第61話 隠者の視点(3)

アムスデンジュン人も、難を逃れたウィスタリア人も、しきりにこの町に留まるように勧めた。


「大丈夫、ヤツら(アムスデンジュン軍)は、多分もう戻ってこない」


それは楽観的すぎる見通しだといくら言っても、聞く耳を持たなかった。


「神罰だったんだ。」


4人の家族を何とか守りきり、半壊した教会に住み着いている男が言った。


「神は、ウィスタリア人を滅ぼし、もう一度やり直そうとされているのだ。

ウィスタリア人だけじゃなく、タマリスクも、アムスデンジュンもかな。


同胞を殺し合う鬼畜、人間をまるで牛か豚のように狩り立てる悪魔、奈落の穴へ向かって行進する難民。

この世は地獄だ。狂気の坩堝るつぼだ。

もうすぐ地獄の釜が開いて、人間はみな、奈落に吸い込まれて行く運命なのだ。


この人たち(アムスデンジュン人)と、わしらのことは、神様はお目こぼしくだすった。

そしてあんたらも、地獄の釜の縁から返してくれた。わしらの町に導いて下さった。

これは天啓だ、生き延びるものは、この町で静かに待てと言っておられるのだ。」


公会議を構成する難民のリーダーたちの顔を順繰りに見回しながら、

身振り手振りを交えて話しつづける同胞を、彼らは陰鬱な思いで眺めていた。


それが本当だったらどんなに嬉しいか。

そうであってほしいという願望なら理解できる。

しかしこの男は、本気で心の底から、自分の言っていることを信じている。


ウィスタリア人よりは経験した恐怖が少なかったからか、

あるいはもともと神に仕える身だからか、

アムスデンジュン人のムラ(宗教指導者。共同体の長を兼ねる)の言葉は、もう少し冷静だった。

しかしそれだけに、難民たちの心は一層重くなった。


アムスデンジュン藩王国生まれの移民であるムラはウィスタリア語が話せず、ラフレシア語での会話となった。

カラカシスを含め、多民族が暮らす地域では、ラフレシア語やタマリスク語といった大国の言葉が、民族間の意思疎通のための共通語となっていた。

だからウィスタリア人もアムスデンジュン人も、大半はラフレシア語が話せたが、やはり母国語よりはややぎこちなくなった。


「如何に――、」


ムラはゆっくりと話しはじめた。


「どのようにこの災厄が始まったのかは定かでない。。。

ウィスタリアの兵士はみな死んでしまった。

アムスデンジュンの兵士は何も語らず、去ってしまった。

しかし、《何故》、この災厄が起こったか、何故、防げなかったか、については、述べるべきことがある。。。」


ウィスタリア人たちは顔を見合わせた。

相当の高齢に見えるこの導師は、この場を彼らの集団祈祷の演壇か何かと勘違いして、こんな禅問答を始めたのではないかと思った。

しかしウェルウィチアの目はじっとムラに注がれていた。


「どうぞ、続けてください。

何故、この災厄は起こったのでしょうか。

防ぐとしたら、誰が防いでいたべきでしょうか?」


「それは、全員が、一人一人に至るまで、自分に止めることが出来ようとは考えなかったことだ。。。

誰もが、抗いようもない濁流に翻弄されていると信じつつ、全員でその濁流を作り上げ、押し流されている。

世界は、そういう宿痾しゅくあに侵されているのだ。

それが、この災厄の真の姿だ。」


ここで、ムラは目を開いた。

垂れ下がった瞼に塞がれた目は、盲であると皆思っていた。

しかし、その青い瞳には、はっきりした視力が残っているようだ。


「病は、西からやって来た。

ボレアシアの、啓蒙主義や先進思想の姿でだ。

それは別の病、圧制や、野蛮や暴虐を癒す特効薬と期待された。

しかし実際には、徐々に身体をむしばむ、恐ろしい鉱毒のような副作用を孕んでいた。

ウィスタリア人はすっかり、その毒に冒されてしまった。」


「ウィスタリア人が? タマリスク人が、ではなくてかね。」


言い間違いかと思って、すずかけ村の鍛冶屋、例の「大将」が口を挟んだ。


「タマリスク人であり、ウィスタリア人であり、アムスデンジュン人である、我々――、

カラカシスの民、コルムバリアの民は、ラフレシアや、リンデンバウムがやって来る何千年も前から、今の姿のまま、この大地に暮らしてきた。


時に争い、埋まることのない断絶に隔てられながら、しかし、誰も、自分だけに生き延びる権利があり、他方が消えるべきだなどとは、考えなかった。


誰もが知っている、

民族が、信じる神の名が違えど、この大地に生きるものは、みなひとつの兄弟で、我々は、この大地の上にしか生きる場所はないのだ。

この土地の主人は自分だの、誰それは出て行くべきだの、そんな思想は、毒に浮かされた戯言で、兄弟から取り上げた土地の上に、繁栄の果実が実ることなどあり得ないのだ。


しかし今やどうだ。

そんな簡単なことも学ばずに、人間は死を撒き散らし、あるいは自ら死に向かう・・・」

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