第41話 雷鳴

 水琴さんは呆然としていた。

 タイミングが悪い。


 下着姿の夏帆が俺に抱きつき、そしてキスをしていたのを見て、水琴さんがどう思ったか。

 きっと誤解したはずだ。


 水琴さんは俺たちを悲しそうに見て、そして、瞳から大粒の涙をこぼした。


「やっぱり……わたしの居場所なんてどこにもないんだ」


 そう言うと、水琴さんは涙をぬぐうと、玄関の扉をもう一度勢いよく開け放った。

 そして、走り去ってしまった。


 もう結構遅い時間だし、外は大雨だ。

 どこに行くつもりなんだろう。


 俺は止めるために慌てて外へ出ようとしたが、夏帆に腕をつかまれた。


「水琴さんを追いかけるの?」


「そうしない選択はないよ」


「あたしより水琴さんのほうが大事?」


「そんなこと言ってない」


「あたしが晴人のことを好きだって言っても、水琴さんのことを追いかける?」


 俺はまじまじと夏帆を見つめた。

 顔を赤くしながら、夏帆は下着姿のまま肩を両腕で抱いた。


「あたしは晴人のお姉さんだから、だからずっと自分の気持を抑えてたの。ずっとただの幼馴染でいられれば、それで良かったのに」


 俺の父さんが夏帆の父親だなんて、そんなわけはないと思うけれど。

 たしかに夏帆のお母さんと、俺の父さんは昔は親しかったらしい。

 二人は学生時代の友人という以上に、幼馴染でもあったのだ。

 

 でも、だからといって、あの穏やかな父さんが不倫をして夏帆の父親となったなんて、ちょっと信じられない。


 ともかく、夏帆が俺を振ったのは、俺と血がつながっているかららしい。

 

 俺と夏帆の血がつながっているということが事実かどうかはわからないけれど。

 

 確かなことは、夏帆は俺のことを本当は好きだったのだ。


 なんてことだ。

 俺は言った。


「もっと早く言ってくれればよかったのに」


「言えないよ。こんなこと、言えるわけない。でも、晴人と水琴さんが仲良くしているのを見たら、我慢できなくなっちゃったんだよ。晴人があたしより水琴さんのことを大事にしているのを見ると、胸が痛いの。だから……水琴さんを追いかけないで」


「俺はべつに夏帆と水琴さんを天秤にかけているつもりなんてないよ」


「でも、晴人は選ばないといけないよ。きっと、いつか」


「そうだね。けど、今は水琴さんを追いかける。俺は水琴さんの味方をするって言ったんだ。水琴さんはね、東京の寮に引っ越すって言ってる」


 夏帆は息を呑んだ。

 俺は簡単に夏帆に事情を説明した。


「水琴さんが本当にそれを望んでいるなら、いいと俺は思うけど、たぶん違う」


「あたしも……そうだと思う。だって、あの子、すごく晴人のことが好きみたいだもの。自分からこの家から出ていくなんて言わないと思う」


 俺はうなずくと、玄関で靴を履いた。

 そして夏帆を振り返る。


「俺と夏帆が姉と弟だなんて、なにかの間違いだよ。だから、今度かならず一緒に調べてみよう」


 夏帆は瞳を見開いて、うなずいた。


「あたし、待ってるから」


 俺は玄関の扉を開けて、外へと出た。

 アパートの廊下の排水溝が詰まっていて、水がたまりはじめていた。


 雨はますますひどくなっていて、真っ暗な空に一瞬だけ光が広がった。

 間を置かず、凄まじい音が鳴り響く。

 雷だ。


 俺は水琴さんの行き先を考えた。

 水琴さんなら、どこへ行くだろう。


 学校? 近くの公園? 薬局? 本屋?

 けど、そのどれでもなくて、水琴さんはすぐに見つかった。


 アパートを出てすぐの坂道で、水琴さんは震えながらしゃがんでいた。

 傘もささずに、水琴さんは怯えるように身体を縮めている。

 そして、両手で耳を塞いでいた。


 俺は身をかがめ、水琴さんを雨から守るように後ろからそっと肩を抱いた。

 びくっと水琴さんが身をよじり、俺を振り返った。

 

「秋原くん?」


「こんなところで座り込んで、どうしたの? 風邪を引くよ」


「雷が……怖いの」


 水琴さんは涙目で俺を見上げた。

 意外と怖がりなんだな、と俺は思った。


 こういうところも、普段とギャップがあって、水琴さんは可愛いと思う。

 俺はなるべく優しくささやきかけた。


「大丈夫。怖くないよ」


「その言い方、子ども扱いされてるみたい……。でも、秋原くんの身体とっても温かい」


 水琴さんは安心したように、ほっとため息をついた。

 俺はそれを見て、微笑んだ。


「俺たちの家に、戻ろう。そうすれば、雷も、他の水琴さんを脅かすものも、何もないから」


「でも、佐々木さんがいる。……秋原くんと佐々木さんって、やっぱり両思いだったんだ。わたし、馬鹿みたい。秋原くんに優しくされて、一人で舞い上がって、恋人のふりなんかさせて……ぜんぶ、ぜんぶ、秋原くんには迷惑なだけだったんだよね」


「迷惑なんかじゃないよ」


「嘘つき」


「俺は水琴さんと一緒にいたいって言ったよ。あれは嘘じゃない。恋人のフリだって、すごく楽しかった」


 水琴さんが大きく目を開いた。


 俺は畳み掛けるように、夏帆との事情を説明した。


 夏帆が俺を振ったのは、俺を血のつながった弟だと思っていたからだってこと。

 水琴さんに嫉妬して、夏帆がいきなりああいう行動に出たということ。


 水琴さんが信じられないというふうに、首を横にふる。


「佐々木さんがわたしに嫉妬?」


「だって、第三者からみたら、俺と水琴さんは完全完璧な彼氏彼女に見えていたんだから」


 水琴さんはびっくりしたような顔をして、それから弱々しく微笑んだ。


「それはちょっと……嬉しいかも」


「だから、俺と夏帆は付き合ってるってわけではないよ。水琴さんを騙してたわけじゃない」


「その……秋原くんと佐々木さんが姉と弟って本当の話なの?」


「夏帆が何を根拠にそう言っているのかはわからないけど、俺はなにか誤解があるんじゃないかって思ってる」


「もし、それが誤解で……血のつながった姉弟じゃなくて、誤解が解けたら、秋原くんは佐々木さんと付き合うの?」


 俺は考えて、そして答えた。


「わからない。俺は夏帆のことがずっと好きだったけど、今もそうかはよくわからなんだよ」


「他に好きな人がいるの?」


「好きかもしれない人なら」


「桜井さん?」


 俺は首を横に振った。

 ユキじゃない。


 俺には、いま目の前にいる相手が好きかもしれないと言う勇気はまだなかった。


 俺は水琴さんのことが好きなのかもしれない。

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