第21話 月と太陽、そして噴水

災厄の予兆として記憶しているのは、実際の嵐が始まる、半年ほど前のことだ。


学校が休みの日、アマリリスはときどき許しをもらって、従姉のヒルプシムや、友達といっしょに、町に出掛けるのを楽しみにしていた。


アマリリスの家があるすずかけ村から、首都のアザレア市まで、乗り合い馬車に揺られて1時間ほどかかる。

小国の首都らしくこじんまりとした都市だが、中心部はそれなりに賑やかだ。

古い町並みはいつも清潔で、整然としていて、凶悪な犯罪も滅多にない。


若い娘あいての流行ものを扱う店をひやかしたり、甘いお菓子を買い食いするのはとても楽しかったし、最近になって、アマリリスよりも2つ年上のボーイフレンドも出来た。

町に買い物に来ていたアマリリスたちに、飼っている小鳥が逃げたから、一緒に探してほしい、という口実で話しかけてきたのがきっかけだった。

都会の男の子らしく、髪型も服装も、いつ見てもカッコよく、気配りがとても細やかで洗練されていた。


バレたらさすがに外出を禁止されかねないので、父や兄にはもちろん内緒、たまに彼女にくっついて来るヘリアンサスには厳重に口止めをしてある。


上級生になってから、友達同士で町に出掛けることを許されるようになり、お小遣いで自分の好きなものを買うことも出来たし、話の面白い、ハンサムなカレシもいる。

それだけ色々なものを持っているわけだから、一人前の大人として、自分に足りないものはもう大してないと考えていた。


その日も、アマリリスはヒルプシムと一緒に町にやって来た。

いつもの待ち合わせ場所で、それぞれのボーイフレンドと落ち合うと、彼と手を繋ぎ、市場や、石造りの家が立ち並ぶ路地を、特にあてもなく歩き回った。


そうやってぶらぶらしながら彼とおしゃべりするのを、アマリリスは楽しいことだと思っていたし、

少年のほうも、こんな美しいガールフレンドを連れて町を歩くのが、自慢であるらしかった。


途中の屋台でタマリスク風のアイスクリームを買ってもらい、近くの公園のベンチに、カップルごとに腰かけた。


少年がマンドリンを取り出し、にぎやかな曲を鳴らしながら、歌い始めた。


『月が眠りに就くとき、彼は太陽を想い夢見を願う。

太陽が目覚めるとき、彼女の微笑みは月の面をも輝かせるのだ

おぉーーー、いェ〜〜』


アマリリスは努めてかわいらしくアイスクリームをついばみながら、うっとりと耳を傾けていた。

若者の多彩な心情を、月と太陽になぞらえて歌う曲。いつか、こんな気持ちを、自分も感じるようになるのだろうか。


何度か、こうして歌を聞かせてくれる彼に合わせて歌おうとしたことがあるが、彼の歌があまりに上手で、自分の方は調子外れみたいになってしまい、もっぱらこうして聞くほうにまわっていた。


横のベンチに目をやると、ヒルプシムが、彼女のボーイフレンドとキスしているのが見えた。

それは見なかったことにして、並んで座っている少年と同じ方向に視線を戻した。


この小さな公園は、隣接している神学校(ウィスタリアで一番古い学校である)の外庭のような所で、

中央に噴水を備えた人工の池があり、狭い敷地にはやや不釣り合いな、大きなスズカケやカエデ、青々としたカシの木が茂っている。


アマリリスたちがいるところは、公園の奥の方、神学校の長円形の建物に沿って敷地がカーブしているところで、建物の土台に合わせて一段高くなっていた。


アマリリスはそこから、噴水ごしに通りの方を眺めていた。


ロバに引かせた荷車や、大きな馬車が行き交う通りの向こうは、広場になっていて、黒い人だかりが出来ていた。


それだけならいつものことなのだが、何か様子がおかしい。

アマリリスは気になりはじめ、しまいに立ち上がった。

少年もきまり悪そうに歌をやめた。


十数人の大人が、押し合いへしあいしながら、怒鳴り合っているのが見えた。

距離があったので、何を言い争っているのかは分からない。


胸ぐらをつかんで振り回されている男がいる。服装と髭の形から、アムスデンジュン人とわかった。

つかんでいる方は、ウィスタリア人だ。


もみくちゃになった大人たちの間に、小さな女の子がいて、悲歎に暮れた顔で泣いている。


胃がむかむかと痛んだ。


公園の横の道を、数人の警官が駆けて行き、警笛の鋭い音を鳴らしながら、大通りを横切っていった。

アマリリスは眉間に皺を寄せ、その様子を見ていた。


「行こう。」


少年が傷つけられた様子の声で言って、マンドリンを片付けて立ち上がった。

彼に手を引かれて公園を出た。


この時まだ、日差しは優しく、噴水の水はさらさらと流れていた。


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