第40話 夏帆の真実の想い


 どうして夏帆がうちに来ているんだろう?

 それに鍵を使わなかったのはどうしてだろう?


 それを尋ねる前に、俺はもっと大事なことに気づいた。


 夏帆は髪もセーラ服もびしょ濡れだった。

 

 俺は慌てた。


「早く乾かさないと」


「どうしてここにいるのか、聞かないの?」


「それより夏帆が風邪を引かないようにするほうが大事だ」


 俺がそう言うと、夏帆は「うん」と弱々しくうなずき、ちょっと嬉しそうに微笑んだ。

 玄関の扉の鍵を開け、夏帆を中にいれる。


 そして、食卓の椅子に腰掛けてもらった。


 やっぱり水琴さんはまだ帰っていないらしい。

 俺はタオルを夏帆に渡そうとしたら、夏帆はじっと俺を見た。


「晴人に髪を拭いてほしい」


 甘えるように夏帆は俺に言った。

 どうしたんだろう?


 いつもと態度が違う。

 夏帆は元気いっぱいの明るい子だけど、今の夏帆はどこか儚げだった。


 俺はうなずいて、椅子に座った夏帆の髪にそっとタオルを当てた。

 夏帆が俺に言う。


「今日、何の日かわかる?」


 俺は考えた。

 何かあったっけ?


 十二月の平日。祝日ではない。

 べつに夏帆の誕生日とかでもない。


 そして俺は思い出した。


「夏帆のお父さんが亡くなった日だったね」


「うん」


 夏帆の父親は事故で亡くなっていた。まだ、夏帆が生まれる前のことだ。

 その事故の日から、十ヶ月ぐらい後に夏帆が生まれている。


 数年前までは、この日の夏帆の父の墓参りに俺も参加していた。


 夏帆の母は医者で、気丈な人だったけれど、この日だけはいつも弱々しかった。

 そして、「わたしたちだけでは寂しいから」と言って、俺と俺の父をいつも呼んでいたのだ。


 俺の両親と夏帆の両親は学生時代の友人だったらしい。

 俺と夏帆が幼馴染なのも、その縁によるところが大きい。


 父親のいない夏帆は、俺の父にけっこう懐いていた。


 夏帆は俺になされるがまま、髪を拭かれていた。


「お父さんが事故にあったときと同じぐらいのときに、あたしの父親とあたしのお母さんはセックスして、それであたしが生まれたんだよね」


「まあ……そういうことだろうけど」


 そんな当たり前のことを口に出さなくても、と俺は言いかけて、なにかひっかかるものを感じた。

 「お父さん」と「父親」。

 なんで夏帆は呼び方を揃えなかったんだろう?


 俺はある程度タオルで夏帆の髪の水分をとると、タオルを渡して、俺自身はドライヤーを持ってこようと洗面台へと行った。

 そして、戻ってきたら俺は腰を抜かしかけた。


 夏帆は立って俺に微笑みかけていた。

 でも、いつのまにかセーラー服は脱いでいた。


 夏帆は、スポーツ用の真っ白な下着だけしか身につけていなかった。

 後は肩からタオルをかけているだけだ。


「もっと色気のある下着のほうがよかった?」


 くすくすっと夏帆は笑った。

 そういう問題じゃないと思う。


 俺は自分の顔が赤くなるのを感じた。


 好きな人が目の前でほとんど裸同然の姿でいる。

 しかも、下着も水分を含んでいて、うっすらと透けている。


 夏帆がそっと俺に近寄って、俺の頬を撫でた。

 

「晴人が、恥ずかしがってる。ちょっとおもしろいかも」


「なんで服を脱いでるの?」


「だって、濡れちゃったもの」


「その格好のままはやめてほしいな」


「本当は見たいと思っているくせに」


 夏帆はいたずらっぽく微笑んだ。

 俺は混乱した。


 夏帆はいったい何がしたいんだ?


「シャワー浴びてきていいからさ。着替えも用意するから」


「ダメ。あたしは晴人と話をしにきたんだから、そっちが先だよ? たぶん、この話が終わったら、もう本当に二度とこの家には来ないから、安心して」


「話?」 


「もしここで晴人とあたしがセックスしても子どもが生まれるんだよね?」


「そりゃそうだろうけど……そんなことは起こらないよ」


「起こらないって言い切れる?」


 夏帆は顔を赤くして、俺を見つめた。

 下着姿で恥じらいながらそんなことを言われたら、誘惑されていると勘違いしかねないと思う。


 今日の夏帆はなにか変だ。


「あたしね、晴人に告白されたとき、怖かったんだ」


「怖かった?」


「あたしのことを好きだって言ったとき、晴人の様子はいつもと違ったから。そのとき、晴人も男の子なんだなって感じて、怖くなったの」


「もし怖い思いをさせたなら、悪かったよ」


 俺はバツの悪い思いをした。

 たしかに告白したのは、この部屋で二人きりのときで、いきなり好きだと言われたらびっくりしただろうなと思う。


「でも、嬉しかったんだよ。わたしは晴人に好きって言われて」


「夏帆にとっては、迷惑なだけだと思っていたよ」


 なんだかおかしい。


 夏帆はこう思っていると思っていた。

 俺とはただの幼馴染でいたい。だから俺が夏帆を好きにならなければよかった。告白なんてされたくもなかった。


 でも、今の夏帆の言葉からすると、少し違うみたいだ。


 夏帆は俺を上目遣いに見つめた。


「水琴さんと付き合っているんだよね?」


「うん。そうだね」


「おめでとう」


 夏帆は寂しそうにそう言った。


 正確には恋人のフリだし、恋人のフリもやめようと言われたから、これで答えはいいのかわからないけれど。


「水琴さんとはどんなことをしたの? 恋人っぽいことした?」


「手をつないだりとかかな」


「キスは……もうした?」


「うん」


 俺がうなずくと、夏帆が暗い表情で俺をじっと見つめた。

 慌てて、俺は補足した。


「キスといっても、頬に一回しただけだけど」


「そうなの?」


「それ以上のことはできてないよ」


「そっか」


 夏帆はぱっと顔を明るくした。

 なんで俺が水琴さんとキスをしていないと聞いて、そんなに喜ぶんだろう。


 まるで夏帆が水琴さんに嫉妬しているみたいだ。

 でも、夏帆は俺のことをなんとも思っていなくて、振ったはずなのに。


「あたしはね、とっても悪い子なんだよ」


「それ、前も言ってたね」


「でも、どうして悪い子なのか、理由の全部を教えていなかったよね」


「理由?」


「あたしは嘘つきなの」


 そう言うと、夏帆は濡れたタオルを手に取り、俺の首にふわりとかけた。

 俺はびっくりして、タオルに気をとられた。


 それが良くなかった。

 次の瞬間、夏帆が俺に身体を寄せた。

 

 俺がとっさに壁際へと後ずさると、夏帆は俺に全体重を預けるように身を委ねた。

 夏帆の胸が下着越しに俺に密着する。


 赤面する暇もなかった。

 次の瞬間、夏帆の唇が俺の唇に触れていた。

 

 柔らかく瑞々しい感触が伝わってきて、ふんわりと甘い味がした。

 俺は混乱したまま、夏帆にされるがままになっていた。


 やがて、夏帆は俺から離れると、頬を真っ赤にして、つぶやいた。


「好きな人とするキスってこんなに気持ちいいんだ」


 そして、泣きそうな顔で俺に微笑みかける。


「晴人のファーストキス、もらっちゃった。水琴さんじゃなくて、あたしが晴人の最初の相手なんだ」


「どうして……こんなことを?」


「晴人は気持ちよかった? ううん、聞かなくてもわかるよ。良かったんだよね」


 夏帆は俺の様子を見て、静かに言った。


「あたしも晴人も、悪い子だ。あたしの本当の父親は、晴人のお父さんなの。この意味、わかる?」


 俺の父さんが、夏帆の父親?

 それってつまり……。


「晴人はあたしの血のつながった弟で、あたしは晴人の本当のお姉さんなの」


 夏帆はそう言って、うるんだ瞳で俺を見つめると、もう一度、俺に唇を近づけた。

 俺は完全に硬直していて、避けることもできないまま、夏帆のキスを受け入れた。


 そのとき、玄関の扉が開いた。

 水琴さんが青い瞳を大きく見開いて、俺たちを見つめていた。

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