第88話 山に潜むリュカオン
現時点の結果で見れば、第1陣、はるばるコルムバリアからやって来た歩兵部隊は、敗れるべくして敗れた貧乏くじだった。
3週間前、
ウィスタリア西部の山岳地帯に、5000人規模の武装難民集団が潜伏している、
状況から考えて、《あの》オステオスペルマム市の事件を起こした、通称『不可視の士師』のウィスタリア人らしい、との情報が全軍に伝えられた時。
所与の情報を教科書通り読み解くなら、本来治安維持要員の小銃部隊、それもたった2個中隊などではなく、然るべき装備、人数の戦闘部隊を差し向けるべきだった。
しかし、派遣候補となった部隊の指揮官は誰も、最終的に貧乏くじを引き、軍法会議で銃殺刑となった分遣隊の少佐も含めて、『不可視の士師』の伝説を真剣に受け取らず、
追放を恐れて山に逃げ込んだ、バカな百姓を探しに行く程度のつもりで出かけて行った。
戦争の帝国タマリスクの将校は、何度もの実戦をくぐり抜け、戦争の様々な側面を見てきたベテランぞろいだった。
彼らの経験から言えば、暴動でも反乱でも、民間人の組織が、軍隊を打ち負かすなどあり得ないことだった。
軍隊を負かすことが出来るのは、軍隊だけ。
それくらい、軍隊というのは、力によって他を制圧することに専門化した集団なのだ。
だから、僅か数名のアムスデンジュン兵が、数千人のウィスタリア人を従わせ、明らかな死が待つ行進へと狩り立てるということも可能になる。
経験に富んだ者ほど、オステオスペルマムの事件を疑いの目で見ていた。
推定で700人のウィスタリア人が、タマリスク、アムスデンジュン合わせて230名の兵士を襲ってほぼ全員を殺害し、武器を奪った。
なるほど、理屈の上では可能だろう。
だが現実にそれを成し遂げるには、厳しい訓練と経験に支えられた、鉄の統率があってはじめて可能になる。
とても、この間までケシやえんどう豆を育てていたような連中にできる事ではない。
おそらく、オステオスペルマムの事件には、どうしても伏せておきたい裏の真実があり、人目を欺くために、こんな突拍子もない作り話を被せたのだろう。
そんな憶測が流れた。
とはいえ、民間人の寄せ集めに正規の軍隊が敗れた、という最大限の屈辱に甘んじてまで、ひた隠しにしたい真相の方は、誰も思い付かなかったのだが。
しかし彼らはその後ウィスタリア国内でも、分かっているだけで2度、アムスデンジュン騎兵隊と交戦して撃退し、ここピスガ山では500名の部隊と渡り合い、ほぼ全滅させている。
これは偶然や幸運の類いではない。
敵はもはや烏合の衆ではなく、特殊な、非常に高度に組織化された軍隊であると考えるべきだ。
しかし、そんなことがあり得るだろうか?
手ひどく撃退された第1陣からの報告によれば、
ウィスタリア人たちには特定の司令官が存在せず、各個がばらばらに、一見でたらめに発砲してくる。
それでいて全体として見たとき、その攻撃には恐ろしく冷徹な意思があり、全く無駄がない。
まるで獲物を襲うリュカオンの群れのようだ、と言う者もいた。
敵がいかなる奇策を用いようとも、二度目の敗走は絶対にあってはならない。
だからこそ、本来このような任務につくことはあり得ない、最重装備の大部隊が送り込まれたのだし、
彼らも任務の完遂に、微塵の懸念も抱いてはいない。
しかしピスガ・ジェベルが完全に闇に没した後も、どうにも奇妙な、腑に落ちない感覚は消えなかった。
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