第33話 宣戦布告

いまは一時間目の授業が終わった後の休み時間。

 タイミングを見計らって、俺たちは教室に戻った。

 

 案の定、野次馬根性の塊である橋本さんが待ち構えていた。

 橋本さんは教室の入口で目をきらきらと輝かせていた。


「結局、授業サボったんだね? 二人で何してたの!?」


 俺と水琴さんは顔を見合わせた。

 手はず通りにする必要がある。


「秋原くんはわたしのものになったの」


 水琴さんはさらっと言ったが、その効果は絶大だった。

 聞き耳を立てていた周りの連中がざわつき、橋本さんは「おお」と言い、ますます瞳を爛々と明るくした。

 

「それってもしかして、二人で本当に十八禁的なことをしたっていう意味?」


 水琴さんは顔を赤くし、恥ずかしそうに目を伏せた。


「そうじゃなくて……秋原くんがわたしの彼氏になったってこと」


「やっぱり水琴さんって秋原のこと、好きだったんだ?」


「うん。それで……わたしから告白して、秋原くんに受け入れてもらったの」


 水琴さんはうなずいた。 

 あくまでこれは演技。

 橋本さんたちの望みどおりの答えをあげて、これ以上あれこれ言われるのを避けるためだった。


 橋本さんが今度は俺に問いかける。


「やったね、秋原! 最高の彼女をゲットしたじゃん!」


「……そうだね。俺には水琴さんはもったいないと思うよ」


 これは本心だ。

 水琴さんは銀髪碧眼の美少女で、女神様なんて呼ばれるほど、目立つ存在だ。

 

 でも、それより大事なのは、水琴さんがとても優しい子だということだ。


 クラスの連中のかなりの部分が一斉に立ち上がり、みんなにこやかな表情をした。

 そして、ぱちぱちぱちと拍手をした。


 なんだか知らないけれど、めでたいことだと祝ってくれているらしい。

 みんな暇だなあ、と俺は思う。


 まあクラスメイトの何人かは無関心だったり、俺達に非好意的な目を向けていた。

 そのなかの一人に夏帆がいた。


 夏帆は完全に表情を失った顔で、俺を見つめている。

 俺は背筋が凍るのを感じた。


 夏帆は基本的にいつも明るく魅力的な表情をしている。

 怒っていることももちろんあるけど、そういうときだって感情豊かに頬を膨らまして俺を睨みつけてきて、それはそれで可愛かった。


 でも、いまの夏帆は、俺がいままでに見たことのない様子だった。


 そんな夏帆の様子に橋本さんも気づいたのか、とてとてと橋本さんは夏帆に近寄った。


「ね、夏帆? 夏帆は秋原をとられちゃってもいいの?」


「べつに。あたしには関係ないよ」


「でも、ずっと幼馴染だったんだよね? よく秋原と一緒に帰ったりしてたしさ。水琴さんが秋原の彼女になったら、そういうこともできなくなるよ?」


 橋本さんはにっこりと微笑んだ。

 夏帆が俺を振ったということを、橋本さんは知らない。


 だから、こんなことを夏帆に言いに行くのだ。

 どちらにしても、みんなの前で橋本さんが何をしたいのかわからない。


「だからなに?」


 夏帆は冷え冷えとした目で橋本さんを睨んだが、まったく橋本さんは動じなかった。


「だって、私は夏帆も秋原のことを好きだと思ってたんだけどな。違った? 夏帆が秋原のことを見る目って――」


 橋本さんはその言葉を言い切ることができなかった。

 夏帆は怒ったようにばんと机を叩いて立ち上がって、教室から出ていってしまった。


 クラスメイトの視線が痛い。

 これではまるで、夏帆が俺のことを好きなのに、俺が夏帆を振って、水琴さんと付き合ったみたいだ。

 実際にはぜんぜん違うのに。


 戻ってきた橋本さんが俺の耳元にささやきかける。


「モテる男はつらいね」


 俺がモテたことなんて、ないと思うけれど。


 夏帆は俺のことを振ったし、異性として意識しているわけじゃない。


 水琴さんは俺のことを好きだと言っているけれど、それは演技にすぎない。

 水琴さんがどれほど俺に親しげに振る舞っても、それは異性としての好意があるということではないと思う。

 夏帆が俺と仲がどれほど良くても、俺のことをまったく意識していなかったのと同じように。

 同じ勘違いを繰り返してはいけない。


 そして、ユキは俺のことを好きらしいけれど、その好意の向け方はねじ曲がっている。


 水琴さんは俺を見つめ、静かに言った。


「秋原くん。わたし、言ったよね。秋原くんのことを佐々木さんに渡したりしないって」


「そうだけど?」


「あれ、覚えておいてね」


 俺は曖昧にうなずいた。

 橋本さんが楽しそうに、小さな声で言う。


「夏帆は水琴さんのライバル、ってことだね」


 橋本さんが思っているのとは、実際の事情はぜんぜん違うんだけれど。

 水琴さんが俺と橋本さんを見比べ、そして柔らかく微笑んだ。


「そう。これはたぶん宣戦布告なんだと思う」

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