第66話 やっぱり晴人くんはあったかいね
俺は急いで町に戻ると、雨音姉さんと合流した。
雨音姉さんは完全によそ行きの格好で、いつもは動きやすいジーンズとかをよく着ているのに、いかにも清楚と言った感じの白系の服にスカートを履いていた。
姉さんの運転する車に乗りながら、俺たちは川向うの遠見の屋敷へと向かう。
「これ、レンタカー?」
「ううん、友達の車。このへんって車なかったら不便でしょう?」
俺たちの住んでいる町は、お世辞にも都会とは言い難い。
遠見グループの運営する大規模な商業施設はあるけど、それは駅前から少し離れたあたりにあって、みんな車を使ってそこまで行く。
広大な立体駐車場が備え付けられていて、まあ、なんというか、地方都市のショッピングモールという感じだ。
「所詮、遠見家といっても、田舎企業のオーナー一族にすぎないでしょう? 怖れる必要はないわ」
「この町に住んでいると、遠見家といったら別格扱いだけどね」
この地方都市は、なにもかもが遠見グループを中心に回っている。
小売も建設も通信も不動産も金融も食料品製造、遠見グループが手掛けていてこの町だけじゃなくて地方一帯に展開している。
大した産業がないこの町にとって、遠見の本社があるというのはとてもありがたいことなのだ。
けれど、雨音姉さんに言わせれば、そんなことは大したことではないらしい。
「遠見グループなんて、全体でもたった四千億の売上しかない企業じゃない。そんなの世界はおろか日本でも大したことのない中流企業でしょう。しかもどの分野でも地域では一番でも日本全体から見れば豆粒レベルの事業展開だし」
「そういうものかな」
「そういうもの。世界は広いのよ」
そう言って、雨音姉さんはにっこりと笑った。
さすがアメリカの有名大学に留学しているだけのことはあるな、と俺は思う。
まず四千億円もの売上がある会社を小さいと思う発想が、俺には出てこない。
俺も玲衣さんも、世界といえばこの町と、せいぜい隣町の政令指定都市ぐらいで、それより広い世界なんて知らない。
でも、いずれ俺はこの町の外に出ていく。
そのとき、玲衣さんも一緒に外の世界を知ることができればいいなと思う。
遠見に縛られているかぎり、玲衣さんは自由になれない。
だから、なんとかしないといけない。
遠見家の屋敷が見えてくる。
古びた大きな門には見覚えがある。
小学生のときに一度だけ俺はこの屋敷に来た。
父さんに連れられてだけれど、あまり良い印象はなかった。
豪邸だけれど陰鬱な雰囲気の日本家屋。
堅苦しい雰囲気の本家の人間たち。
また来たいとも思わなかったし、なるべく関わりあいになりたくはなかった。
車を降りると、屋敷の守衛らしき中年男性に声をかけられる。
「どちら様ですか?」
彼は俺たちを見比べながら不思議そうに言った。
遠見家ほどの財産家には、お抱えの使用人たちがいるのだ。
アパートぐらしの秋原家とはだいぶ違うなとも思う。
「ご当主様に秋原の娘が来たとお伝えください」
と雨音姉さんがおしとやかな様子を演じながら言う。
守衛の人は慌てて奥へと引っ込んだ。
分家とはいえ、いちおう親族ということで俺たちはある程度は重要人物扱いされているらしい。
やがて割烹着姿の女性がぱたぱたと奥からやってきて、玄関に現れた。
女性、というより少女で、ほぼ俺と同じぐらいの年齢のような気がする。
割烹着の下にはセーラー服が顔をのぞかせていて、三編みの髪型が真面目そうな印象とあいまって真面目そうな印象を与える。
使用人の少女は明るい笑顔を見せた。
「おまたせしました。ご案内しますね」
そして、俺達は屋敷の奥へと通された。
やがて、障子で区切られた和室の前で、少女は立ち止まる。
「ご当主様が来るまで少しお待ちください」
そう言うと、少女はふわりと一礼をしてその場を立ち去った。
俺と雨音姉さんは顔を見合わせ、それから部屋へと入った。
雨音姉さんが事前に約束を取り付けたとは言え、遠見グループの会長は忙しいんだろう。
ところが、誰もいないはずの隅に一人の少女がいた。
畳の上に膝を抱えて、震えていたのは玲衣さんだった。
玲衣さんはびくっとして顔を上げた。
俺たちを見ると、玲衣さんはキョトンとした顔をして、それからぱぁっと顔を明るくした。
「晴人くん!」
玲衣さんがぴょんと跳ね起きて、そして俺に飛びついた。
俺は慌てて玲衣さんを正面から受け止め、そして柔らかく抱きしめた。
玲衣さんの甘い香りで、少しだけくらっとする。
上目遣いに俺を見つめる玲衣さんの青い瞳には、涙が浮かんでいた。
「助けに来てくれたんだ」
「うん」
「怖かった……。本当に怖かったの」
玲衣さんみたいな女の子が、いきなり大勢の男に車に拉致されれば怖くて当然だ。
ただ、いまのところ玲衣さんの身には何も起こっていなさそうだった。
「大丈夫?」
俺が聞くと、玲衣さんはこくりとうなずいた。
そして、玲衣さんはくすっと笑うと、自分の唇を俺の唇に押し当てた。
「私の見ている前でそういうことしちゃうわけ?」
雨音姉さんが呆れるような、面白がるよう声で俺たちをからかうが、玲衣さんは気にしていないようだった。
玲衣さんの舌が俺の唇をなめ、それから俺の口に玲衣さんの舌が入れられる。玲衣さんの味と柔らかな感触が直に伝わってくる。
「んんっ……!」
玲衣さんはあえぐような甘い声を漏らすと、胸の柔らかな膨らみも俺の身体に押し当てた。
玲衣さんは甘えるように俺にしなだれかかる。
俺たちはしばらく互いの感触を確かめあった後、ゆっくりと離れた。
「やっぱり晴人くんはあったかいね」
そして、玲衣さんは顔を真っ赤にしながら、柔らかく微笑んだ。
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