第117話 私を選んでくれないの?

 そんなことをするつもりはなかった。でも……。


 突き飛ばされた雨音姉さんは、部屋の畳に尻もちをついて、呆然とした表情で俺を見上げていた。


「は、晴人君……?」


「ご、ごめん。こんなつもりじゃ……」


 雨音姉さんの表情がくしゃっと崩れる。唇をかんで、傷ついたようにうつむいていた。

 その綺麗な目に涙がうっすらと浮かんでいる。


 俺に拒絶された、と思ったんだろう。


 まるで五年前、両親が死んでしまったときのような顔を、雨音姉さんはしていた。

 そして、そんな表情をさせたのは……俺だった。


「雨音姉さん、その、えっと……」


「いいの。私が悪いんだもの。そのぐらい、見られたくないものだったんでしょう? それを強引に見せてもらおうとしたんだから。それに、髪を触ったり、抱きしめたりするのも……本当は嫌だったんだよね?」


「そ、そんなことないってば!」


「嘘」


「嘘じゃないよ」


 俺は身をかがめ、雨音姉さんと目線を合わせようとする。

 雨音姉さんは目をそらした。


「……私はもう晴人君のお姉さんでもいられないんだね」


「雨音姉さんは俺の大事な家族だよ」


「でも、晴人君にはもう水琴さんがいる。夏帆だっている。琴音さんだって、他の子も……。私なんかいなくても、晴人君には居場所がある」


 雨音姉さんはぷいっと横を向いてしまう。突き飛ばされたときに雨音姉さんの髪は乱れていて、横を向いた拍子にその髪が右目にかかってしまった。


 俺は一瞬ためらってから、雨音姉さんに手を伸ばし、その髪を優しく払った。雨音姉さんは抵抗せず、それを受け入れていた。


 そして、俺は雨音姉さんにささやく。


「雨音姉さんの代わりはいないよ。他に俺の姉はいないんだから」


「本当?」


「本当だよ」


「なら、水琴さんの代わりに、私と一緒に住んでくれる?」


「え?」


「叔父様を除けば、晴人君の家族は私だけだよね? なら、私が晴人君と一緒にこの家に住むのが自然じゃない?」


「そ、それは……」


 俺が口ごもっていると、雨音姉さんはくすっと笑った。

 そして立ち上がる。


「冗談。本気にしないで。晴人君が水琴さんを選ぶのはわかっているもの」


「えっと……」


「いいの。さ、片付けの続きをしましょう?」


 雨音姉さんはさっぱり、明るい表情に戻っていた。

 でも、それは無理をして作ったような笑顔だった


 雨音姉さんが俺を好きだとすれば、俺が玲衣さんと一緒にこの家に住むことは内心では許せないはずだ。夏帆たちだって、俺と玲衣さんの二人きりの同居を阻止しようとした。


 たしかに、もともと、この家で俺と玲衣さんが同棲するように仕向けたのは、雨音姉さんだ。

 ただ、屋敷で酷い扱いを受けていた玲衣さんを助けることが、俺と玲衣さんの当初の同居の目的だった。


 でも、今の俺と玲衣さんがこの家に戻りたい理由はまったく違う。お互いのことを……大事に思っているからだ。


 俺も立ち上がり、片付けに戻ろうとする。


 だが、ぐるぐると考えがめぐる。思考がまとまらない。

 俺は雨音姉さんのことを考えるあまり、大事なことを忘れていた。


「あれ? それ……」


 雨音姉さんが小さくつぶやく。雨音姉さんの視線は俺の右手に注がれていた。

 そして、その手には雨音姉さんの日記がつかまれている。


 しまった。すっかり日記のことを忘れていた。

 慌てて隠そうとするけれど、もう遅い。


「それ、私の日記!」


 雨音姉さんがみるみる顔を赤くした。






<あとがき>

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