第20話 誰かの国、どこかの国

ウィスタリア人という、固有の文化と、言語も持った民族があり、民族名を冠した国家がある。

では、ウィスタリア民族はその全てがウィスタリア王国に居住しているか、

ないしは、ウィスタリア王国の国民が、全てウィスタリア民族によって構成されるか、と問われれば、

答えはいずれも否である。


ウィスタリア王国に居住する約30万人のうち、ウィスタリア民族は6割強。

残り4割は、アムスデンジュン人、タマリスク人、協定締結後に移住してきたラフレシア人、その他、数え上げたらきりのない、多数の異民族だ。


また、逆にウィスタリア国外に居住するウィスタリア人も、近隣のタマリスクやラフレシアを中心に、50万人以上を数える。


およそ文明の揺籃ようらんの宿命ともいえる、地域の細部まで浸透した民族の多様性は、

もちろん、お互いに補完し合う形での協調発展といった好ましい作用を生むこともあったが、

残念ながら、文化の相違、というよりも、お互いに異なるアイデンティティを意識し合う事による、対立や衝突の原因となることの方が圧倒的に多かった。


また一見、友好的な関係にあったとしても、それが真に好ましい状態かと言えば、

おなじ状態が、時と状況により意味合いが変わってくるし、おそらく誰にもはっきりとは言えない。


例えばウェルウィチア家の農園は、多数のアムスデンジュン人の小作人によって支えられており、

それによってウィスタリア人は労働力を、アムスデンジュン人は職業を得、両者の間には双方に利益のある関係と、お互いへの感謝もある。

だからといって、アムスデンジュン人の側に、異民族に使役される屈辱が、

ウィスタリア人の側に、使役される者に対する軽蔑の念がないと、どうして言えるだろう。


もしこの地上に、単一の民族のみから構成される、均一な国家があったとしたら、

彼らは社会が背負う苦悩の大半を免除されることになるだろう。


また、各民族固有の思惑や利害を超越した理念を掲げて、

真の融和と、心からの友愛を訴える啓蒙けいもうも、確かに可能だろう。


それが理想とは分かりつつも、

様々な矛盾や軋轢あつれきを内包し、解決できずに進み続けるのが、ウィスタリアをはじめ、多くの国の、そこに生活する人々の現実だった。


一番恐ろしいのは、その状態を卑屈ひくつだとか傲慢ごうまんだとか、醜悪しゅうあくだと呼んではばからない、狭小きょうしょうで無分別な正論である。

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