第22話 アキくんの……裏切り者!

 ユキは幸せそうな夏帆を見ているだけで、満足なのだと言った。


 それきり、ユキは黙ってしまった。

 薄暗い生物準備室のなかで、俺とユキは二人きり。

 見かねて、俺は尋ねた。


「話はおしまい?」


「……うん」


「じゃあ、帰るかな」


「あ、私も帰る」


「途中まで一緒に帰ろっか?」


「それは、夏帆に悪い気がする」


「なんで?」


「アキくんと二人きりで帰ったりしたら、夏帆は……」


「たぶん、夏帆は気にしないよ」


「そんなこと言っちゃだめだよ?」


 そういいつつも、結局、ユキは俺と帰ることに同意した。

 ユキと俺も、もう中学以来の長い付き合いなのだ。

 べつに一緒に帰るぐらい、なんてことはないと思う。


 校庭には、部活動中の野球部の人間たちが広がっていた。

 俺は帰宅部だけど、ユキは演劇部に所属しているはずだ。


「ユキは部活ないの?」


「今日はお休みなんだ。大会も終わっちゃったし。次は市民会館を借りて劇をするんだけど……それも、まだ先だし」


「へえ。見に行くよ」


「ありがとう。夏帆と一緒に見に来てね」


 ユキはそう言って微笑んだ。

 俺たちは校門を出て、バスに乗った。


 ユキと二人で話すのは久しぶりで、いろいろなことを話した。

 中学のときのクラスメイトのこととか、高校の噂話とか、部活の愚痴とか。


 そのなかでも、夏帆のことを話すとき、ユキは一番、楽しそうだった。

 ユキは夏帆のことが大好きなんだろうな、と俺は思っていた。

 本当は俺は邪魔者で、ユキは夏帆のことを独り占めしたいんじゃないだろうか。

 俺はふっとそんなことを思った。


 だったら、なおのこと、ユキに夏帆との仲直りを頼むなんて、そんなことやめておくべきだ。

 

 普段は口数の少ないユキだけど、いつも二人で話すときは俺が聞き役だ。

 ぽつりぽつりと話すユキに、俺が相づちを打ったり、関連する話題を提供したりする。

 そういう感じだった。


 バスから降りた後、俺は坂道を歩きながら、言った。


「ユキはさ、偉いよね」


「私が偉い?」


「夏帆もけっこう優等生だけど、その夏帆よりもユキは成績も良いし。部活も頑張ってるし」


「そ、そう?」


「そういや、こないだの定期試験だって、学年で三位だったんだっけ?」


「……うん。でも……私なんて、ぜんぜん偉くないよ」


 ユキはちょっと恥ずかしそうにそう言った。

 謙虚ないいやつだな、と俺はユキのことを思った。


 俺は微笑して、ユキの頭をぽんぽんと撫でた。

 びっくりした顔をユキがして、顔を赤らめた。


「あ、アキくん。な、なにしてるの?」


「ごめん。嫌だった?」


「女の子のなかには子供扱いされてるみたいで、嫌がる子も多いよ」


「ごめん。ついやっちゃって。二度としないよ」


「あ……私が嫌ってわけじゃなくて……その、そんなに気軽に女の子とスキンシップしちゃいけないってこと。それに、アキくんは好きな女の子がいるんでしょう?」


 ユキは相変わらず顔を赤くしたまま、上目遣いに俺を見た。

 たしかに俺は夏帆のことが好きだけど、だからユキの頭を撫でるのも良くなかっただろうか。


 俺だって、全然仲の良くない子の髪なんて撫でないけれど。

 そんなことをすれば、変態扱いされる。


 だけど、友達のユキだから、つい気を許してしまったのだ。

 

「悪かったよ」


「そういうのは夏帆にやってあげなよ。きっと……喜ぶよ?」


「そうかなあ」


 少なくとも今の夏帆は受け入れてくれないだろう。

 なら、水琴さんはどうだろう?

 

 俺は水琴さんの頭を撫でている姿を想像し、ありえないかと思った。

 相手は氷の女神様。男に頭を撫でられるなんて、そんなの拒絶するだろう。


 でも、昨日の水琴さんの雰囲気なら、熱で弱っていたせいかもしれないけど、頭を撫でても怒られないかもしれないな、と思う。


 なんで水琴さんのことを俺は考えているんだろう?


 考え込んでいたら、ユキが俺の瞳をのぞき込んだ。


「どうしたの?」


「なんでもないよ」


 俺は首を横に振って、歩き始めた。

 半歩後ろを歩くユキが、声をかける。


「もしかして、夏帆と仲直りする方法、考えてるの?」


「いや……」


「私、頑張って二人が仲直りする方法を考えるから……だから、昨日、何があったか教えてくれない?」


 俺は夏帆と仲直りする方法なんて考えていなかったし、ユキに昨日のことを教えるわけにもいかない。

 どう答えたものか、と悩んでいたら、悩む必要がなくなった。


 坂道の途中にある薬局の入口から、一人の少女が姿を現した。

 すらりとした少女は、淡い青色のワンピースを着ていて、とても清楚な感じだった。


 それは水琴さんだった。

 俺に気づいたのか、水琴さんがぱっと顔を輝かせた。


「秋原くん。遅かったね。待ちくたびれちゃって、一人で薬局に来ちゃったの。秋原くんのおかげでかなり体調も良くなったし。昨日、裸でいたりしなければもっと良かったかもしれないけど」


 嬉しそうに、そしてちょっと恥ずかしそうに水琴さんは早口で言った。

 俺が返事をできずにフリーズしていると、水琴さんが可愛らしく首をかしげた。


「なんで固まってるの? 一緒に家に帰ろ? もう夜ご飯も食べれそう。夜ご飯、何にする?」


 水琴さんは楽しそうにそう言ったあと、俺の後ろのセーラ服のユキを見て、不思議そうな顔をした。

 水琴さんはユキのことを知らない。

 そして、ユキは俺とちょっと離れた位置を歩いていた。

 

 だから、水琴さんはユキが俺の知り合いだとは思わなかったのだ。

 まずい。

 非常にまずい。


 俺は仕方なく言った。


「水琴さん。こちらは俺の中学時代の同級生の桜井悠希乃」


 それを聞いて、水琴さんはさあっと顔を青ざめさせた。

 一方のユキもショックを受けたような顔をして、硬直した。


 ユキは、ようやく口を開くと言った。


「どういうこと? 隣のクラスの水琴さん、だよね? アキくんと一緒に家に帰って、夜ご飯も一緒に食べて、それで昨日は裸でいたって、それって……」


「ええとね、ユキ……」


 俺は言いよどんだ。

 なんて、説明すればいい?

 

 正直に一緒の家に住んでいるって言えばいいんだろうか。

 水琴さんはどうしたいんだろう?

 

 その水琴さんも固まってしまっていて、対応不能という感じだった。


 俺が口を開くより先に、ユキが言った。


「ひどいよ……アキくん。水琴さんと付き合ってるんだ? それで一緒の家に住んでるの? エッチなこともきっと、いっぱいしたんだよね。夏帆はそれを昨日見て……傷ついたんだ」


「ご、誤解だよ」


 俺は説明しようとして、うっと詰まった。

 ユキが瞳から涙を流している。


 涙目のユキが消え入るような声で言う。


「アキくんは……夏帆のことなんてどうでも良くなっちゃったの?」


「そんなわけないよ」


「アキくんの……裏切り者!」


「……あのさ、ユキ。夏帆は俺を受け入れてくれていないんだよ」


「でも、アキくんは夏帆のことが好きなんでしょう? 私は、アキくんと一緒にいる夏帆が好きで、夏帆と一緒にいるアキくんのことが好きだったのに。どうして水琴さんなの? アキくんの隣にいるのが、夏帆じゃないんだったら……私でもいいじゃない!」


 そうユキは叫んだあと、はっとした顔で口を押さえた。

 ユキは涙をぬぐうと、顔を赤くしたまま、俺を睨みつけた。


「今の……忘れて、アキくん。私……アキくんのことなんか、大嫌いなんだから!」


 ユキは逃げるようにして、その場から走り去った。

 俺と水琴さんは呆然として顔を見合わせた。


 水琴さんは整理が追いつかないという顔で、つぶやいた。


「つまり……桜井さんは秋原くんのことが好きってことよね」


 水琴さんの言うとおりだ。

 いくら俺が鈍くても、わかることはある。


 ユキは俺のことが好き、ということらしい。

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