言った。
「悪くないんじゃないかな」
「秋原くん、恥ずかしがってる」
「そっちこそ」
「わたし……仲の良い兄弟って憧れてたんだ」
「そうなんだ」
俺は水琴さんの言葉の意味を考えた。
水琴さんは、住んでいたお屋敷にいられなくなって、妹とは険悪な仲だという。
きっと、仲の良い家族はいなかったんだと思う。
水琴さんは、自分と俺の関係は何なのか、と尋ねた。
それは俺にもよくわからない。
けど、俺は、この瞬間だけは、水琴さんの家族の代わりになるべきなのかもしれない。
水琴さんは、そう望んでいるような気がした。
俺は言った。
「……もう一度、呼んでみる?」
水琴さんは目を見開いて、嬉しそうに目を細めた。
「秋原くん、わたしにお兄ちゃんって呼ばれたいの? 変なの」
「水琴さんが言い出したことだよ」
「いいよ。秋原くんがそうしてほしいなら、もう一回だけ、お兄ちゃんって呼んであげる」
水琴さんは俺を見つめ、俺は水琴さんを見つめた。
なんだか気恥ずかしい。
しばらく俺たちは黙ったままだった。
やっと決心がついたのか、水琴さんは口を開いた。
水琴さんは顔を赤くしながら、柔らかく微笑み、言った。
「明日も、よろしくね。晴人お兄ちゃん」
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