第48話 幼馴染vs女神ふたたび

 その日の夜も、俺たちは普通にそれぞれの部屋で眠りにつき、朝起きた後は一緒に朝ごはんを食べた。


 朝食担当は例によって俺で、玲衣さんの希望でまたフレンチトーストを作った。

 気に入ってもらえたなら嬉しい。


 玲衣さんは部屋着姿のまま朝食を食べながら、楽しそうに俺を見つめていた。


「おいしい……。それに……」


「それに?」


「なんか、晴人くんと本当の家族になったみたいで、嬉しくて」


 たしかに、俺たちはもうお互いと一緒にいるのが、当たり前だと感じるようになってきた。

 玲衣さんは家族に複雑な事情を抱えている。

 遠見の屋敷では、家族どころか目の敵にされていたようでもある。

 

 だから、こういうふうに一緒に朝ごはんを食べるような普通の家族がいるというのは、特別なことなのかもしれない。


「ね、今日は一緒に学校に行くよね?」


「ええと、うん、そうしよっか」


 玲衣さんに言わせれば、俺たちは恋人のフリをしているのだから、学校のみんなに一緒に登校する仲だと見せつけなければならない。


 俺からしても、玲衣さんが一人になるのは心配だった。

 玲衣さんを襲おうとした他校の男子生徒たちといい、遠見琴音というお嬢様といい、玲衣さんの敵は少なくなさそうだった。


 俺と玲衣さんは食事を終えると、それぞれ部屋に戻って、制服に着替えることにした。


「覗いたらダメだからね?」


 と玲衣さんが言ったが、そんなことするわけがない。

 ただ、俺たちの部屋はすぐとなりで、仕切りも薄い障子のようなものだけで、玲衣さんが着替える衣擦れの音をどうしても意識させられる。


 俺はどぎまぎしながらも学生服に着替え、玲衣さんも黒いセーラー服姿になった。

 俺たちは互いの姿を眺め、くすっと笑った。


「晴人くんの制服姿を見ると、家族っていうより、高校生カップルって感じがする」


「玲衣さんもセーラー服着ると、ちょっと学校にいるときのことを思い出して不思議な感じがするね」


 ちょっと前まで、俺たちは同じ教室にいるだけで、互いにほとんど話をしなかった。

 俺にとっては玲衣さんは学園の女神様という遠い存在で、玲衣さんからすると、俺はただのクラスメイトだったはずだ。


 それが、いまやお互い大切な存在になりつつある。

 俺はいろいろ考えて、ちょっと気恥ずかしくなってきた。


 やっぱり、俺は玲衣さんのことを意識しているんだ。


「そろそろ行こっか」


「その前に、することがあると思う」


 玲衣さんは不服そうに言う。

 なにかやるべきことなんてあっただろうか?


「おはようのキスをしてないなって思って」


「ええ!?」


「カップルなら普通でしょう?」


「そうかなあ」


「ね、いいでしょ?」


 玲衣さんは頬を染めて、甘えるように俺に問いかける。


 玲衣さんが俺に甘えキスをねだったのはこれが何度目だろう?

 そして、俺もそれを拒むつもりはなかった。


 玲衣さんがそっと俺に近づく。


 そのとき、玄関のチャイムが鳴った。

 俺と玲衣さんは顔を見合わせる。


 こんな時間に誰だろう?


 玲衣さんは残念そうにしながらも、俺から離れた。


 いちおう父さんが単身赴任中のいま、この家の代表者は俺ということになるはずで、当然、俺が玄関で応対すべきだ。


 俺は玄関の扉を開けた。

 朝の日光を背に、一人のセーラー服の少女がいた。


 玲衣さんとまったく同じセーラー服だけれど、それも当然で、俺たちと同じ学校の同じクラスの生徒だからだ。


 そこに立っていたのは、俺の幼馴染の夏帆だった。


「おはよう! は、る、と!」


 弾んだ声で、元気いっぱいに夏帆が言う。

 大きな瞳はきらきらと輝き、俺をまっすぐに見つめている。


 昨日の暗さとは正反対だ。

 けれど……。


 昨日、夏帆は俺と実の姉だと思い、だから俺からの告白を断ったと言っていた。

 そして、一人でいつのまにか俺の家からいなくなっていた。


「おはよう。夏帆。昨日は……」


「昨日、勝手に帰っちゃってごめんね?」


「いいけど、大丈夫?」


「なにが?」


「いろいろと……」


「平気だよ?」


 夏帆はたしかに平気そうに見えた。

 けど、その明るさの裏にはどこか無理したような雰囲気があった。


 玲衣さんがひょこっと顔をのぞかせた。

 それに気づき、夏帆がにっこりと笑う。

 

「水琴さんも、おはよう。わたし、見てたんだよ」


「えっと、なにを?」


 戸惑う玲衣さんに、夏帆はさらりと言い放った。


「昨日、雨に濡れながら晴人とキスをしてたでしょう?」


 俺も玲衣さんも固まった。

 そうか。


 夏帆には見られてたのか。

 このアパートからさほど離れていない場所のことだったし、アパートの廊下に立てば、雨の中でもはっきりと目撃できたはずだ。


 戻ってこない俺たちを心配して夏帆は外に出たのかもしれない。

 そして、唇を触れさせ合う俺たちを見てしまったわけだ。


 それが、夏帆が一人で帰ってしまった理由かもしれない。


「水琴さんって、意外に大胆なんだね」


 夏帆の言葉に、一瞬だけ玲衣さんはひるんだが、すぐに玲衣さんは言い返した。


「そうだと思う。わたし、晴人くんと一緒にいたいから、だから、どんな大胆なことでもできるの」


「そっか。でもね、それはあたしも同じなの」


 夏帆は綺麗に微笑むと、俺の腕をつかんで引き寄せた。

 とっさのことで、俺は抵抗できなかった。


 夏帆は強引に唇を近づけてキスをした。

 ふわりと甘い香りがする。

 夏帆とキスをするのは三回目だけれど、どれも夏帆から強引にされたものだった。


 けれど、それが気持ちよくなかったかと聞かれれば、よかったと答えざるをえない。

 だって、俺はもともと夏帆のことが好きだったのだ。


 玲衣さんが息を呑む。

 夏帆は俺をそっと離すと、きっぱりと言った。


「あたしはね、水琴さんが昨日、晴人とキスをしているところを見て、ショックだったの。もう晴人はあたしのものじゃなくなったんだって。だって、二人は付き合ってるんだし。それに、あたしは晴人のお姉さんだし……。だけどね」


 そこで夏帆は一瞬、言葉を切った。

 そして、続きをゆっくり、しかし強い口調で言った。


「それでも、あたしは晴人のことが好きなの。水琴さんのおかげで、はっきり気づけたんだと思う。だから、あたしがたとえ晴人のお姉さんでも関係ない。あたしは晴人が欲しい」


「それは……宣戦布告ってことかしら?」


「うん」


 玲衣さんの鋭い言葉に、夏帆はためらいなくうなずいた。


 完全に俺は置いてけぼりだ。


 そもそも、夏帆が俺の実の姉であるという話は、俺の父も否定しているし、雨音姉さんに聞いても否定的だった。

 だから、血縁の面での問題はおそらくないと言えばないのだ。


 問題は、玲衣さんも夏帆も俺のことが好きだということで、そして、俺にとって二人のうちのどちらがより大切かということだった。


 夏帆はくすっと笑った。


「あたしは晴人とずっと一緒にいたんだよ。幼稚園も小学校も中学校も今も。水琴さんとは過ごしてきた時間が違うの」


「でも、晴人くんがいま好きなのはわたしだもの!」


「でも、晴人はあたしのことも好きだって言ってくれた。あたしが振らなければ、あたしと晴人は付き合ってたんだよ?」


 俺が告白した時点では、俺と夏帆は両思いだったのだ。

 血縁の疑惑さえなければ、夏帆の言う通りになっていたはずだ。


 玲衣さんは言葉に詰まった。

 一方の玲衣さんは、現在のところ俺と付き合っていることになっているものの、それはあくまで恋人のフリということになっていた。


「それでも……いまの晴人くんの恋人はわたしだもの……」


「二人はどこまでしたの? キスだけ?」


 玲衣さんは夏帆を睨む。


「ふ、二人で裸でお風呂に入ったもの!」


 爆弾発言だ。

 夏帆は一瞬固まり、それからみるみる顔を赤くした。


「それって……」


「それ以上のことは何もしていないよ」


 と俺が慌てて付け加えると、夏帆は安心したようにうなずいた。


「それなら、小学生のときにわたしも晴人と一緒にお風呂に入ったもんね?」


「そんなの子どものときの話でしょう」


 玲衣さんが対抗心を燃やしたのか鋭く反論するが、夏帆は余裕の笑みを浮かべた。


「あたしのほうが晴人と先に裸でお風呂に入ったことは変わりないもの。晴人とキスしたのだってあたしのほうが先。いつも水琴さんよりも先に、あたしは晴人の初めてをもらっているんだから」


「これまではそうだったかもしれないけど……これからは違うもの! だって、わたしが晴人くんの彼女なんだから!」

 

「ふうん。それなら、あたしは、二人が不純異性交遊をしていないか見張らないとね」


「え?」


「だって、あたしは晴人のお姉さんだもの」


 と言ってえっへんと夏帆が胸を張る。夏帆の胸の膨らみがかすかに揺れて、俺は赤面した。

 ……いや、夏帆の胸のことを考えている場合じゃない!


「見張るってどうやって……」


 俺がおずおずと尋ねる。

 夏帆の返事は意表をつくものだった。


「あたしも、晴人の家に住むんだよ」


 俺と玲衣さんは顔を見合わせ、そして絶句した。

 夏帆だけが綺麗に微笑んでいた。


「前も言ったよね? あたしは悪い子なんだよ。キスだけじゃなくて……晴人の初めてをもらうのは、いつもあたしなんだから!」

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