第13話 女神様の白い脚

 俺と水琴さんは表通りに出た後、しばらく歩いてようやくアパートの部屋にたどりついた。

 セーラー服の女の子を背負って歩くのは、俺にとっても水琴さんにとってもだいぶ恥ずかしかったけれど、仕方ない。


 俺は台所を見て、ほっと安堵のため息をついた。

 これで水琴さんを襲っていた連中から逃げることには成功したわけだ。


「悪いけど、水琴さんが昨日寝ていたほうの部屋に入るよ」


「べつに何もないから平気」


 水琴さんの返事を確認して、障子戸を引き、奥の寝室へと入った。

 いったん水琴さんを部屋のなかにゆっくりと下ろす。

 

 そのとき、スマホが震えた。

 見ると、夏帆から電話がかかってきたみたいだった。

 そういえば、夏帆に連絡するのを忘れていた。

 俺が慌てて電話に出ると、夏帆のよく通る声が、俺の耳に大音量で響いた。 


「は、る、と! 何度も電話したんだよ!」


「ご、ごめん」


「あたしたち、ずっと待ってたのに」


 話を聞くと、夏帆とユキの二人は俺のことを待っててくれたらしい。

 でも、俺は水琴さんを襲った連中をまくために、もともと来た道とは別の道を使ったから、会わなかったわけだ。


「危ないから先に帰っててって言ったのに」


 そう言うと、夏帆がちょっと怒った声で返事をした。


「ああいうふうに言われて、先に帰ると思う? ほんと、心配したんだからね?」

 

「俺は平気だから安心してよ。水琴さんも無事だから」


「何があったの?」


「ごめん。今はちょっとやることがあるから、明日、学校で説明するよ」


「……ちゃんと説明してね。約束だからね」


 そう言うと、夏帆は電話を切った。

 俺はスマホをポケットにしまった。

 とりあえず、今は夏帆への説明より優先することがある。


 俺は水琴さんのすぐ横に布団を敷いた。

 ぽんぽんと布団をたたき、指さす。


「水琴さん、ここに座ってくれる?」


「な、なんで?」


 水琴さんが頬を赤くしたので、俺は慌てて言う。


「べつに変なことしようなんてしないよ」


「秋原くんが、変なことするなんて思わないけど……」


「捻挫したんだから、手当しないと。えっと、靴下、脱いでくれる?」


 水琴さんは「そっか」と小声でつぶやいて、素直に布団の上へと身体をずらした。

 そして、くじいた右足のハイソックスを手で脱がし、白く細い脚を無抵抗に俺に投げ出した。

 

「秋原くん、こんな感じでいい?」


「オッケー」


 さて、手当としては、患部を高めに上げて、包帯で圧迫。後はこれを冷やす必要がある。


「ごめん、水琴さん。ちょっと触るよ」


「え?」


 俺は台を用意した。

 そして、水琴さんの足に触れる。


 白くて、触り心地の良い、綺麗な脚だった。

 水琴さんは頬を染めて、俺を上目遣いに見つめる。


 妙な雰囲気になりそうで、俺は慌てて水琴さんの脚を持ち上げて台の上に載せた。

 俺は包帯を戸棚から持ってきて、水琴さんの足に巻く。

 

 水琴さんはますます顔を赤くしていたが、途中で短くうめいた。


「痛っ」


「大丈夫?」


「……うん、平気。それより、なんか包帯がくすぐったいかも」


 水琴さんは恥ずかしそうに、そう言い、それから少し咳き込んだ。

 

 俺はキッチンに行って冷凍庫を開け、そこから氷を取り出して、ビニール袋に詰めた。

 その氷袋を持ってきて、俺は水琴さんの足首に当てた。

 水琴さんが小さく悲鳴を上げる。


「つ、冷たいっ」


「ごめん。我慢してよ」


「……ね、秋原くんは謝らなくていいよ。わたしのためにしてくれてることなんでしょ?」


「まあ、そうだけどね」


「わたし、昨日、秋原くんにもうお礼なんか言わないって言ったよね?」


 そういえば、水琴さんは人に親切にされるのが苦手だと言い、「もうかまわなくていいから」と俺に言ったんだった。

 これも余計なことだったんだろうか。


 けれど、水琴さんはうつむいて顔を赤くしたまま言った。


「昨日がお礼を言うのは最後って言ったけど、言い直さないとね。今日がお礼を言うのは最後。襲われているところを助けてくれたことも、ここまでおんぶして帰ってきてくれたことも、怪我の手当をしてくれたことも、感謝してる。だから、明日からは迷惑をかけないようにするから」


「そんなこと気にしなくていいのに」


「わたしは気になるの」


「今日の夕飯、ホワイトシチューとカレーだったら、どっちがいい?」


「カレー」


 と、水琴さんは即答して、それから、しまったというように口に手を当てた。

 思わず答えてしまうなんて、案外うっかりしているところがあるんだな、と思い、俺は微笑んだ。


「じゃあ、カレーを作るから」


「ま、待って! わたしの分はいらないってば!」


「お礼を言うのは今日が最後、なんだよね? だったら、今日中はご飯をごちそうになるくらい、別にいいんじゃないかな」


 水琴さんがためらうように口を閉ざした。

 俺は重ねて言う。


「安静にしておいたほうが良いよ。捻挫が悪化したら、かえって困ったことになるから」


「……うん」


 水琴さんは素直にうなずいて、包帯に巻かれた白い足を投げ出したまま、布団に身を横たえた。

 そして、俺をぼんやり見上げていた。


 しばらくして水琴さんは何かに気づいたような顔をして、俺に尋ねた。


「そういえば、秋原くんってさ、お父さんは単身赴任中だって聞いたけど、お母さんはどうしたの?」


 俺はちょっとためらって、それからありのままを話した。


「五年前にいなくなったよ。葉月の大火災に巻き込まれてね」


 水琴さんは息をのんだ。


 葉月の大火災は、俺たちの住んでいるこの街・葉月市で五年前に起きた災害だ。

 数百棟もの建物を一瞬のうちに焼失させたこの大災害は、多数の犠牲者を出した。


 俺の住んでいた一軒家も火災によって燃え、そして、俺の母や雨音姉さんの両親が犠牲になっている。


「ごめんなさい。無神経なこと聞いちゃったみたい」


「べつにいいよ。それよりさ、こっちも質問していいかな。嫌なことを思い出させて悪いけど、水琴さんはなんであの男たちに絡まれていたの? 心当たりある?」


 あの男子生徒たちは水琴さんが遠見家の令嬢だと知った上で、頼まれて水琴さんを痛めつけるのだと言っていた。


 けれど、その依頼者がなぜ水琴さんを狙ったのか、よくわからない。


 水琴さんは小さく震えた。

 答えたくないのかもしれない。

 なんだか俺の母の話と引き換えに、無理に聞き出そうとしているみたいで悪いな、と俺は思った。


「答えたくなかったら、答えなくていいよ」


 俺の言葉に水琴さんはうなずき、短く答えた。


「わたしはね、偽物のお嬢様なの」


「偽物?」


「だから、わたしは襲われそうになったの」


「どういうこと?」


「秋原くんは知らなくていいことだよ。わたし、秋原くんを巻き込むつもりはないし」


 もう巻き込まれているような気もするけれど。

 だいたい、明日以降も似たようなことがあったらどうするんだろう?

 今日は運良く、俺は水琴さんのそばにいたけれど、いつもそうやって助けられるわけじゃない。


 どうしたものかと俺はカレーを煮込みながら考えた。


 けれど、とりあえず、水琴さんが襲われる心配はする必要がなくなった。

 別の心配をしなければならなくなったけれど。

 

 次の日の朝から水琴さんは高熱を出して、寝込んでしまったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る