第17話 魂の触れ合い
悪い子?
夏帆は自分のことをそう言うけれど、俺には何のことかわからない。
夏帆はいつだって優しくって親切な女の子だった。
実際、中学でもいまの高校でも、夏帆は周りからかなり信頼されている。
夏帆は自然な感じで奥の部屋まで歩いていく。
その部屋の押入れには、水琴さんがいるんだけど。
夏帆は俺に背を向けて窓から外を見渡した。
そのままの姿で夏帆は言う。
「あたしね、ユキに怒られちゃったんだ」
「それは珍しいね」
ユキは夏帆の親友で、どちらかといえば気弱な性格だ。
そんなユキが夏帆を怒っている姿なんてほとんど見たことがない。
もしユキが怒るとすれば、それは大事なことなんだろうけれど。
「ちょっと前の話だよ。晴人の告白を断った後に、怒られたの。あたしが勘違いさせるような態度をとったから、それで晴人を傷つけたんだって、ユキは言うの」
意外だ。
ユキは、告白後に夏帆とまた話せるような仲になるように協力してくれたけど、夏帆にそんなことを言っていたなんて知らなかった。
「あたしは小学校のときからずっと晴人と一緒にいて、それが当たり前みたいに思ってた。だから、一緒に帰ったり、遊びに行ったり、部屋でご飯食べたりしても、なんとも思わなかったんだ。だけど、晴人は違ったんだよね?」
「それを俺に言わせる?」
俺はさすがに顔が引きつるのを感じた。
すれ違いは告白のずっと前からあったんだ。
夏帆は俺のことをただの仲の良い幼馴染だと思っていて、俺は夏帆に片想いしていた。
そんなこと、いまさら確認されなくてもわかっている。
夏帆が窓を開け放つと、窓枠に腰掛ける。
外から寒い風が吹き抜け、夏帆のセーラー服のスカートを揺らした。
「ユキは言ってた。『甘えるような態度をとって、夜遅くまで晴人の部屋にいたりして、そんなことしてたら、アキ君に押し倒されたっておかしくないよ』って」
「押し倒したこともなければ、押し倒すつもりもなかったけれど」
「本当にそうかな。晴人はさ、『恋とは、魂の接触に始まり、粘膜の接触に終わる』って言葉、知ってる?」
「なにそれ?」
「フランスの格言なんだって。男女が、お互いのことを知って、心を通わせて恋人になる。そして、キスをして、セックスをする。そうしたら、そこで恋は終わるの」
夏帆が平気な顔をして「セックス」という言葉を口にしたので、俺はちょっと顔を赤らめた。
夏帆がくすりと笑う。
「いま、あたしとエッチしているところを想像した?」
「そんなことしてない」
「でも、晴人はあたしのこと、好きなんだよね」
「どういう意味?」
「だから、それって、あたしとセックスしたいってことだよね」
俺は絶句した。
なんてことを言い出すのか。
俺が夏帆に告白したのはそんな意味で言ったつもりはない。
けど、たしかに、夏帆とキスしたり、R18的なことをしたくないわけじゃない。
それがすべてではないけれど、俺はごく普通の男子高校生だから、そういうことも将来的にはあるといいな、と思っていたのだ。
だから、夏帆の言葉を全否定はできない。
俺の内心を見透かしたように、夏帆は続ける。
「でもね……あたしには、晴人とそういうことが絶対にできない理由があるの。……晴人のことを好きになっちゃいけない理由があるの。だから、あたしは悪い子なんだ」
「どういうこと?」
「それは……」
夏帆は口ごもった。
言えないということだろう。
代わりに夏帆はつぶやいた。
「……どうしてただの仲良しじゃダメなの?」
「俺は夏帆ともっと別の関係になりたかったんだよ。夏帆にとっての、特別な存在になりたかった」
けっこう恥ずかしいことを言った気がする。
俺は顔を赤くして何も言わず、夏帆もうつむいていた。
告白を断られたときは、夏帆はただ「姉弟みたいなものだから」としか理由を説明してくれなかった。
でも、それ以外にも夏帆は何か秘密を隠しているらしい。
夏帆は天井を見上げた。
「やっぱり、あたしはこの部屋に来ないほうが良かったね」
「そんなことないよ」
「でも、こうやって話しているだけでも、晴人のことを傷つけちゃう」
夏帆は困ったような、そして悲しそうな笑みを浮かべる。
そして、夏帆はポケットからこの部屋の鍵を取り出した。
「この鍵、やっぱり返さなくっちゃ。あたしが持ってたりするの、おかしいよね。ごめん、二度と来たりしないから」
「夏帆は俺のことが嫌い?」
夏帆は首を横に振った。
「そんなわけないよ。あたしは、今でも晴人と仲良しでいたいの。晴人と一緒に遊んだり、ご飯を食べたりしたい。この部屋に来て、一緒にゲームをしたりしたい」
「でも、俺と付き合うつもりはないってことだよね」
「だから、あたしは悪い子なんだよ。あたしが悪い子なのはそれだけが理由じゃないけど、ともかく鍵は返すから」
べつに俺は夏帆のことを悪いだなんて、思わない。
ずっと、ただの幼馴染で、仲良しじゃダメなのか、と聞かれたら、ダメだなんて言うつもりはなかった。
俺は鍵の返却はしなくていい、と言いかけた。
そのとき。
ごとりと押入れから物音がした。
そういえば、水琴さん、上半身裸で、しかも濡れたままの状態だ。
早くなんとかしてあげないと、風邪が悪化する。
でも、今の雰囲気で、夏帆に一刻も早く帰れ、なんてとても言えない。
水琴さんのことさえなければ、これから一緒に部屋でゲームでもしよう、と夏帆に言うところなのだけれど。
俺が困っていたとき、夏帆は「あれ?」とつぶやいた。
部屋の片隅に落ちていた瓶を夏帆は拾い上げた。
「これ、女物の化粧水だよね?」
「ああ、うん」
「誰の?」
「雨音姉さんの」
「雨音さん、帰ってきてるの? なんで言ってくれないの? 会いたいのに」
と言った後、夏帆は気まずそうに「あたしにそんなこと言える資格ないか」とつぶやいた。
夏帆と雨音姉さんはわりと仲がよく、昔は雨音姉さんは夏帆をけっこうかわいがっていた。
ともかく、その化粧水が雨音姉さんの、というのは大嘘だ。
水琴さんのもののはずだ。
次の瞬間、押入れからくしゃみがした。
夏帆がぎょっとした顔をした。
「いま、押入れから声がしなかった?」
「き、気のせいだよ」
「晴人、ひょっとして犬とか拾ってきて、押入れで飼ってるの?」
残念だけど、犬ではなくて、人間の女の子だ。
しかもクラスメイトの美少女だから、飼っているなんて、とても言えない。
俺が否定すると、あっさりと夏帆はうなずいて納得してくれた。
よかった。
これで危機は回避された。
けれど。
「そういえば、この押入れのなかに、あたしが貸してた本とか入ってない? まだ返してもらってないの、あった気がする」
そう言って、夏帆は押入れの戸を思い切りよく開いた。
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