第36話 わたしの居場所

 水琴さんが東京の女子寮に住む?

 そんな話は初耳だ。


 俺は電話越しの父に尋ねた。


「それ、水琴さんは知っているの?」


「これから話そうと思っていてね。水琴さんの同意さえ得られればすぐにでも寮の部屋は準備できる」


「そんな急な……だいたい向こうの女子校の編入だって間に合うとは思えないけど」


「そこの学校の理事長と僕は大学時代の同級生でね。その縁で寮の部屋は用意してもらうことになっている。まあ編入自体は冬休み明けになるかもしれないけれど、君の高校で学年上位の成績だということを聞いたら、問題ないだろうと言っていたよ」


「でも……」


「あっちの女子校は名門校だし、悪くない話だと思うよ。なにより遠見の関係のないところへ行けるなら、それが一番だ」


「わかったけど、水琴さんは何ていうかな……」


「もちろん、水琴さんが嫌というなら考え直すけどね。ただ、いつまでも君と一緒のアパートに住むってわけにもいかないよ」

 

「まあ、そうだろうけど……」


「そうだ。秋穂と夏帆ちゃんは元気かい?」


 秋穂さんというのは夏帆の母親のことだ。

 俺の父と夏帆の母は幼馴染で、ときどきこうして近況を確認している。

 秋穂さんのほうからも、俺の父のことをたまに尋ねられる。

 

 俺が元気だと思うよ、と答えると、そうか、と父さんは安心したように言い、それから、それから、「いろいろと急に迷惑をかけて悪かったね。仕事に戻らないといけない」といって電話を切った。


 俺は呆然とした。

 たしかに水琴さんは新しい家が決まったら、すぐに出ていくと言っていた。


 俺だって水琴さんがずっとうちのアパートにいるとも最初は思っていなかった。


 でもこんな急に決まるなんて。

 俺は食堂に戻ると、水琴さんが学食で買った食べ物をテーブルに載せて、座って待っていた。


「先に食べててくれてよかったのに」


「だって……わたし、晴人くんとご飯を食べに来たんだもの」


 水琴さんは目をそらしながら、小さくつぶやいた。

 そういえば、さっきまでいた大木はどこへ行ったんだろう?


「わたしたちの邪魔をしちゃ悪いからって、どこか行っちゃった」


「そうなんだ。べつにそんなこと気にしなくてもいいのにね」


「わたしは気にしてくれたほうがいいと思うけど。だって、わたしたち恋人同士なんだから、そういうふうに気を使われたってぜんぜんおかしくないと思う」


 水琴さんははっきりした声でそう言った。

 こ、恋人のフリだったはずでは?


 たぶん誰に聞かれているかわからない学食だから、恋人のフリがバレる可能性を考えて、「恋人」だと言っているんだと思うけれど。


「まあ、大木が気をつかってくれたなら、それを無駄にするのも悪いし、二人で食べよっか」


「うん」


 水琴さんは目の前のカツ丼と、俺のトレイのカツ丼を眺めた。

 そして嬉しそうに微笑む。


「お昼ごはん、お揃いだね」


「そういう意味では、カツ丼じゃなくて、もっとオシャレなもののほうが良かったかな」


「ううん。晴人くんと一緒のものってだけでなんとなく嬉しい。でも……」


「でも?」


「べつべつのものを頼んだら、お互いに食べさせ合いっことかできたのになって思って」


 水琴さんが心の底から残念そうな顔をしたので、俺は微笑ましいなと思った。

 学食の料理なんて安いし、毎日でも来れるから、ちょっとずつ交換なんてしなくても、コンプリートは容易なのに。

 

 でも、水琴さんが東京に行けば、そうもいってられなくなるかもしれない。

 水琴さんが微笑む。


「晴人くんはまたあしたも一緒に学食に来てくれる? あとお弁当も作ってくれるんだよね?」


 カツ丼の卵とじカツを箸で拾い上げながら、俺は水琴さんに答えた。


「もちろん」


「楽しみにしてるから」


 気は重いが、水琴さんに東京の女子寮の話をしないといけない。


 気が重い?

 どうしてだろう?


 水琴さんに今のまま同じ部屋に住んでいてほしいと、俺は思っているんだろうか。


 俺たちは昼飯を食べ終わって、食器を返し食堂を出た。


 そして、本校舎へ戻る渡り廊下を歩く。

 ガラス張りの窓からは正午の日光が強く差し込んでいて、十二月の寒さを少しだけ和らげていた。

 同じように学食から戻る生徒たちが大勢歩いていて、なかには立ち話に興じている奴らも少なくなかった。


 俺は歩きながら、水琴さんに聞いた。


「水琴さんさ、最初に俺の部屋に来たとき、次に住む場所が見つかったら出ていくって言ってたよね?」


「そうだけど……でも、それはもっと先のことかな。親戚は晴人くんたち以外はもう頼れないし、そんな簡単には見つからないと思う」


「すぐに見つかるって言ったら、どうする?」


 水琴さんは立ち止まり、こちらを振り返った。

 そして、青い瞳を大きく見開く。

 俺は父さんから聞いたことを説明した。


「そっか。あとで晴人くんのお父様から電話があるんだ」


「そう。急な話だし、嫌だったら断ってもいいと思うよ」


「そう……だね。晴人くんは、わたしが家にいると迷惑? ううん、きっと迷惑だよね。いきなり押しかけてきて、一部屋を使っちゃって、風邪を引いて寝込んじゃって、クラスのみんなから騒がれて……」


「何度も言ってるけど、迷惑なんかじゃないよ」


 俺がゆっくり水琴さんを安心させるように言うと、水琴さんはじっと俺を見つめ返した。

 なにかまだ足りない。

 水琴さんがそう心の中で言っている気がした。


 俺は考えて、言葉を選んだ。


「水琴さんがいるのは俺にとっても、けっこう楽しいんだよ」


「わたしといるのが……楽しい」


「雨音姉さんがいなくなってからは、ずっと一人暮らしだった。だから、ご飯を作って喜んでくれて、一緒に話すことができる相手がいるってのは、嬉しいんだと思う」


「それって、わたしに家にいてほしいってこと?」


「そう思ってくれてかまわないよ」


 俺は水琴さんから目をそらした。

 たぶん俺は顔も赤くなっているな、と思った。


 水琴さんが弾んだ声で言う。


「そっか。わたし、晴人くんの家にいてもいいんだね。すごく嬉しい」


「女子寮の話は断る?」


「うん」


 水琴さんがそっと俺に近寄った。

 そして、俺の瞳を覗き込む。


「こういうとき恋人同士だったら、ハグしたりするのかな」


「そうかもね。でも、俺たちは……」


「恋人同士でしょう?」


 そういうことになっている。

 それはそうだけど。


「じゃあ、ハグする?」


「でも、わたしから晴人くんを抱きしめるのは恥ずかしいな。その……」

 

 ちらりと俺を水琴さんが見て、頬をそめてもじもじとした。

 つまり、俺から抱きつけということらしい。


 ここでできません、というのは、さすがにかっこ悪い。

 俺は覚悟を決めて、そっと水琴さんに近づいた。


 水琴さんがびくっと震えたが、俺はそのまま彼女を抱きしめた。

 セーラー服越しに水琴さんの暖かさが伝わってくる。


 周囲の目が気になるけど、まあ、いいかという気がしてきた。

 

「嫌だったら、離すよ」


 俺が言うと、水琴さんは首をふるふると横に振り、柔らかく微笑んだ。


「ぜんぜん、嫌じゃないよ。わたし、とっても幸せ。晴人くんがわたしの居場所を作ってくれて、それでこうして甘やかしてくれてるから」

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