第108話 選ばれること

 玲衣さんの反応に俺は慌てた。

 まさか、うなずくとは思わなかったのだ。


 玲衣さんはぎゅっと俺の服の袖を握る。


「晴人くんとなら、いいもの」


「で、でも、その……玲衣さん、ラブホテルってどういう場所かわかってる?」


 俺は思わず聞いてしまった。建物を見ても、ラブホテルだと玲衣さんは気づかなかったのだ。

 知らなくてもおかしくない……と思ったが、玲衣さんはむうっと頬を膨らませて、ジト目で俺を睨んだ。


「それぐらい、知っているもの。ラブホテルって、男の人と女の人がセッ……えっと、その、エッチなことをするところでしょう?」


「えっと、うん……そのとおり」


「恥ずかしいこと、い、言わせないでほしいな」


 玲衣さんは目を泳がせていた。俺も恥ずかしくなってくる。

 

「ごめん。じょ、冗談で聞いただけだから、本気にしないでよ」


「冗談で晴人くんは、わたしをラブホテルに誘ったの?」


「そ、それは……」


「……佐々木さんは、言ってたよね。『恋愛は魂の触れ合いに始まり、粘膜の接触終わる』って」


 たしかに夏帆がそんなことを言っていた。セックスをしたら、恋愛にその先はないという意味の格言らしい。


 あのときは、夏帆が俺を振った理由も知らなくて、玲衣さんもまだ俺にそれほど打ち解けていなくかった。まだ一週間も経っていないのに、もう大昔のことのように思える。


 玲衣さんの透き通るような青い瞳が、まっすぐに俺を見つめる。


「わたしはね、違うと思うの」


「違うって、夏帆の言っていたことが?」


「そう。エッチなことをしたら、それがすべてだって、わたしは思わないの。もっと大事な事があるはず」


「もっと大事なことって?」


「晴人くんは何だと思う?」


 問い返されて、俺は考えた。関係を深めるために、そういうことをするのが有効なのは確かだ。

 キスにしろセックスにしろ、恋人関係を示す確かな証になる。


 けれど、それは本質ではない、と玲衣さんは言いたいらしい。

 そして、俺も玲衣さんの言いたいことはわかる気がした。


「選ばれる、ことかな」


 玲衣さんが目を瞬かせ、そして、明るい笑みを浮かべた。


「そう。わたしもそう思うの。エッチなことをすることが一番の目的じゃないよ。他の誰でもない自分が、大事な人に選ばれるのが一番の幸せなんじゃないかな」


「そうだよね」


 夏帆に告白する前は、俺も夏帆とそういうことをするところを想像しなかったわけじゃない。

 でも、それが一番の目的ではなかった。夏帆に俺のことを好きだと言ってもらって、俺のことを一番大事な存在として選んでほしかったのだ。


 そんな俺の内心を見透かすように、玲衣さんは柔らかく微笑む。


「わたしも同じ。わたしも、晴人くんに選んでほしいの。晴人くんが選んでくれるなら、わたし、ラブホテルでも一緒に行くよ?」


 俺はどう答えたものか迷った。今の俺は選べない。玲衣さんを選ぶなら、夏帆と琴音とのことをちゃんとしないといけないから。

 焦った俺はとんでもないことを口にしてしまう。


「と、とりあえず、ラブホテルはやめておこう。べつに家でもできるし」


「えっ」


 しまった、と思ったが、もう遅い。玲衣さんは顔を真っ赤にする。


「い、家でするって、そ、そういうことを?」


「えっと、そういう意味じゃなくて……」


「そ、そんな、屋敷の離れは佐々木さんたちもいるし……。あっ、でも、二人きりのときにすればいいのかな……」


「れ、玲衣さん。落ち着いて……」

 

 どうすればいいのか困ってしまったとき、その場に「あーっ!」という甲高い声が響いた。

 振り返ると、そこにはセーラー服姿の小柄な女子生徒が立っていた。


 ユキだ……! 赤いアンダーリムのメガネを押し上げて、ユキが俺たちを睨む。

 そして、こちらに近づいてきた。


「どうしてアキくんと水琴さんがこんなところにいるの?」





<あとがき>

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