第82話 婚約

 部屋の扉が開いたとき、そこにいたのは誘拐犯の男たちだった。


 慌てて、琴音が飛び退り、警戒するように、両手で体を隠した。

 男たちは食事を持っていて、要するに朝食をくれるということらしい。


「やれやれ、お盛んなことだな……」


 紳士的な男のほうが、肩をすくめ、俺に朝食のコーンフレークの載ったトレイを渡した。

 その弾みに男のポケットから何かが落ちる。


 名刺入れ、のようだった。

 俺はそれを拾い上げ、驚いた。


 そこにあった名刺は、遠見グループの役員のものだったからだ。


 俺は名刺入れを誘拐犯に返した。

 誘拐犯の男はうろたえた様子で、それをひったくるように受け取った。


 名刺は遠見グループの役員のもので、それも一枚だけではなかった。

 つまりこれはこの男自身のものということになる。


 男たちは慌てて部屋を出て行った。

 

 玲衣さんと琴音は顔を見合わせていた。

 

「なんか……様子がおかしかったよね?」


 と玲衣さんが言い、琴音もうなずいた。


 男たちは挙動不審だった。

 加えて、遠見グループの令嬢を狙ったはずの誘拐に、遠見グループの役員が関わっているというのも妙だ。


 俺はしばらく考え、玲衣さんたちに部屋の外に行くと告げた。


「だ、大丈夫なの? もし部屋の外に勝手に行ったなんて知られたら……」


「あの男たちと話に行くんだよ。大丈夫。俺の読みが正しければ、問題も解決するよ」


「うん……。でも、無理しないでね? 晴人くんがいなくなったら、わたし……」


 玲衣さんが俺を上目遣いに見た。

 俺はそっと玲衣さんの髪に手を乗せた。


 顔を赤くして玲衣さんがうつむく。


「姉さんだけずるいです!」


 そういうと琴音は急に俺に抱きついた。

 柔らかい感触があたり、俺がうろたえていると、琴音はそのまま俺の唇に自分の唇を重ねた。


 キスは一瞬だったが、琴音は顔を真赤にして俺を見つめていた。

 

「私も先輩のこと、心配しているんですからね?」


「ありがとう」


 一方、玲衣さんは頬を膨らませて、俺と琴音をにらみ、そして、俺の不意をついて、琴音と同じように俺にキスをした。


「琴音よりわたしのほうが晴人くんのことを好きなんだから!」


「……っ! そんなことありません。姉さんより、私のほうが……!」


 二人とも、俺のことを好きだと言ってくれる。

 でも、俺にその価値はあるんだろうか? 


 ともかく、目の前の問題を解決しないといけない。

 俺は部屋の外へと出た。

 俺たちが誘拐され、閉じ込められているのは、どこかの別荘のような建物の二階だった。

 

 一階の管理室のようなところに男たちがいるんじゃないか。

 俺はそう思って、階段を下りていったけれど、男たちのほうが向こうからやってきた。


 彼らはなにか諦めた様子で、俺を見つめ、そして俺に丁重に一礼した。


「こちらにお越しください」


 誘拐犯たちは急に敬語になり、そして、俺を一階の広間のようなところに案内した。

 その中心の赤いソファに、一人の老人が腰掛けていた。

 

 遠見総一朗。

 遠見グループの総帥にして、玲衣さんと琴音の祖父だ。


「やあ、秋原の息子よ」


「どうしてここにあなたがいるんですか?」


「想像はついておるのだろう?」


 俺はしばらく黙り、そして遠見総一朗を見つめた。


「今回の一件は狂言誘拐だったんですよね?」


 遠見総一朗はうなずいた。

 考えてみれば、不自然なことだらけだった。


 厳重な警備がなされているはずの遠見の屋敷のすぐそばで、俺達はあっさりと連れ去られた。

 しかも、まるで俺たちの行動がすべて見えているかのように、あまりにも手はずよく誘拐が進んでもいる。


 他にもいろいろあるが、決定打は遠見グループの名刺の件だ。


 琴音の誘拐は、偽装に過ぎなかったことになる。


「どうしてこんなことをしたんですか?」


「……琴音のためじゃよ」


「琴音の?」


 遠見総一朗はニヤリと笑った。

 しまった。


 ついうっかり、琴音を呼び捨てにしてしまった。


「琴音はいろいろあって性格が歪んでしまってのう。父親は事故で、母親は自殺でいなくなったし、遠見の屋敷の親族どもの影響で傲慢になってしまった。おまけに玲衣にもあれこれと嫌がらせをしておったようじゃし」


「あなたは……玲衣さんのことを……」


「大事な孫じゃよ。親族どもはあれの母親のことでいろいろ言うが、わしにとっては孫であることには変わらない」


「それで、琴音に対するお仕置きとして今回の誘拐を仕組んだわけですか?」


「琴音はだいぶ怖がっておったじゃろう? これで、玲衣にも同じような嫌がらせをしようとはせんじゃろう」


 たしかに琴音は玲衣さんに対する嫌がらせを反省し、もうしないと言っていた。

 だからといって、このやり方は迂遠すぎるのではないか。


「それともう一つ狙いがあってな。琴音は君に懸想しておるじゃろう?」


 懸想、という言葉の意味がすぐに出てこなかったが、異性に好意を持つ、という意味だったはずだ。

 たしかに、琴音は俺のことを好きだと言った。


「琴音はもともと君に関心があったが、今回の一件でそれが明確になった」


「お孫さんの恋愛事情に口をはさんで何がしたいんです?」


「……遠見グループは後継者を得る必要があっての。ただでさえ経営が傾いているのだから」


「ええと?」


「じゃが、本家にはろくな人材がおらん。そこで、優秀で前途ある若者を婿に迎え、後継者候補とするというわけじゃ」


 俺はしばらく考え、そして遠見総一朗が何が言いたいか、思い当たった。

 おそるおそる俺は尋ねる。


「……まさか」


「秋原晴人。君を琴音と婚約させようと思う」

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