第71話 賭けの対象は
「高校生になったばかりの頃の私って、ふさぎこんでいることが多かったでしょ?」
雨音姉さんの問いかけに俺はうなずいた。
当時の雨音姉さんが元気がなかったのは当然で、火災に巻き込まれて雨音姉さんの両親は亡くなっていたのだった。
その火災に巻き込まれたのは、俺の母さんもだった。
「晴人君だって、きっと辛かったはずなのに、いつも私を慰めてくれた」
「そんな大したことをした記憶はないけれど」
俺は少し照れくさくなって、小声で言うと、雨音姉さんは微笑んで首を横に振った。
「私にとっては大事なことだったの。晴人君は私のことをいつも助けてくれた。だから、今度は私が晴人君のことを助けてあげる番だから」
「夏帆のことは本当に助かったよ」
夏帆と俺が姉弟だという誤解は、雨音姉さんのおかげで解決した。
雨音姉さんは軽くうなずいた。
「次は水琴さんの番ね。いつまでもこのお屋敷にいるというわけにもいかないし」
そう。
遠見総一朗が命を狙われていて、そのせいで玲衣さんにまで危害が及びかねないというのが今の問題だった。
それが解決しないかぎり、セキュリティの高いこの屋敷から俺たちは出ることができない。
俺がうなずくのを見て、雨音姉さんはふふっと笑うと、ふたたび本に目を落とした。俺も安静にしていないといけない。
俺はゆっくりと目を閉じた。
☆
だいぶ時間が経ったようだった。
目を覚ますと、窓の外はもう真っ暗で、隣で雨音姉さんがうとうとしていた。
俺の様子を見ているはずが、いつのまにか自分も寝てしまったらしい。
微笑ましくなって、俺は雨音姉さんに毛布をかけると、部屋をそっと出た。
のどが渇いたのだ。
俺たちの住む屋敷の離れにはダイニングもある。
俺がふらっとダイニングに入ると、食卓には玲衣さんと夏帆がいた。
二人とも真剣な顔で、卓上のなにかを見つめている。
俺に気づくと、二人は慌てて顔を上げた。
「晴人……もう体調は大丈夫なの?」
と夏帆が心配そうに言い、俺は「平気だよ」と微笑んだ。
「本当にごめんなさい……」
と玲衣さんが小声で言う。
風呂場で玲衣さんと夏帆の二人が裸で俺にくっついて……いろいろしたのが、俺が倒れた原因だった。
「そんなに謝らなくていいよ」
「でも……」
と玲衣さんが目を伏せた。
一方、俺が元気になったとみるや、夏帆はいつもどおりのからかうような表情になった。。
「晴人も可愛い女の子二人と裸の付き合いができて嬉しかったものね?」
「夏帆……」
「気持ちよかったでしょ?」
「べつに」
と俺がわざとそっけなく言う。
ここで非常に良い体験でした、とは口が裂けても言えない。
けれど、夏帆が「ふうん」とジト目でつぶやいた。。
「あたし、晴人の前で裸になるの恥ずかしかったんだよ。しかも身体をぬるぬるにして、胸を押し付けて背中を洗ってあげたのに、それに、胸まで揉まれたのに、それでなんとも思わないって言われると、ちょっとショックかも」
俺は慌てた。
「いや……えっと、そういうわけじゃなくて、夏帆の胸は柔らかくて気持ちよかったというか、なんというか……」
「やっぱり、気持ちよかったんだ!」
夏帆は顔を赤くしながらも、にやりと笑った。
ひっかけられた気がする。
「またしてあげるね!」
「遠慮しておきます……」
俺が小声でいうと、夏帆はくすくす笑った。
急に玲衣さんが俺の袖を引っ張った。
「晴人くん……」
「なに?」
「わたしに言うことはないの?」
じっーと青い目で見つめられ、俺はどぎまぎした。
今の流れを踏まえると、俺が言わなければならないことは、一つだ。
「その……玲衣さんともお風呂に一緒に入れてよかったよ」
「それって、裸のわたしを眺めて、正面から抱きつかれて、胸があたってこすれて……ぬるぬるになって……っていうのが良かったってことだよね?」
「いや、そういうわけじゃなくて」
「佐々木さんとはそういうことができてよかったって言って、わたしには言ってくれないの?」
玲衣さんが頬を膨らませたので、俺は降参して「正直、気持ちよかったです……」と答えた。
ぱあっと玲衣さんが顔を輝かせる。
「わたしも、またしてあげる!」
つまり、玲衣さんも夏帆も、俺が入浴しているときに大浴場に忍び込むつもり満々ということだった。
これでは、この屋敷の大浴場に入るたびに、俺は警戒心を最大まで高めないといけない。
俺は困って食卓の上に目を落とした。
卓上にはなぜかチェスがあった。
玲衣さんと夏帆の二人はチェスの勝負をしていたらしい。
「意外と二人とも仲が良いんだね」
俺が言うと、玲衣さんと夏帆はちょっと顔を赤くして、ぷいっと互いから顔をそむけた。
「べつに佐々木さんと遊んでいるってわけじゃないの」
「なら、なんでチェスを?」
「賭けをしてるんだよ」
夏帆が言う。
お金でも賭けているんだろうか。
それはあまり良くない気がするけど。
けれど、夏帆は首を横に振った。
「あたしと水琴さんで勝ったほうが、晴人とと一日デートする権利を手に入れるの」
冗談かと思いきや、玲衣さんも夏帆も、表情は真剣そのものだった。
「晴人はどっちを応援する?」
「お、俺?」
「そうそう。晴人はどっちとデートしたいの?」
「それを聞いてしまったら、デートする権利を賭けてチェスをするのって意味がなくならない?」
俺の問いに、二人は顔を見合わせ、「たしかに」とうなずいた。
玲衣さんと夏帆と、性格はぜんぜん違うけど、意外と気が合うのかもしれないな、と俺は思い、微笑ましくなった。
「なんで笑ってるの?」
玲衣さんの質問に、俺は「理由はないよ」と答え、椅子を持ってきて腰を下ろした。
もちろん、二人のチェスを観戦するためだ。
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