第43話 ファーストキスではないけれど

 俺も自分の顔が赤くなるのを感じた。


 やっぱり勘違いじゃなかった。

 玲衣さんは俺のことが好きなのだ。


 そして、玲衣さんは起き上がった。


 玲衣は雨で濡れた銀色の髪を軽く払った。

 その姿はとても綺麗で思わず見とれそうになった。


「告白の返事はいらないよ。晴人くんに考える時間をあげるから」


「ありがとう。あと、それは……うちに残るってこと?」


 玲衣さんはこくっとうなずいた。

 俺はほっとした


 ようやく玲衣さんは考えを変えてくれたらしい。

 遠見の脅迫なんかで、玲衣さんが言いなりになる必要はない。


 玲衣さんは俺の目を不安そうにのぞき込んだ。


「晴人くんは後悔しない? わたしがいるせいで、ひどい目にあうかもしれない」


「後悔なんてしないよ。そういう玲衣さんは?」


「絶対に後悔なんてしない」

 

 そう言って、玲衣さんは柔らかく微笑んだ。


 こんなに可愛くて良い子が、俺のことを好きだと言ってくれる。

 俺は頭がくらくらしてきた。

  

 雨に当たりすぎたのかもしれない。

 俺も玲衣さんも、早く家に戻らないと風邪を引いてしまう。


 玲衣さんは小さく言う。


「告白の返事は待ってあげるけど、恋人のフリは続けるからね」


「え?」


「だって、わたしたちが同じ家に住んでいて、学校のみんなが噂してるってのは変わらないもの。それに、わたし、晴人くんと恋人のフリをしたいし。ダメ?」


「ダメじゃないよ。行けなかった水族館も、絶対、今度行こう」


「ありがと。晴人くんがそう言ってくれて、わたしとても嬉しい。だけど……」


「だけど?」


「晴人くん、わたしと恋人のフリをしているのに、他の女の子とキスした」


 玲衣さんは頬を膨らませて、「浮気者」とつぶやいた。

 慌てて、俺は言葉を選ぶ。


「あれは夏帆のほうから……」


「言い訳なんかじゃ、許してあげないもの。だから、わたしにもキスして」


「え?」


「ほっぺたなんかじゃ、許してあげない。唇に二回だから」


「ええ!?」


「だって、晴人くん、わたしのことを『好きかもしれない』んでしょう? だったら、わたしとキスしてみたいって思わない?」


「それはそうだけど……」


「わたしたち、恋人なんだから、キスしたってぜんぜん、おかしくないもの」


 そう言うと、玲衣さんは瞳をそっと閉じた。

 俺からキスしてほしい、ということらしい。


 俺は覚悟を決めた。

 玲衣さんの肩を抱きとめる。

 

 そして、そっと水琴さんの顔に近づく。

 直前で水琴さんがびくりと震える。


 俺の唇が、玲衣さんの唇に触れた。

 とても柔らかくて、暖かかった。


 俺がそっと離れると、玲衣さんは目を開けて、恥じらいながらも微笑んだ。


「ありがと。わたしはこれがファーストキスなの。晴人くんは違うと思うけど、でも、さっきの夏帆さんとのは、向こうからだったんだよね?」


「そうだよ」


「だったら、晴人くんのほうからキスしてもらったのは。佐々木さんじゃなくて、わたしが初めてなんだ」


 玲衣さんは弾んだ声で言う。そして、俺に顔を近づけた。

 もう一度しようということらしい。


「今度はわたしから」


 俺は慌てて目をつぶった。


 玲衣さんの唇が俺の唇に触れて、ほのかな甘い香りがした。

 俺は身体に熱がこもるのが感じた。

 

 玲衣さんは恥ずかしかったのか、すぐに俺から離れた。


 そして、微笑む。


「佐々木さんが晴人くんとキスしたのは一回で、わたしは二回。勝っちゃった!」


「えっと……その……俺は夏帆とも実は二回キスをしていて……」


「え?」


 玲衣さんは驚いた表情をして、それから俺を睨んだ。


「ふうん。二回もしたんだ」


「ええと」


「だったら、わたしは三回するんだから! 今度は晴人くんの番!」


「ええ!?」


「そうしないと許してあげないもの。わたしを……甘やかして。晴人くん」


 そう言って玲衣さんは瞳を閉じた。

 三度目でも恥ずかしいことに変わりはない。


 俺は頭をくらくらさせながら、玲衣さんへと近づいた。

 唇と唇を触れ合わせ、俺はすぐに玲衣さんから離れるつもりだった。


 だけど、玲衣さんが両手で俺を抱きしめた。

 逃げようとする俺を玲衣さんは許さず、唇も離そうとしなかった。


 そして、びっしょりと濡れたセーラー服越しに水琴さんの胸の感触が伝わってくる。


 正直、理性の限界だ。

 下半身に熱がこもるのを感じる。


 玲衣さんが舌で軽く俺の唇を舐めた。

 俺が思わず軽く口を開くと、玲衣さんの舌が俺の舌に絡められた。


 思考がショートしたまま、俺は玲衣さんにされるがままになっていた。

 

 しばらくして、玲衣さんは俺から唇を離した。

 でも、身体は抱きついたままだ


 俺も玲衣さんもしばらく放心状態で、互いを見つめ合った。


 しばらくして、玲衣さんが笑った。


「わたし、佐々木さんに勝っちゃった」


「なんというか、その……恥ずかしかったな」


「でも、晴人くんも気持ちよかったでしょ?」


 俺がこくこくとうなずくと、玲衣さんはいたずらっぽく瞳を輝かせた。


「わたしも、ちょっと興奮しちゃった」


「えっと……あの、離してくれると嬉しいんだけど」


 まだ、玲衣さんの胸とか柔らかい部分が俺の身体に密着したままだった。

 でも、玲衣さんはくすっと笑うと、「ダメ」と小声で言った。


「離してあげない。これからもずっと」


「ずっと?」


「だって……わたし、今まで生きてきて、今が一番楽しいもの。晴人くんと一緒の家に住めて、恋人になれて、居場所がある今が、これまで生きてきて一番幸せだから。だから、絶対に晴人くんのことを離さない」


 玲衣さんはそう言って、綺麗な白い手で俺をぎゅっと抱きしめた。


 しだいに恥ずかしさはなくなってきて、玲衣さんの暖かさだけが俺の心を占めるようになっていった。 




 ☆


 


 アメリカ合衆国北東部。

 ペンシルベニア州の大学の寮。


 そこに私はいた。


 私の名前は秋原雨音。


 雨音っていう名前を、私はけっこう気に入っている。

 響きが良いし、それに、従弟の名前「晴人」とセットになっているからだ。


 私が「雨」で、従弟が「晴」。

 みんな明るい私と大人しい晴人を見て、逆のほうが似合うと笑いながら言う。

 けれど、私はそうは思わない。


 晴人はいつも、私の心を快晴の日の太陽のように照らしてくれた。

 女子高校生だったとき、私は壊れかけていた。あのときも、晴人がいなかったら私はそのまま本当に駄目になってしまったと思う。


 こうしてアメリカの大学に留学できてるのだって、晴人のおかげなんだと思う。

 

 私は昔を懐かしみながら、晴人からのメールを読んだ。

 そこには、こう書かれていた。

 

 晴人とその幼馴染の佐々木夏帆が実は異母姉弟なのだと聞いた。

 事実かどうか知ってるなら教えてほしい。


 私はため息をついた。


 晴人の父である和弥は優しい人だ。

 和弥が夏帆の父なわけがないし、仮にそうだとしても、それを晴人に黙っているわけがない。


 晴人のことが好きなの、と言って、夏帆は私に恋愛相談をしに来たことがある。

 そのときの夏帆は頬を染めていて、すごく可愛かった。


 その夏帆に、誰かが残酷な嘘を吹き込んだ。


 そろそろ大学はクリスマス休暇に入る。

 一時帰国の時期だ。


 遠見の問題も解決しないといけない。


 いま、晴人と夏帆と水琴さんの三人を助けられれるのは、きっと私だけだ。

 私が晴人たちを救わないといけない。


「だって、私は晴人君の従姉のお姉さんなんだものね」


 そう独り言をつぶやくと、私は晴人の写真を眺めながら微笑んだ。

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